海外で育つ子のアイデンティティに関して

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海外に住む場合、そして子供を海外で育てる場合、アイデンティティの問題を避けて通り過ぎることは出来ないと思いますし、そのことに関しては何度かこのブログにも書いてきました。

でも普通に日本で自分が育った場合、誰がどう見ても、そして自分自身も日本人であることを疑わないし、アイデンティティなんてことは考えもしないのが普通。でもそんな調子で子供を小さいときから海外で育てるとかなり深刻な問題にぶち当たると思います。子供にとって日本が外国に、日本語が外国語になるんですから。

また少子化の問題を抱える日本は今後多くの外国人を移民として受け入れることになるでしょうし、移民関連法もその方向で動いています。つまり、日本の中にもっともっと多くの外国人が外国人としてあるいは日本の国籍を取って日本人として生きるようになる。

そこで様々な摩擦も起きるでしょうし、その外国人個人に取ってもアイデンティティとはなんなのか、日本人とは一体何なのか、あるいは新しく渡ってくる外国人にどうして欲しいのか、どういう日本人になって欲しいのか、これらに関して知らん顔、全く感知しないで生きることは不可能な時代になると思うんです。

そして海外も外人も関係ない日本人に取っても、戦後日本人としてのアイデンティティを消すような教育がなされ、日本人のアイデンティティ=右翼、ナショナリストと呼ばれ、どの国でも当たり前の愛国を日本人は口に出せない時代が長く続いた。これは未だに尾を引いていて、無国籍主義者も海外崇拝者も多くいるのが現状。グローバル化というと諸手を挙げて賛成するわけのわからん人もかなり多い。

世界は一つ、人類皆兄弟だなんて宗教家が言うのならまだしも、本当にそんなことがありえるのか、それを将来の理想として現実の世界の中で生きていけるのか、そういう問題が机上の空論や書籍の中の理想論ではなくて、現実問題として我々、そして子供達にのしかかってくるはずです。

そんなことを考える良い切っ掛けになるのが、日本の在日の問題です。これは本当にややこしい話ですが、これを知ることによって、そもそもアイデンティティとはなんなのか、人はどう生きれば良いのか、海外で生まれ育つということはどういうことなのか、また言葉も習慣も祖国のそれを失ったらアイデンティティはどうなるのか、そんなことを在日の問題から探ることが出来ると思います。

ということで、動画を紹介します。

この討論では在日の話が主になっていますが、この話を自分が今住む国に起きている自分の問題だとして置き換えて考える。また子供達がその問題にいつか直面すると考えると、決して他人事じゃないのがわかります。またこれから増えるであろう日本への移民に対してどう日本人が向き合うべきかも見えてくるのではないでしょうか。

最初の方は今問題になっているヘイストスピーチに関すること、またそれに対抗するカウンターパーティの話が中心ですが、結局はアイデンティティの話になります。そしてそのアイデンティティを自分がどう持つかということと、相手が自分にどういうアイデンティティを求めてくるかというなかなか持てない視点からも考えるチャンスになると思います。

私としてはこの出席者の全員(どちらサイドも)がおかしなことを言ってるとしか思えません。と同時に双方に筋が通ってると思う部分もある。ま、歩み寄りは簡単にはいかないでしょうし、これが現実なんでしょう。

私としてはオーストラリアに住んでいるんだから、オーストラリア人になれとかオーストラリアに忠誠を誓えなんて言われたら、冗談じゃないと思います。永住権という権利を国が定めてそれを与えられている限り、その権利の範疇でどう生きようとそれはこちらの勝手ですから。

マレーシアにMM2Hで住むのもそれは権利であって、何かいけないことをしているのにお情けで住まわせてもらうがごとくマレーシアにへつらう事もないというのが私の考えです。ですからマレーシアに自分が感謝するのは勝手ですが、「感謝しましょう」と他人まで引き込もうとする動きには反発します。これはオーストラリアでも同じ。

ただ、与えられた権利以上のことは望まないし、禁止されていることはしない。嫌なら出て行けと言われたら、その通りだし、嫌になれば出て行こうと思います。

何を威張ってるんだと思うかもしれませんが、私は感謝しようがしまいが、好きになろうが嫌いになろうが、それは個人の感情であって、ああしましょうこうしましょうという押し付ける考え方がまさにヘイストスピーチを生み出すのと同じ根っこを持つと考えているからです。

ちなみに私はオーストラリアが好きですし、今まで無事にどうにか生きてこられた環境を与えてくれたことに感謝しています。また、子育ての環境としても全く問題がありませんでしたし、何か恩返しはしたいと思ってます。でもそんなことを他人にそうしましょうなんて言わない。言えない。

ま、興味のある方は是非見てください。お互い自分は絶対に間違いがないと思っている同士の話って常にこういう感じ。価値観を押し付けるべきでは無いですが、でも同じ隣人として生きる場合に黙っているわけにはいかないんですね。難しいと思います。

そしていつか自分の子供達がこういう問題に出くわすことがあるかもしれない。だからアイデンティティの問題を軽く考えると、その子は一生それを引きずる可能性があると思います。以前、このブログにアイデンティティに関して書いたとき、海外で何年か幼少期を過ごした経験があるだけで帰国子女として帰ったあと、違和感をずーっと持ち続けて生きてきたという方からコメントをもらったことがあります。

海外で育てばよいことがあるなんて能天気なことを考えている人にも是非見てもらいたいです。在日の問題は、海外で生きようとする我々の子供達にも関係があるってこと。

オーストラリアはマルチカルチュアリズムの国ですし、移民がたくさんいますし、皆さん本当に優しい人たちばかりです。でもそれって上辺だけしか見ていないからそう見えるってこともあるんですね。日本に来た外国人が、日本人は皆優しいというのと同じ。

マレーシアも同じでしょう。どの国に行ってもお客様に冷たい国なんてありゃしない。ところが同じ隣人として住むといろいろあるかもしれない。ま、日本人は良く見られるのは救いかも。

マレーシアに関して、このブログの常連さんでもある桜レストランの大西さんが言った言葉が忘れられません。マレーシアには差別はない。区別があるだけだと。要は関係ない連中のことは感知しないってことでしょう。それを皆が仲良くやっていると見てしまうとうまくないということでしょう。

そういう意味ではオーストラリアも同じかもしれません。

オーストラリア人の女性にそれを感じることがあります。アジア人なんて全く眼中にないのね。

だから差別もしないわけです。そもそも居ないのも同じなんですから。(笑)

また書き出すと止まらなくなりますが、この動画の最後の方で、韓国に帰った在日が酷い目に合ったという話。これって良くある話なんですね。ゴールドコーストに日本生まれ、日本育ちの韓国人の友人がいましたが(あの有名な彼 笑)、彼がある時、なんと韓国人グループに袋叩きにあったんです。日本人の犬だと(韓国で犬と呼ばれるのは最悪なこと)。また前にも書いた私の叔父ですが、アメリカではジャップと呼ばれ収容所に入れられ、日本に来たら変な外人と言われ(私もずーっとそう思い続けていました。日本語が下手糞で中身は完全なアメリカ人でしたから)、70を過ぎて日本人に帰化した時、初めて心の平穏を得たと言っていたのが忘れられません。

俺は国際人だ、なんてのは世界のどこに行っても通用しないんですね。アイデンティティの問題を軽く見るとかなりうまくないと思います。結局は自分が生き易いところで生きるようにしかならないのね。それが日本とはならないケースも想定する必要大。日本以外の海外で生きていくのも良いでしょうが、ビザがなければ仕事もできない。

ではどうするのか?

どの国でどう生きる場合には何が必要か、そしてその想定と相反しない心の拠り所を彼ら自身が作れるように親がちゃんと考えて育て、そういう環境を作ること。それしかないと思います。4ヶ国語しゃべれるようになった、なんて単純に喜んでると危ないかも。 (笑)

ビザの問題もアイデンティティと同じ重要度があると考えたほうが良いんじゃないでしょうか。好きな国で好きなように生きれるように世界は出来ていませんから。

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