やっぱり日本は何でもあるのねぇ

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糖質制限なんてアメリカで大流行して、今は当時の勢いがないものの、流行りものというより定着してきているようでかなりの商品があるのね。それに比べたらオーストラリアは・・・・・、ったくも~~~~。

ついでと言っちゃなんですが、日本の事情を調べてみたら、がーーーーーーーーーん、凄いなんてもんじゃないのね。

流行りだなんだというよりですね、ものが完全に違うのね。やっぱり日本人って開発、改良の天才だと思いました。

例えばですね、特にオージーなんかそうだけれど、小麦の代わりに大豆粉を使おうとするでしょ。でも普通の「大豆粉」しかないわけですよ。で、美味しいとかマズイとか言いつつ食べるかやめるか、二者択一しか無い。

ところが日本はマズイと言われたら美味しいものを作るのね。感触が悪いと言われれば良い物を作る。大豆なんだからしょうがないじゃないかとか、オカラなんだから諦めろとか、そういう考え方が無いのね。「出来ない理由は探さない、認めない」というのがあるんでしょうね。だからありとあらゆる商品がある。

そういう中で育った製品だからこそ売れるのだろうし、競争にも勝つ。でも競合もぼーっとしていない。

こういう日本って凄いと思うけれど、だからこそ疲れると思うし、私は日本から離れてラッキーだったと思ったりするのね。あの競争社会で定年まで働くってどれだけ凄いことか。私には無理だったろうなぁ。10代で日本社会は疲れると思っていたくらいだから。(笑)

息子たちもそういう日本の特殊性ってわかっているようで、日本は凄いねというけれど、日本で仕事をしたいとか日本に住みたいとは言わない。でももし日本に行ったら彼らは通用するんだろうか、また続けられるんだろうか。

それを考えると「海外育ち」は「日本育ち」よりアドバンテージがあるなんてのは錯覚でしか無いのがわかるのね。海外でうまく外人たちとやっていけるスキルがどうのと言う「グローバル」という言葉が好きな連中は皆それを言うけれど、海外で甘い汁を吸ったら今度は日本と付き合うのが難しくなるってのがわかってないのね。

私の若い時代にこんな言葉がありました。海外に転勤になるでしょ。どこに何年行くのかってみんな気にするわけですよ。ニューヨークに行くのは栄転だけれど、シドニーは左遷だとか。それも3年で帰れなければもう日本には自分の席はないとか。ま、そんな時代だったのだけれど、1豪、3アメ、ヨーロッ8なる言葉があったのね。これはどういう意味かというと、オーストラリアに1年いると日本に帰っても使いものにならない、アメリカなら3年、ヨーロッパなら8年という意味。ま、こんなのは冗談に決まっているけれど、それだけオーストラリアは楽でボーっとしているってみんなが思ったのでしょう。だからそこに1年もいたら日本に帰ると目が回って仕事にならないぞと。(笑)

今の時代はそんなことはないけれど、でもその言葉がかつて存在した意味も良くわかりますわ。1年どころかこちらで育った息子たちは日本に帰っても多分つかいものにならないと思いますもの。でも海外ならOK。多国籍の外人と一緒に仕事をしても問題がないし、そういう意味ではグローバル人材なんでしょう。でも日本で通用する人材って、もしかしたらグローバル人材の上を行っているかもしれないという発想も大事だと思うんですよ。でも日本人自身はそれが見えないのね。日本の凄さをアタリマエのこととしか思っていないから。

ま、私自身、日本から逃げ出した口だし、息子たちもオーストラリアで普通に育っちゃったし、日本とか韓国とか中国もきっとそうだと思うけれど、働く環境が厳しいところでは無理で、ゆっくりと時間が動くオーストラリア、あるいは東南アジア、発展途上国専門にしかなれないんじゃないかな。

でも日本育ち(日本の仕事を知ってる日本人っていう意味)は海外に出てもまだ使ってもらえるのね。マレーシアでも多くの日本育ちの若者が就職もできている様子。じゃぁ、海外育ちの日本人だったらどうなのか。そこが難しいと私は思うわけで、息子たちは日本人だからといって提示される額が良いわけじゃないし、きっとそれはどこへ行っても同じだと思う。日本人で高給をもらっている人は、日本で育ち、日本を経験しているからこそ海外でそれなりの給料が取れるわけで、単に日本人だからという理由じゃないはず。

結局、「何が出来るのか?」ってことだけであって、海外育ちは言語やコミュニケーション能力に関してはアドバンテージがあるだろうけれど、もっと大事なのは「スキル」であって、それが適当なのに言葉やコミュニケーション能力だけでどうにかなるってことはないと思うわけです。というか「言葉」や「コミュニケーション能力」が「スキル」であるという売り方はあまりにも幼稚過ぎて見てくれだけで中身がないのと同じ。

糖質制限をする人たちのための食料を見ていてもそんなことを感じます。あんな凄い商品群を開発できるのはまさに日本人だからで、ボーっとして育った海外育ちの我が息子たちは、へーーと感心するぐらいしかできないはず。そういうものがあったら良いなぁということさえ考えないのかもしれないなぁ。オーストラリアって本当に保守的な人が多くて、新しいものに全く感心を示さない人も少なくないのね。それは多分買う方も売る方も同じ。

オーストラリアにいる限り良いものは海外から買うしか無い。それは今更始まったことじゃないからしょうがないんだけれど、フト、息子たちのことを考えると、そんなオーストラリアで育つってどういうことなのか、マイナス面を考えるとぞっとすることがあります。向上心という言葉が一番あっていると思うのだけれど、あるいは「夢」「努力」「方向性」がちゃんと三位一体じゃないと駄目なわけだけど、それが無い、あるいは弱い限りどこで育とうが、何か国語話せようが全く意味が無いってことですね。息子たちは日本へは帰らないんじゃなくて、実は「帰れない」。そしてそれを本人たちが一番よく知っているってことなんですね。でも日本は嫌いだとかそういう自分に都合の良い言い方をするから、外からはなかなか本音、本質が見えない。

でも親は親で、自分も夢ばかり見ていたと気がつく時がいつか必ず来る。

はい、気が付きました。 (笑)

    

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