海外に住んで一番危険な事とは

まぁ、マレーシアやオーストラリアに限らず、海外住まいの方はたくさん居て、ブログも非常に多いですね。でも今日、私が書こうとしていることを書いている人はまず殆どいません。

海外住まいに取って一番危険なこととは?

日本人との付き合い

これです。私はこれ以上危険でややこしい物はないと思っているくらいです。

でも多くの方は「え?」と思うでしょう。海外住まい予備軍ならすでにその地に住んでいる方と早く知り合って、情報を得、友達付き合いも行く前から構築したいと思っているはずですし、海外に渡った人はまず友達作りに励みますし、そしてその友達といつもつるんで遊んだり食事に行ったり、パーティをやったりで毎日楽しい月日を過ごしているのが普通。

私だって同じ。

でもね、すぐに気がつくことがあるんです。そして誰しもが必ず経験すること。

それは日本人同士の争い。足の引っ張り合い。噂話の横行。

そしてまさかと思いますが、自分自身がその対象となることがあるんですね。あるいは連れ合いが標的になったり

ここで面白いのはですね。そういうことが起きた時に、周りは「多勢に着く」ってことなんですよ。自分自身の中にもそういう傾向があるのが普通です。誰も火の粉を浴びたくないですから。ですから心のなかでは「ごめん」と思っても多勢に着いてしまう。

こんな時に一緒になって戦ってくれる人ってほとんど居ないと思ったほうが良いですね。まぁ、確かに自分が種を振り撒いてしまったなんてこともあるわけですが、そうじゃなくても自分が窮地に立たされた時にそれを擁護してくれる人って決して多くないのね。ま、影でコソコソ「あの人(相手のこと)だっておかしいよね」なんて話をする人はいても、大勢の前でそれをいう人はいない。

あるいは、複数対複数に分かれて、グループが二分するなんてのも日常茶飯事。で、これの応酬が凄いのね。敵同士で反目しあう人たちが出てくる。

面白いもんですよ。最初はオフ会やパーティで知り合って、よろしくお願いします。助けあいましょうなんて固く手を握り合った人たちがこういうことになるんですから。

ま、あたり触らず、近寄らず遠からずっての一番良いのかもしれないけれど、我々が考えないとならないのは、そういう時に遭遇した時にどうするかなんですね。そういうことにならないように気をつけるのは当たり前として、でもそれが自分自身に、あるいは近くで起きた場合どうするか。

私としてはそこでどう動くかが、大事だと思うんですよ。

多くの人はシカトする。見て見ぬふりをする。

でもまシカトするのは良いほうかもしれなくて、ひどい人は「排斥運動」に加担します。

でも本人はそれが正しいと信じているのね。ここが大きな問題点だと思うんですよ。

海外出る人の多くは個人であったり、夫婦であったり家族単位で、非常に小さな世界しかありませんから不安の塊。多くの人はそれを口に出さず、夢ばかり語りますが、夢と同じかそれ以上に不安がいっぱいのはず。だからこそ友達を作りたいし、つるんでいたい。

そういう不安がとんでもない行動を引き起こすんですね。必要以上に仲良くなるのも不安が奥底にあるから。そしてその不安があるからこそ、ちょっとでも危険を感じるとその対象を徹底的に攻撃して排除しようとするんですね。これは人間の本能に根付いていることですが、私は絶対にそれを認めてはならないと思っています。

グループづきあいをしていて、あるいは日本人の村社会の中から特定の人を排除しようとしたら、その人はどうなると思います?

もうそこには住んでいられないってところまで追い込まれるんですね。死刑判決と同じです。でも排除する方は「そんな人間は居ないほうが良い」と本当に信じているんだからどうしようもありません。

20年以上も海外にいますと、まぁ、こんな事件はイヤってほど経験しましたし、前の日記にも書きましたが、うちのヨメサン自身もその標的にされ、親友からも裏切られたこともあって、ヨメサンはその後遺症から未だに抜け切れず、日本人大嫌い人間になっちゃいました。まぁ、ヨメサンのケースは極端ですが、たとえばマレーシアに遊びに行きますでしょ?で、日本人会館へ行こうって私が言っても、その会館に近づくことさえ嫌がります。また日本人の友達が欲しいなんて言ったことは一度もありません。

私はというと怖いもの知らずですから、私がその対象になったとしても平気ですし、そんな海外に出てまで日本人とつるんで生活しようとしている人たちと仲良くしたいという気は全くありませんから、そもそも問題も起きません。いや、問題はありましたっけ。でもま、細かいことはここでは割愛します。(笑)

実は私みたいに日本人同士でつるむことをしようと思わない日本人もかなりの数、存在するんですね。「なぜ海外に?」という質問に「日本人ってごちゃごちゃどうでも良いことに五月蝿いし、面倒だし、しがらみを持ちたくないから」というような人に何人かあったことがあります。聞いた私は日本人ですから、面と向かってそうはっきり言われると面食らうわけですが(笑)、でもそういう人たちの言わんとしていることはよく理解できますし、そういう人たちって、いわゆる「何人」で相手を見ていないってことなんですね。「日本人だから」とか「日本人なのに」という言葉は日常では出てこない言葉。だからそういう人の友人関係を見ても、非常に雑多なケースが多いと感じます。私はそこまでではありませんし、日本人大好きですから友人には日本人が多いですが、でもあえて日本人を選んだっていう意識はまるでありませんし、相手が何人でも付き合いたい人はいくらでもいます。

ま、日本人って集まると必ず村社会を構成する傾向があるってことですね。

そしてそこには大親分がいて、全てを仕切っていて、それに反発、あるいは指示を無視したら村八分になる。またこの村八分を強烈にやる人もいるのね。挨拶しても知らん顔とか、集まりにわざと呼ばないとか、そんなのは序の口。

そしてその大親分にはかならず子分がいるのね。この子分は親分の顔色ばかり見ているから、親分の気に入らない事が起きる前にそれを潰そうとするのが普通。たとえば親分がある特定の人を気に入らない様子を見せたりするでしょ。すると子分はその特定の人の攻撃を始めるわけです。また親分はそうなるのを知っているから、わざと子分に愚痴みたいな言い方をするのね。その時に何も気がつかない、行動を起こさない子分だと、いつかその子分も外されることになるわけです。ヤクザの世界と全く同じ

そしてですね、ここに大きな特徴があるんですが、

そういうことをするのはたいてい女性だということ。

男性って縦社会、上下社会、あるいはピラミッドの中でどう動くべきかよく知っているし、またそれに強い反発を持っていたりする人が多いと私は思うのだけれど、女性って簡単にそれに組み込まれてしまうのね。でもま、それも人間の本能かと思うのだけれど、日本人会とか大きなグループの中も趣味のサークルでも同じで、なぜか女性は上下関係を作ることが多いし、その中に自分の立ち位置を見出そうとする傾向が強いと思います。駐在員の「妻」の世界には良くある話。

こんなことを書き始めて、なおかつ事例を出したら、書き終わるのに何日も掛かるくらいいくれでも例はあって、きっとこれを読んで「うんうん」と頷いている人は決して少なくないんじゃないでしょうか。

大事なポイントは、そういう中に組み込まれるわけがないじゃないかと思っていても組み込まれてしまうってところなんです。

例えば簡単な例として、ネット上で知り合いになって、なんでも聞いてくださいね、困ったことがあればお互いに助けあいましょう。そういうグループを作っていますし、なんてのが一番危ないんですよ。日本人村社会そのものだと思ってまず間違いがないと思います。

連絡をしたら飛行場まで送り迎えをしてくれた。知り合いがいないのにパーティをやってくれた。あちこち連れてってくれた。

これって最初は感激しますよね。これは善意があるからだと思うし、やっている方も善意でやっているんでしょう。でもいつのまにか「アレレ?」ってことが起きるんですね。仲良くなってくると、あなたもそういうふうにしろというプレッシャーが存在するのに気がつくわけです。これは個人個人の善意が基本であるはずがいつの間にかおかしな方向へ動いていることがあるってこと。つまり親分の指示にしたがって、あの人を飛行場まで送ってあげてくれとか、パーティをやるんだけれど手伝いに来て欲しい(客としてじゃなくて手伝い)とか、そういう半強制的な指示が段々始まって、いつのまにかピラミッドの中の親分子分の枠の中の構成員になってしまう

手伝えることは手伝おうという心構えは大事だと思うのですが、自分にも都合ってのものがあって、そんなボランティアばかりやってられないじゃないじゃないですか。そういう時に、ピシっと断れる人なら問題がないのだけれど、女性ってまたそういうのに弱いのね。そもそも、自分もできることはしなくてはいけないと信じ込んでいるから最初は一生懸命協力するわけです。そしていつか親分の指示を優先する生活に変わっていく。で、知らないうちに子分となり、その内、そのグループの中で身分も上がっていく(笑)。そうなったら抜けるに抜けられないわけですよ。今更距離を置くなんてことは男性には出来ても女性にはなかなか出来ないでしょ。

こうして村社会は大きくなり強化されていく。そしてある日ある時、分裂するのね。あるいは飛び出す人が出てくる。そして飛び出た人はまた新しい村社会を作る。

これは自然なことなのかもね。

でもこういう枠組みに組み込まれないようにして生きてかないと

「一体何のために海外に出たのか」

ここがわからなくなるわけですよ。こういう村社会に疲れて帰国する人って本当にいくらでもいるんですから。また村八分にされて生きていけなくなったり。こんなことがいくらでもあるんですね。

オフ会で、あるいは歓迎パーティでお互いに手を取り合った仲間同士でもこういうことになるケースが多いってことです。

私は人と人の付き合いって、あくまで個人対個人であるはずだと思っていますし、その基本さえブレなければ何の問題も起きないと思うし、世界のどんな地でも相手が何人でも一生涯の友を得ることは可能だと思っています。

今日、書きたかったことは、日本人的村社会では「良いこと」に見えても、裏にはわけのわからん行動原理が隠されていることが多く、「何をするか」の前にその裏にある根本的なものが「本当の善意」に基いているのかどうか、「個人の尊厳や自由は確保できているのか」、そこをしっかり見て、その村社会なりグループの存在価値をまず確かめる必要があるってこと。表面的にはよく見えても内情はグチャグチャなんてグループはいくらでも存在しますから。

そしてそういう意味でまともなグループも間違いなく存在しています。でもそれは最初から見えるわけではないんですね。玉石混交の世界。不安に駆られ、慌てて変なグループに足を踏み入れ組み込まれたら大変なことになります。

そして大事なことは「たとえ自分や身内が村八分になるようなことがあったとしても、絶対に自分が村八分をする立場に立たないこと。村八分にも加担しないこと」。これが何よりも重要だと「私は」思っています。村八分にならないようにするのは簡単なんですよ。お調子こいてりゃ良いんですから。

夢ばかりで胸が膨らんでいる方は是非お気をつけますように・・・・・。日本人村社会って怖いですよ~~。今、そんなことで悩んでいる人もいるでしょ? (笑)

良く、海外に出たばかりの人やあるいは予備軍が、現地に長い人に対して「先輩」っていい方をするケースがありますよね。まずそれをやめることが大事だと思っています。国内も国外も普通に生活するのに先輩も後輩も無いじゃないですか。でも先輩なんて呼ばれると、何かしないとまずいとその人も思うようになるんですね。これがまた余計なわけで災いの元になる。

そもそも、不安は自分で解消すべきものであって、何かに、それはグループでも個人でも、それに頼ろうと思う自分がいたらそういう自分を戒めることが最も重要なんじゃないでしょうか。

 

     
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