朝まで親子討論会

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昨日の夜、何時頃だったでしょうか。息子たちからスカイプに呼び出しがありました。

3人でスカイプをしたのですが、その内容は「ダボ家の将来」。今思うと面白いと思うのですが、親の私からそれを話しあおうというならまだしも、子供たちから私が呼ばれた。(笑)

延々何時間話したでしょうか。気がついたら夜が明けていましたから6~7時間かな?

もしかしたら男三人集まってこういう真面目な話題をこんな長い時間真剣に話し合うのは初めてのことかも知れません。我が家は子供たちが小さい頃から親子の壁とか敷居ってなくて、何でも話し合う家でした。「子供は親のいうことを聞け!」という感じはなくて、私は逆に「考えないで親に着いてくる、一見素直な子供」になるのが怖かったんです。ま、子供だってそれが嬉しいわけもありませんが、私が育った環境はそれを強要されましたので、自分の子供は違うように育てようと思っていました。

「お前はどう思う?」と小さなことでも意見を聞いたし、私はそれを聞くことによって彼らがどう育っているのかをチェックするというパターンでした。

というかオーストラリアで育つと自然に「自己主張する」ようになるんでしょう。学校ではディベートの授業もかなりありますし、中学時代から宿題は正解のないような題材に関するレポート提出が主でしたから、嫌でも自分で考え行動するようになる。「これを覚えなさい」という教育じゃないんですね。

逆を言うと、日本みたいにあれもこれも積み込みませんから、「こいつら馬鹿か」と思うくらい物事を知りません。歴史にしても社会にしても我々日本人が常識として知ることを彼らは全くと言って良いほど勉強しないんですね。嘘だろ?と思うくらい知りませんし、非常識も甚だしい(笑)。知っていて当たり前どころか、知らないのが当たり前。

ただ教育の焦点は「Problem solving」のみと言っても良いくらいで、問題解決能力を育てるんですね。知識を増やすのではなくて、「問題を見つけて」「それを解決する能力」を磨く。これをありとあらゆる学科でやるわけです。ですから広く浅くではなくて、ピンポイントで思いっきり深く学ぶという感じでしょうか。だから一見「何も知らない馬鹿」に見えるのですが、知っていることに関しては異常なほど深く理解しているんですね。オタクみたいなもんです。(笑)

これで大丈夫かよと思ったことは何度もあるんですが、いつの頃からか、これが本来あるべき教育だと思うようになりました。人生って勉強の連続で止まるところがないわけですが、子供の頃に覚えた「知識」なんて所詮何年何十年も経つと全く利用価値がないじゃないですか。大学とて同じで、自分の時代を思い出しても「今通用するものは何もない」ぐらいに私は感じます。ま、「花の商学部」と揶揄されるような勉強しかしなかったからかもしれませんが(笑)、知識というのは常に更新されるべきもので、古いものは役に立たない。

だから「知識がなくても良い」という理屈も成り立つのかもしれません。その代わり、「何が問題かを見つけ」「それをどうやって解決するのか」の素養があれば、自分の周りに起こること、あるいは興味が有ることに関してはどんどん進んでいけるんでしょう。

だから「習ってません」という言い訳がないんですね。問題を見つけ、それを解決するのに必要な知識をどう手に入れてそれをどう使うべきかわかっていれば臨機応変どうにでも生きていける。オーストラリアの教育はそれを狙っているんだろうと思います。だからマルバツ式の勉強もしない。

そんな中で育った息子たちは自分の意見をしっかり持っています。そして面白いと思うのは、それを相手にどう伝えるかも知っているんですね。そして相手の話も冷静に真剣に聞く。それって相手のためじゃなくて自分のためなんですね。自分が一歩前進するために相手の話に注目する。これに関しては親の私よりまだ20代前半の彼らのほうがはるかに進んでいると思うわけで(笑)、感心します。ディベートも徹底的に仕込まれていますから、まず日本人なら感情的になって話は決裂になるところでも、冷静に穏やかに話を進める。相手の理解度や感情を見ながら、淡々と話を進めていく様は凄いと思うくらい。オーストラリアで育ってよかったと思う瞬間です。

その点、私はなんだかんだ言っても「日本的」で内容によっては受け入れられないとどうしても感情的になってしまうのですが、それを子供たちが「まぁまぁ、話は聞いてよ」となって、親子が逆転しているように思う一瞬もありました。(笑)

延々スカイプで話をする中で、もちろん話題に集中するのは当たり前ですが、私はやっぱり親として、そして彼らが小さい頃からそうしていたように、「論理構成に破綻はないか」「こじつけはないか」「自己中心的ではないか」そんなことを気にしながら彼らの言うことを聞いていました。

やっぱり「まだ若いなぁ」と思うところはたくさんあって、「理想論」「理屈」が多いんですね。でもそれは単なる「夢」であったり「屁理屈」ではなくて、自分たちが向かうべき現実的な道としてそれを捉えているのは大したもんだと思ったくらい。これは私の力では子供をそう育てることはまず不可能で、オーストラリアの教育がそうなのだろうと思いました。やっぱり訓練の結果なんでしょう。

話の内容として「どうしても受け入れられない提案」も子供たちから出てきたのですが、理屈で考えればそれが正しいと思うところもあって、でも親としての立場、感情、しがらみなど色々ありますから、親の私としてはそれは出来ないと結論づけた内容もありました。すると彼らは「じゃ、僕達がやる分には良いのね?」という話の展開。

そりゃ本来私がやるべきことを子供が代わりにやってくれるならこれほど嬉しい(楽というべきか)ことはないわけで、「お前たちがやってくれるならOK」という結論。

ま、面白かったです。普通の日本人と話しているのとは全く違う展開ですし、我々夫婦間でもどうしても意思疎通さえ出来ない内容っていくらでもあるわけですが、そういう問題が子供によって解決されていくという経験はもちろん初めてですし、彼らが主導して今後解決するべき我が家の事柄も決まりましたし、こんな実りのある話し合いができたって自分の経験上少ないし、ましてやその相手が我が子であるというところが面白いと思いました。

振り返ってオーストラリアを考えてみると、私の知っているオージーの中には感情的になってわけわからないことを言い出す人はいません(いや、やっぱり居るわ。笑)。みんな穏やかで、しかししっかり主張はするんですね。当り障りのない話で友人関係を良好に保とうとする日本人とは発想が違うのが良くわかります。腹の中では何を考えているのかわかりませんが(笑)、表面的には話がどんどん進むので面白いんです。日本人ならお茶を濁したり、話題を変えるような場面でもそういうことがない。

あああ、これがオーストラリアなんだとあらためて思いました。やっぱり来てよかった。開いててよかったセブン-イレブン、いい気分。 (笑)

ただちょっと気になることもありました。長男は内向的で私と似ているんですが(笑)、「日本人であること」に関して話をしていた時、「自分は日本人なのは間違いがないけれど、日本のことを何も知らないばかりか、思考回路、感情の動きそのものが日本的ではないのが自分でもわかる」というのです。

これは日本に対してあるいは日本人に対して「違和感」、「異質なもの」を感じているということで、それはそうだろうと思うのですが、いつの日か、それが原因でアイデンティティの崩壊が起きないと良いのだけれど・・・・、そんなことを思いました。

どちらにしても、男三人、それぞれ自分の道を歩いていくわけですが、その中心に「家族」「ダボ家」があって、普通なら好き勝手に生きてくはずの子供たちが「家の問題」、「家の将来」を自分の問題として真剣に考えてくれているのは「間違いなく日本的」で、うまくやった、シメシメと思っています。 (笑)

実はですね、あいつらが小さい頃からずーっと刷り込んで来たことがあるんですよ。「お前には苗字とファーストネームがあるだろ?お前がその苗字を名乗る限り、お前自身はお前だけのものじゃなく、家の一部であることを忘れるな」と。普通親は子供が巣から飛び立つのを喜ぶと思うのですが、私は逆に、「家に縛られるのが当たり前」と言ってきました。これは個人主義が発達しているオーストラリアでは、親は親、子は子で縛られる関係があってはならないとう思想が強すぎると思ったから。

彼らもその辺はちゃんと理解していて、彼らの友人の中には中国人もごっそりいるわけですよ。そして彼らがいかに「身内」を大事にするかよ~く知っているんですね。他人でも親しくなって「身内」になるととことん面倒を見るんだそうです。これはニコニコ笑って一定の距離感を常に保つ日本人とは違って素晴らしい習慣だと彼ら自身が言いますので、その辺はうまく行ったと思っています。そこに関しては現代の日本人以上に日本的かも。

男3匹、力を合わせれば解決できないことなんかないと感じた、親としては最高の幸せな討論会でした。

そこに約一名入っていない人が我が家にいるわけですが、「お姫様はお姫様で良い。しょうがない」というのが息子たちの結論。逆に私はあいつらに諭されまして、「オヤジ、どうして欧米ではレディーファースがあるのかよーーく考えてみてよ」「どうして一番最初にアイラブユーというのか」ですとさ。

これに関しては私は今でも違う!と思うところがありまして、「感情に支配される女性」という決め付けこそが男尊女卑の思想であって、感情に支配されているのは男も同じだということに彼らはまだ気がついていないんですね。自分の感情の動きを男は「理論武装」するのが上手いだけ。

ただ息子たちが根本的に日本人と違うと思ったところは、日本人は「過程」を大事にするんですね。そして「どうあるべきか」を常に考える。でも息子たちは「結果優先」なんです。「実利主義」とでも言うのでしょうか。結果が良ければ途中経過、その中にある本質的な問題には目をつぶるんですね。「女性はおだてておけば全てうまく行く」という考え方はやっぱり浅い考え方だと感じます。

また女性には「理外の理」というのがあって、理解に苦しむ言動があるにしても、実は男には解決できない問題を女性はあっさりと解決してしまうことがあるのを彼らはまだ知らないのね。やっぱり男と女ってうまく出来ているんですよね。どちらが主導権をとっても問題があるんでしょう。

ま、時間も長かっただけに様々なことを話し合いましたが、今までは全部私の肩に掛かっていたことが半分程度は彼らに肩代わりしてもらえるのがわかりましたし、私としてはホッとしていますし、なんとも言えない温かいものが心のなかに広がっています。親にとって一番嬉しい事は子供が大人になって、そして親さえも追い越していく姿を見ること。子供に「負けた」と思うこと以上の幸せってないですよね。

グズグズするばかりで進展のないマレーシア行きですが、マレーシア行きの日程、手順、問題の解決方法、それら全て彼らが決めることになりました。私はそれに従うだけ。

神様に感謝しなくちゃだわ。 (笑)

 

 
    

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