日本でもとうとう「感染経路がわからない感染者」が出てしまいましたね~。日本は大丈夫だろうと思っていたけれど、甘かった。
ダイアモンドプリンセス号も「ミニ武漢」状態だという評論家がいたけれど、私もそう思う。
「感染を広めない為には【隔離】が重要」なのはわかるけれど、隔離された中で、そして十分な医療、感染防御措置が行われなかったら何が起きるのかは「武漢を見ていればわかる」わけで、それがダイアモンドプリンセス号で起きたと言ってもよいんじゃないですかね。
本来なら「全員下船」で、なおかつ「個別隔離」をして【経過を見る】のがベストのはずだけれど、それはしなかった。いや、出来なかったというべきか。法律的な問題、検査機関のキャパの問題もあるんだろうけれど「初期の全員検査」もしていないってのは納得がいきません。そしてそもそも「3000人を超す人たちの【隔離施設】がない」ってことを我々ははっきり見せつけられたような気がします。チャーター便の帰国者の数百人でも大変だったわけでし。
しかし、「感染経路が確定できない感染」って困りますよね。これじゃコントロールのしようがない。
SARSの場合は、感染すると「重篤な症状が出た」ので感染者を見つけて隔離するのは「コロナウィルスより簡単」で、それでパンデミックを防げたという話を聞きました。
でも今回のコロナウィルスは、「全く自覚がない感染者」「風邪を引いたかな?レベルの感染者」が世界中を闊歩しているのはもう疑いの余地がないと思います。
でもそれは12月1月も同じで、そうなっている割には「感染は広まっていない」と思うのは今までも書いてきた通り。異常なのはやっぱり武漢・湖北省だけで、中国の他の都市でも同じことが起きてもおかしくないのにそれは起きていないし、各都市の感染者数の増加は私は少ないと思うくらい。そしてその数字は間違いなく減り続けている。
この点で、私は中国の対策を評価しても良いと思っていて、「そこまでやるか?」と思うような予防対策が取られてきたし、また政府を信用しない国民性もそれと相まって、「自己防衛意識が高い」と思う。
こういう時には「人権も無視する独裁政権の強み」があるんでしょうねぇ。有無を言わざす「強制」で処理していくんですから。
「私達は大丈夫です」なんて本人が言っても関係ない。平気で連行して隔離してしまう凄さは他国ではありえないでしょう。「嫌だーー」と泣き叫ぶ家族を家から強引に連れて行く動画があったのだけれど、あれは衝撃的でした。今、その動画を探しても見つからない。
しかし私は感染が恐ろしいことになっているのは武漢・湖北省だけという考え方に変わりはなく、北京も上海も「なぜ感染者が爆発的に増えないのか」不思議に思っています。
でもそんな北京でも道路は消毒するわ。店は閉まっているわ。会食禁止になるわ。通行制限はあるわ。集合住宅の出入りも制限されだした。
北京で確認されている患者数は2月12日現在で366人。その日に感染が確定したのが14人。死者の累計は3人。
私はこれって一桁、いや二桁違うんじゃないかと思うのですが・・・・。今の日本はこの数字を超えそう。上海は感染者318人。死亡者は1名。もうすぐ日本と逆転するんじゃないですかね。日本は中国みたいな徹底的な予防策は取っていないんですから。
こういう数字がインチキである可能性もあるとは思うのですが、中国各地で「感染封じ込め」は徹底しているのは間違いがないですね。
アメリカも初動も早かったし、やることがえげつないほどの規制も始まった。オーストラリアも同じく。
でも日本は違う。
この差ってなんなのかと思うんですが、アメリカやオーストラリアみたいに人権に関しては半端じゃなくうるさいとことでも厳しいことをやっている。
私が思うに、彼らは「これは戦争だ」という意識が高いってことじゃないかと思うんですよ。
コロナウィルスの感染者って「大量の自爆テロの容疑者が世界に散らばった」のと同じだと考えてみると、そりゃ真剣にやらざるを得ないし、人権に制限が付くのも容認されるんじゃないですかね。
でも日本は違う。
戦争が起きて「空襲警報が発令され」「自爆テロも頻発」しているのに、国民は、政府はのほほんとしている、みたいな。これって日本が世界で唯一の被爆国なのに「核シェルターがない」し、「核を使える権利を有するのは日本のみ」という主張もしないし、これって「海外目線」で見るととても不思議な国だと思うんです。
爆撃機が攻撃に来ているのに、逃げようともしない。そしてそもそも「防空壕がない」。
やっぱり安全保障に関して真剣な国って、こういう疫病が出たときも対応が違うのを見せつけられたような気がします。
世界に散らばった感染者は「本人にその意識があろうとなかろうと【テロリスト】と同等の危険性がある」という考え方は大事で、国家の安全保証を考えたらそれが当たり前かもしれない。
中国のあの異常なほどの感染対策って、まさに「戦時下の統制」と同じ様に見えてくるんですよ。そしてその方向性はアメリカもオーストラリアも同じ。
「いやいや、ダイジョブっしょ」という意識が普通の日本。これはいつでも同じで、常に何か起きても「対岸の火事」じゃないですか。
これはマレーシアも同じ。皆さん、幸せそう。
でも隣のシンガポールではどうなっているのか。それをしっかり見るのも良いんじゃないですかね。
シンガポールも安全保障は真剣な国だし、「明るい北朝鮮」なんて揶揄されるぐらい規制が厳しい。
でもそれって「国を守る」という政府、国民の意志の現れだと思うんです。
そのシンガポールでは(日本のクルーズ船の感染を計算しなければ)「世界一の感染者」となった。
シンガポールに近いジョホールバルでは緊張感があるようだけれど、クアラルンプールには全く緊張感が見られない。
政府もどうするつもりなのか私には良くわからないのだけれど、まず住民に緊張感が無い。
これもそれぞれの勝手だから構わないのだけれど、そういう緊張感のない人が新たな感染源となって他人を死に追いやる可能性も考えないと駄目だと思うんですよ。
「私は安全か?」ではなくて、「私がスプレッダーになることはないのか?」という視点が大事だと思う。【自分を守ることが他人を守ることに繋がる】ことを真剣に考えて欲しいと、昨今のクアラルンプールを見ていると感じます。病弱者や年寄、妊産婦を抱えている家庭もあるんだから。
感染経路のわからない感染者がクアラルンプールに5人、10人と増えたら大慌てするのだろうけれど、全くその可能性を考えない人たちってなんなんだろうと思う、今日このごろ。
「全く、ダボは神経質だから~~~~~」って声が聞こえてきそうですが、私にしてみれば「愛する人をどうやって守るか、危険な目に合わせないようにするか」ってことだと思うんですよ。
「津波が来るから避難してください」「いやいや、大丈夫でしょ」VS「我が家は避難します」ってのと全く同じ。
こういう私もまさかクアラルンプールやモントキアラで感染が拡大するなんてことは「想像できない」んですよ。でもやるべきことはやるって感じでしょうか。「何もなくてよかったね」という結果が欲しいけれど、私はそれを「運に任す」ことはしたくない。
ま、そんなことをこの数日、考えていまして、意外に「終息が早いのは中国かもしれない」なんてことも考えています。
武漢・湖北省に関してはまだまだこれからで、感染者も死亡者も増えると見ていますが、各都市では感染者数が減っている兆候は間違いなく見える。それって人権や経済を無視して「強制的な防御態勢」を敷いているからだと思うんです。
でもそれと同等のことは、諸外国では出来ない。それは日本もマレーシアも同じで、感染が広がった場合は中国の他都市より酷いことになるのは間違いないと思っています。(武漢・湖北省ばかり見ていたら何もわからない)
読者に教えてもらった「中国の各都市の状況がわかるサイト」ですが、これを見ていると、(この数字が本当だとしたら)世界で報道されていることと、中国内の現実にギャップがあるのを感じます。
そしてパンデミックにはなっておらず、感染者も減少している各都市でも半端でない防御策を取ってる。
だから中国の情報を見る時には「各都市はどうなっているか」を見ないと駄目だと思うんですよ。
でも見てもしょうがないかな、と思ったり。どうせ日本もマレーシアも、中国各都市みたいな徹底的な防御策は取らない、取れないはずですから。
------- おまけ -------
多くの専門家がそれぞれの立場でいろいろ言っていますが、この専門家が言うことはちょっと毛色が違っていて、しかし真髄を突いているのかな、みたいな感じを受けました。
ゲスト:医療ガバナンス研究所 上昌広氏
司会:松田政策研究所 代表 松田学
------- おまけ -------
タクシードライバーが感染、義母が死亡したのはこういうことらしい。東京都庁の会見による。(まだ確定ではない様子)
武漢からの中国人 → 屋形船の従事者(感染) → 屋形船でタクシー会社新年会 80人参加 → 参加した他の二人が感染
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タクシーのドライバーが参加(感染) → 事務所での接触か?
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奥さん (検査拒否?)
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お母さん(感染し、死亡)