マレーシアの「コロナ」はそろそろ終わり?楽観して大丈夫かな?日本は?

マレーシアは善戦していますね。大したもんだ。正直なところこんなふうにうまくいくとは思っていませんでした。

私は「治療中」「ICU」「人工呼吸器使用」の数字が一番気になっていたのですが、あっという間に減った。

治療中の患者が1000人以下になれば・・なんて思っていたらすぐに100人以下。

ICUが二人、人工呼吸器が二人って、これってICUで人工呼吸を装着ってことで合計二人なのかな?

入院患者もあと数日で一桁になりそう。

まぁ、どちらにしても凄い。大したもの。

で、そろそろ終わるのかな?みたいな気もするのだけれど、世界のコロナの感染状況を見ていると「たった一人から感染が広がる」ことがあるのははっきりしていて、油断をすれば毎日100人以上の確定感染者を出している東京と同じことが起きるんでしょう。

マレーシアの場合、私が気になるのは「礼拝」なんですよ。これは初期の頃にスリペタリンで行われた宗教行事で大量感染者を出したのも同じで、礼拝って「三密」どころじゃないですよね。

特に私が気になるのは、「信者たちは【床に接触する】」という点。

コロナがどういう経路で感染するかに関しては、私は「人から人」ではなくて「物を介して感染するケースが多い」と思っていて、それはレストランのテーブルであり、接待業も同じでお酒のボトルやグラス。

そして「飛沫の大部分は地面に落ちる」わけで、地面や床が何よりも危ないと思っていました。日本の感染者数が少ないのも、日本は靴の外履き内履きを分けるし、一般家庭では「外のレッドゾーン」と「家の中のグリーンゾーン」が構造的に遮断されているのも良いと思っていました。

そういう意味で、モスリムの方々のお祈りを考えるとゾッとするんですよ。

床、あるいは地面に座って、そして手も頭も床につける。裸足で歩き回る。

これって床に落ちている飛翔、ウィルスを拭いて体になすりつけているのと同じだと思うわけです。なおかつ三密状態。

上の写真を見ても、もしこの中に「たった一人の感染者」がいただけでも怖いことになるんじゃないかと思う。

三密は仕方がない、物や床からの感染も仕方がないとした場合、感染者がごく少数でも大きく感染は広がるはずで、Social distancingじゃ、手を洗え、マスクをしろなんてのは意味を成さないんじゃないですかね。

マレーシアの今後ですが、私が気になるのはこの部分だけで、RCMOも解除された後でも個人個人が気をつけていれば問題はないんじゃないかと楽観しています。

私は基本的には「自己責任論者」ですから、これを口に出せば非難轟々だとしても「行動制限はする必要がない」「政府の経済的援助も必要ない」と考えているのは前から書いている通り。

でもそれって「自分を中心に考えた場合の極論」で、全体を見たらそれじゃ済まないのは当たり前で、政府による強制力がある行動制限、そして影響を受ける人達を放置するわけには行きませんから「経済的援助」も必要。

でもどの国もそうだけれど、本音のところでは「自己責任」ってのが見え隠れしているように私は感じます。日本みたいに強制力のない行動制限もそうだし、焼け石に水でしかない経済的援助も同じで、「自分自身で行動を考え、生きる道を探してください」というのが政府の本音だと思うわけです。

でも日本って「協力してください」って政府や自治体が「頭を下げる」のね。私はこれに強い違和感を感じていました。これって「コロナの感染の責任は【誰にあるのか】があやふやになる」んじゃないですかね。また批判や要望は政府や自治体に集中する。「文句があるならコロナに言え」と私はいつも思っていました。

本来は「皆さん一人一人がどうするべきか考えることです」というべきだし、政府や自治体こそが【協力は惜しみませんから】というべき立場のはず。これはコロナのせいで経営が傾いた企業や店舗、収入や職を失った個人も同じで、「リスクコントロールに問題があったんじゃない?」と私は思っています。

これって厳しい言い方だけれど、過去も現在も未来も変わらないことだと思うんですよ。「客が来ないから潰れた」「会社が倒産したから」「リストラされた」なんてのは、私に言わせれば「円高になったから」「病気になったから」「事故にあったから」「会社の金を持ち逃げされたから」「離婚をしたから」とか、そういうありとあらゆる【理由】と「コロナが来たから」も同じだと思っていて、「常に自分は危険にさらされているという自覚」があるのか、無いのかの差でしか無いと思っています。

なぜ今更、こんなことを書いているかというと、「これからがまさに正念場」だと思うから。

日本がその段階に入ったのは見えるわけで、西村大臣の「もう誰も緊急事態宣言、休業やりたくないでしょ」発言にはびっくりしました。これって「政府に出来ることはもうありませんから、皆さん、それぞれが頑張ってください」というのと同じ意味。

私自身は何度も書くように自己責任論者ですから、行動規制があろうとなかろうと「やるべきことは決まっている」わけだし、「いつまでも政府が経済援助するわけがない」と思っていますから、【来るべき時が来た】と思うだけ。

でも世の中には「自己責任で生きることが難しい」人たちが大勢いるわけで、弱者も少なくないし、そういう人たちまで「自己責任だろうが~」で済むわけがない。でもそういう人たちは「放置される」、そして「格差は益々大きくなる」時代に突入したと感じる今日このごろ。

国も自治体も助けれくれない。他人も同じく。「弱肉強食」。これが「世の中の真相」だと私は常々思っていて、それを「誰しもが目のあたりにする時代」になった。

だからこそ私は「家族主義」を大事にして、「自己責任の時代は家族が団結するしか無い」という考え方で生きてきたし、将来もそうするつもりなわけです。そしてその土台作りのためにマレーシアに来たのはいつも書いている通り。

アメリカの感染が酷いことになっていますが、あれは「コロナの変種」かもしれないと言われているし、中国では「新たなインフルエンザウィルス」が発見されたというニュースもあった。

私達は「コロナの脅威も早く終われば良い」と願っていますが、もしかしたら「これは新しい時代の【幕開け】かもしれない」という考えたくないことも考えないとならないはずで、そういう時代に突入するのは数年前から「科学者、専門家が警鐘を鳴らしていた」じゃないですか。あのビルゲイツも「これからは戦争ではなくてウィルスとの戦いが人類の大きな課題となる」と言っていましたよね。

「嫌なことは早く忘れたい」のは誰も同じだけれど、現実を見据え、将来を想像し、いかに「リスクをコントロールするか」を真剣に考えるべきで、「何もない平和な時代」を基準とした生き方、仕事の仕方、収入の得方をしていると「何かが起きた時に、いの一番に白旗を揚げる」ことになる。

でもこれもまた、いつの時代も、どんな業界でも全く変わらないんですよね。

綺麗なお花畑を見ると、私達は「綺麗だなぁ、平和だなぁ、良いなぁ・・」なんて思うじゃないですか。でも実はあの世界では「熾烈な生き残りの戦い、殺戮が行われている」わけで、その中で勝ち残った花たちが「私達、綺麗でしょ?」とアピールしているだけ。

そろそろコロナ騒ぎも終わりそうに見えるマレーシアでそんなことを考えていました。

 

No tags for this post.