海外移住先のトップとしていつも話題になるのはマレーシアですよね。
でも私はこれにはずーっと違和感を感じてきました。実態と違うんじゃないかと。
でも我々が話す時の「海外移住」ってその言葉本来の意味とはちょっと違っていて、主に「退職後の長期滞在」という意味なんですよね。当然、仕事をそこでするわけでもなく、収入をそこで得るわけでもなく、永遠にそこに住むわけでもなく、また退職者、年寄りではないにしても【長期間、遊びに行く】、あるいは【短期間の子育て】が主目的。
いわゆるロングステイ。
だから情報を得るのは「ロングステイ財団」であり、ロングステイ財団は「ロングステイ中心」であって「移住、永住」を勧めたりその情報を提供するわけではない。
これはこれで良いと思うんです。ニーズにマッチしている。
ただロングステイでも「移住」という言葉を使う人が多くて、ややこしいなぁと思うわけです。かつては移住とは呼ばれなかった行動が今では移住と一緒になって語られるわけで、「同じことを考えている者同士」なら良いんですよ。でも昔からある「移住、永住」を考えている人たちは混乱するのね。
「海外ロングステイ」と「海外移住」は違う。私の周辺では「移住」という言葉は「永住、移民」と同意語で使われていました。私達家族もそうですが、親戚にも海外に移民した者は多く、海外に私の従兄弟や再従兄弟は結構います。そもそも昔は移住と言えば、横浜から船に乗って日本を旅立つのが普通で、横浜港で長いテープをお互いにつかみ、二度と会えないかもしれないことに涙したんですね。当時でも数年、海外に出て仕事をする、留学をすることはありましたが、それと移住とははっきりとした区別があったと私は思っています。
でもロングステイ(長期旅行、長期滞在)するために「引っ越し」をするのを移住と呼ぶのが一般的になってしまった。横浜に引っ越しをするのに「横浜に移住しました」とは言わないのに、なぜか海外の場合だと移住という言葉を使う。でもその場合、移住する人を移民とは呼ばない。不思議です。移住とは行動であり、それを行う人は移民なのに、「移住しました」とはいうけれど、「私は移民です」とは言わない。
「留学」も実は同じで、「ある一定期間、海外で勉強する」ケースが留学ですが、この場合は、「日本にいつか帰ってくるのが前提」なのが普通。ところが家族で、あるいは母子だとしても「将来的にその国に永住するつもり」で出ていく留学もある。そしてややこしいのは、近年は「2週間の海外での勉強」も留学と呼ぶようになってしまった。
またかつては「語学留学」というのもなくて、語学を学ぶのは「留学の前段階」だったのね。だから「留学経験があります」という人に「学部は?」と聞くと「語学留学です」という返事が返って来ることはかつてはなかった。ましてや今は二週間でも留学という時代。
やっぱり「移住」とか「留学」という【言葉になんらかのパッションを感じる】のが心の中にあるわけで、それを業者にうまく利用され乗せられている実態があると思っています。これってかつて「憧れのハワイ航路」とか「洋行帰り」という言葉があったのと同じで【憧れみたいなもの】を感じる人が多いからだと思っています。でもそれが混乱を招いている。
「留学」というキーワードで、将来、海外で科学者の学位を取ろうとしている人と、二週間の語学を勉強しようとする人は話が噛み合わないし、「移住」というキーワードで家族でカナダに移民しようとする人と、老後の数年間を海外で遊ぼうという人とにも共通点はない。
そもそも「移住者」は英語で「immigrants」ですが、もし「長期滞在ビザ(MM2H含む)」や「就労ビザ」、「留学ビザ」である国に渡ったとしても、法律上は「immigrants」ではないわけです。本人は「移住してきた」と思っているとしても、もし警察やイミグレに行って、「私は移住者(immigrant)です」と言ったらかなりややこしいことになるはず。下手をすれば「虚偽の申告」となるかもしれない。国によって違うと思いますが、これらのビザは「短期滞在ビザ」のカテゴリーに入るはず。
また「immigrantです」と言った場合、当然、永住権やすでに市民権(国籍)を取っているのが普通で、相手は「就労の自由」も「社会保障を受ける権利」もあるのを前提に考えるはず。「PRは持ってる?」と確認されるケースが多いと思いますが、「PRって何?」「Permanent residence?永住権?それは持っていません」なんて答えれば、「君はimmigrantでは無いじゃないか」と言われるのが関の山。
少なくとも海外で生活をしているなら、「自分は移住した(immigrant)」というべきかどうかは知っている必要があると思います。それとも英語の時には「私は移住はしていない」というのだろうか。
本来「移住」と言った場合、かつてハワイやブラジルに多くの日本人が渡って行きましたが、彼らが移住者でありimmigrantなのね。
日本だってもし中国人の留学生が、「私は日本に移住しました」と言ったらそれは違うと思うでしょ?引っ越しと移住は全く違うわけですから。また2週間の日本語研修に来ている外国人が「私は留学生です」と言ったら、聞いた方は勘違いするじゃないですか。また海外に住む日本人の駐在員がたとえ10年滞在しても「私は移住しました」とは言わないのはなぜかってのも考える必要があるはず。
でも今の日本での「移住」や「留学」という言葉の使い方では、それは間違っていないってことになるのね。これってビザや法律用語を気にしないからこういうことになっているのだと思いますが、
「全く違うことを考えている人」「全く違う滞在ステータス」が最近はごちゃまぜになっているのを感じます。でも法律的には昔から変わらず「違いがある」のね。
こういう状態で、まともに情報を探そうと思うとどうなるのか。ここが問題。
ロングステイをして数年、遊ぼうと思っている人は「国籍を取るまでの手順」「社会保障の明細」なんて興味はないし、逆にいわゆる移民を考えている人は「退職者用滞在ビザ(MM2Hもそのカテゴリー)」に興味はない。
今、これを読んでいる多くの方は「ロングステイ」を念頭に置いているのが普通だと思いますが、今の時代でも「海外に拠点を変えて、そこの住人として未来永劫住むつもり」の人たちは決して少なくないわけですが、一体、こういうケースはなんと言えば良いのか。情報を調べる時の「キーワード」はなんだと思います?
今、こうやって書いている私でもどう書くべきがわからないのです。かつては「海外移住を考えています」といえばすぐ通じたのが、今では数ヶ月ロングステイで遊びに行こうと思っているのか、数年は住むつもりなのか。それともその国に根を張り、仕事もし、その国の人達と同じように生活し、将来的にはその国の市民となる(国籍の変更)も視野に入れているのか。そういうのが全くわからない。
実は今日、なんでこんなことを書いているかというと、見知らぬ方からメールが届いたんですよ。「海外移住に関して記事を書いて欲しい」と。
でもここでいう「移住」ってどういう意味なのか私にはわからないのね。
年寄で海外ロングステイしか頭にない人なら、「ああ、海外のロングステイね?」って思うはずだし、海外に拠点を移し「昔で言う移住」を考えている人は、「移民」(この言葉のほうがわかりやすいけれど、これはほとんど死語)を前提に考えるはず。
だから「海外移住に関して記事を書いて欲しい」と言われても私には全くわからないわけです。(書くつもりもありませんが)
ということで、その人のサイトに行ってみたのですが、そこでまず目に飛び込んできたのが、このグラフ。
国別ではオーストラリアがトップですが、アメリカの場合はハワイが別になっていて、ハワイもアメリカの数字に入れるとアメリカがトップとなる。
これを見て、私はロングステイじゃなくて「いわゆる移民」を考える人のアンケートかと思ったんですよ。なぜならこういう結果は昔から同じだから。
ところが内容を読んでみると・・・、書き出しがこれ。
仕事を退職したら、日本から海外に移住してのんびり余生をすごしたい。自然豊かなところで、ゴルフやショッピング、ビーチを散歩したり、おいしい食事をしたりと一度きりの人生日本以外で生活してみたい。
このような夢を描いている人も少なくないでしょう。
ましてやブログのメインテーマは「英語学習」。
このブログの主は「海外移住にもいろいろある」というのを全くわかっていないと思いました。ましてや私に記事を頼むなんて、このブログをちゃんと読んでいないのがすぐわかる。(笑)
このアンケートも実際に行こうと思うというより、「私の夢としては・・・」みたいなレベルなのかもですね。
世の中は「海外ロングステイが流行している」のは間違いがありませんが、あれもこれも一緒にして語られるこういうサイトが益々混乱を大きくしていると思います。
「そもそも移民なんて考えるのは少数派だろうよ」という声が聞こえてきそうですが、例えばオーストラリア、カナダ、そしてアメリカに行くと全く状況が違うのね。「永住権を取得してその国に住み続けたい」と思う人の多さにびっくりするはず。逆に「ロングステイをしたいんだけれど・・・」という人のほうが少ないかもしれない。というかそういう人たちは「金持ちの道楽」であり、かつ「旅行者と同じカテゴリー」なのね。
実際に、海外に出た「移民」の総計と、今現在ロングステイをしている人の総計を比べたら、圧倒的に移民のほうが多いはずなのね。海外に住む日本人で永住権を持っている人達だけで100万人以上いる。そしてそこには「日本の国籍を捨てその国の国民となった人たち」はカウントされていない。
もしオーストラリアに行って、日本人に会って「移住を考えています」と言ったら、まず「ロングステイの意味じゃない」と相手は考えるのが普通です。
そういう情報がごちゃまぜになっている日本の状況を見ると、大事な情報が埋もれてしまう。そして「どういう情報が必要なのかそれさえもまだわからない段階」の人が、これらの情報でどのように影響されるのか。
実は我が家はオーストラリアへの「移民(あえてこの言葉を使います)」を考えてオーストラリアに渡ったのですが、事前に情報を集めている時に「(ロングステイである)退職者用の短期滞在ビザ」の情報に振り回されました。そして「遊んで暮らす長期滞在」と「その地で根を張り生きる」場合に知るべきことって全く違うわけですが、それも最初はよくわからないわけですよ。せいぜい、物価は?治安は?程度のことしか考えない。子供がいれば教育のことは徹底的調べますが。
そして遊びに行く人は夢みたいなことばかり言うのが世の常ですが、その地で生きるとなれば話は全く別。これが意外にピピッとわからないのね。永住権がないとどれほど困るかってのも良くわからない。こういう私自身も「夢みたいな話」に随分引きずられて、「そういう国なら移民しても良いかもしれない」と思ってしまった部分は間違いなくありますから。
でも現地に来てみると、遊びできている人と仕事も始めて生活する人とは【問題が全く違う】ことに驚愕したくらいです。でもオーストラリアという社会主義国みたいな、そして住民サービスが充実している、なおかつオーストラリア人も温和でのんびりしている国だから救われたというのが事実です。「競争らしい競争はない国」、「ボーッと生活しても生きていける国」だと思いました。でもそれはゴールドコーストの特殊性であってシドニーやメルボルンは随分違うのが後にわかった。
次男坊が中学生時代に言ったことを思い出します。
「パパ、僕は金持ちになるために日本人みたいに一生懸命働こうとは思わない」と。私は「日本人は普通の生活をするためにそうやって働いているんだよ」と言ったところ、「ウソ~~、ありえない!」と言っていましたっけ。
また私もまさかと思ったのですが、仕事をせずに遊んでいる人ばかりが住む街があったり(失業保険は65歳まで出る。その後は老齢年金に切り替わる)、シングルマザーは働くより社会保障をもらったほうが生活が楽なんてこともあると。(今の状況は知りません)
やっぱり私も頭に血が登っていたのは間違いがなくて、「楽しく遊びながら生活している人たち」の情報に重きをおいてしまったようです。(笑)
オーストラリアの場合、渡ってから事業を起こすという約束の事業家ビザ(永住権)を取って渡る人も多かったですが、大半の人は「退職者用のリタイアメントビザ(廃止された)」を持つ人達と同じ様な考え方だったのも間違いがなさそうです。約束の事業も興さず、遊んでいた人たちはかなりの数。(現行の事業家ビザではそれは出来ない)
こういう場合、どうなるかってのは明白で、遊んで暮らせるほど簡単には行かないから、多くの人は【こんなはずじゃなかった・・・】と引き上げていくのね。永住ビザを持つ人の多くは、「日本には帰らないつもり」で来ていますから、「帰らないとならなくなった時」にはかなり慌てるわけですよ。あるいは、事業なんて興したこともない人が、ましてや海外で、夢を追い続けて丸裸になってしまったり。(こういうケースで成功した人を私の知り合いには一人もいない)(もしかしたら、何もしなかった人たちのほうが傷が浅いかもしれない)
25年、ゴールドコーストでどうにか仕事もしどうにか頑張ってきた私ですが、今になって思えば、見過ごしてきた「大事なこと」っていっぱいあったと思います。
「こんなはずじゃなかった」とは思いませんが、私にはスキが多くあったのは間違いがなく、結局、オーストラリアから他国へ出て流れていくことを選択するしかなかったのも事実。でも生きることが難しいから出ようと思ったのではなくて、次の人生ステージに行きたいと思ったから。
やっぱり「同じ境遇、同じ計画を持っている人たち」からの情報をも~~~っと重視するべきだったと思っています。でも有頂天になって舞い上がり、良いことしか考えない人たちの渦の中に入ってしまった。
でもオーストラリアで自由とはなにかを確信し、それを得ることは出来たし、ゴールドコーストは田舎ですが、大都会とは違う緩さの中で子どもたちを育てられたことは本当にラッキーだったと思うし、オーストラリアへ渡ったことに後悔はありません。(いつかオーストラリアに帰り、オーストラリアで死ぬ道は確保してある)
でもそれは、食うには困らないように稼げたこと、そして子どもたちも順調に育って当初の想像以上の教育も受けられたこと、私達も「問題なく退職者の年齢にまで達した」からそれが言えるのであって、夢の途中で泣く泣く帰っていた人達、知らない間に消えていった家族を思い出すと、ラッキーだったとしか言いようがないとも思っています。
でも「もしも永住権がなかったら」を想像するとゾッとします。というか、仕事や生活の継続はもちろん、子どもたちの教育もまるで違うものになっていたはず。当然オーストラリアへ住み続けることは出来ないわけで、永住権がなかったら今頃どこでどうしているか・・・。全く想像さえ出来ません。
海外で住み続けるために何が一番重要だと思います?
私は「命の次に大事なものは【ビザ、それも永住権】」だと思っているし、絶対に間違いないという確信があります。就労ビザとて、会社の都合、自分が事故に合う、病気にでもなればもうそこで終了でしょう。ビザに変更があれば当然、アウト。(でも永住権があるとどうにでもなる国は多い)
では永住権がなかったら?これは「在住者としてなんの権利もない状態である腰掛け状態が永遠に続く」といって間違いがないと思います。
でも当初から腰掛けのロングステイだという前提で計画を練ればなんの問題もない。
ではロングステイと永住権を持って生活するのとどんな大きな違いがあるのか?どうやったら永住権を取れるのか?そもそも永住権が必要なのか?永住権を取ってまでしてその国で生活するメリットはあるのか?
まずここから調べるのがスタートなわけですが、その情報を得るのも実は簡単ではないということなんですね。オーストラリア(ハワイでもカナダでも)に行きたいのはやまやまだけれど、【お金がないし、永住権も取れない】という人ととんでもない数、会いました。でも永住権のことをどれだけ知っているかというと、何も知らないのと同じレベルなのね。
でも「自分には永住権は取れない」と信じ込んでいる。また「遊んで暮らせる国ではない」のは当たり前で、それが可能な方が異常。(でもマレーシアは数少ないそういう異常な国の一つ。ポイントはマレーシアの特殊な税法)
「永住権は無理」という人が多いのがとても不思議です。オーストラリアでもハワイでもアメリカ本土でもカナダでも、永住権を取って働くタクシーの運転手やレストランのウェイトレスはゴマンといるにも関わらず、なぜ永住権は無理だと決めつけるのか。そりゃ誰でも申請すれば永住権をもらえるわけじゃないけれど、他国のビザと比べて「取得が簡単なマレーシアのビザ」を前提に考えてはならないと思うんですよ。
「永住権を取るのは難しい」と最初から信じ込んでいる人がほとんどなのは、これって【遊びに行く気軽なロングステイヤーの考え方の影響】だと私は思ってます。
これは「情報不足、情報が錯綜している」からだと思うし、「情報のとり方が悪い」と思うわけです。
年寄りのロングステイは別にして、「海外移住」を真剣に考える人は、「永住権に関するいろいろ」をしっかり調べてみて欲しいと思います。
【永住権がなければ旅行者と同じ】だという事実をしっかり意識したほうが良いと思います。最初からそのつもりで、放浪するつもりなら問題ないと思いますが・・。
今日はそのことを書きたかった。
なぜなら、私の目から見ると「綱渡りを平気でしているような人が多い」と感じるから。でもその人達も、数年、ロングステイを楽しめれば良いと思っているのかもしれないし、そうだとすれば全く問題はない。これってどこの国でも同じで、取るべきビザも取らず「帰らなければならなくなれば帰れば良い」という考えの人って少なくないのね。
永住権が無くても「その時はその時」という考え方もあるとは思いますが、自分や家族の将来が自分たちの意思ではないところで決まっていくわけです。
これって「日本に住む日本人」がある時、「日本から国外に出なさい」と一方的な命令を受けるのと同じ。市民権も永住権もなければそれはそれでしょうがないわけですが、もし子持ちの場合は問題があるはず。その国で育った子どもたちはその国を祖国のように思っているはずだから。
あるいは、「いつまでこの国にいるかわからない」と子どもたちに言い続けるか。でもそういうふうに育てると子供は「根無し草」になると思っています。
日本人は「国際人」というのが好きですが、世の中には国際人というカテゴリーも無いし、子供は育った環境に影響されるだけで、国際人に育つなんてことは幻想でしか無いと思います。また「うちの子は国際人」なんてことを言えば笑われるのが世の中じゃないんですかね。そしてそれは国際人どころか実態は「難民に近い」というのも忘れてはならないと思います。子供が数ヶ国語を話すようになると親が有頂天になるのもわかりますが、それは長続きしないし、デメリットがあるのも考えないとならないんですね。放置したらかなりうまくないことになるのが普通。(たとえばマレーシアでも、英語だけで教育をするマレーシア人がなぜ存在するのかを考える必要がある)
そして誰の心のなかにもある「ホワンと温かい我が祖国、我が故郷」。これも大事なアイデンティティーにつながるもので、それを親が確保し、育てるのも親の仕事だと私は思っています。
私は自虐的に自分を「野良犬」だと良くブログにも書きますが、自分の子供を野良犬に育ててはならないと思っています。根無し草の野良犬のほうがたくましくなって良いなんてのは幻想じゃないですかね。実際に「日本人のパスポート」を持っているのに日本語が怪しかったり、日本人だという実感も持っていないとか、逆に長く住んだ国を故郷とも思わない、ただ多少は外国語が出来るだけの「変な外人」としか言いようがない「海外育ちの日本人」も多いことを忘れてはならないと思っています。そしてそういう子供を「国際人だね」と他人がいうのは決して褒め言葉ではないってことも。(多くの場合、日本人として認めていないという意味)
本人である子供がどんなアイデンティティを持つかを親が想像するのは大事なことで、これを簡単に考えると子供が可愛そう。興味のある方は「海外育ち」「アイデンティティ」とかそんなキーワードでネットで検索してみてください。このブログでも、アメリカ生まれの日系二世の叔父が日本で死ぬまでアイデンティティで悩み続けたことに関して書いたこともあります。
もしかしたら「日本語をしっかり教える」こと以上に、「どんなアイデンティティを持たせるか」が子供の将来、心の平穏を左右する最も大事なことかもです。「国際人」なんてのはアイデンティティにはならないどころか、自分が国際人だと信じて大人になった場合は、いつかとんでもない孤独感に襲われるんじゃないかな。そんな人達はどこにもいないのだから。でもそれを理解する親って結構少ないし、特に「祖父母」がポイントで、彼らは単純に「普通と違う我が孫」に陶酔してしまうケースが多いと思う。彼らは孫が「日本人であって、それプラス何かを持っている」と勘違いするのね。「何かが足りない、失われた」というふうには考えない。
ま、私は保守的な考え方を持っているし、「私は日本人である」というアイデンティティは絶対に揺るぎのないものだし、それは家の大黒柱の様に大事なものだと思っています。でも世の中はどんどんリベラル化し、アイデンティティのあり方さえも随分とおかしな考え方が広がっているように私には思えるのです。
今の時代、日本では俺は会津だ、お前は薩摩かと言う人はいないわけですが、でもなんらかのしっかりしているアイデンティティの必要性はなくならない思っています。でも自分の中のアイデンティティに疑問を持つ日本人って実は結構いるのね。私はそれはとても悲しいことだと思っています。海外育ちの場合はそうなってしまう可能性が高いことも忘れてはならないと思っています。
その辺に興味を持ってネットを調べてみるだけで、思いもしなかったことが起きているのに気がつくはず。でも「海外生活~~~♫」なんて舞い上がっている親にはそれが見えてこないかもしれない。
意外と思うかもしれないけれど、実は「駐在組」は「海外で子供を育てるデメリット」を結構知っているのね。そりゃ経験者が周りにごっそりいるし、情報交換もするからでしょう。こういうところにも気を使って情報収集するのは大事だと思います。この内容って大きな声で話す内容じゃないですから(舞い上がっている人たちから必ず反発を食らうから)、気をつけていないと見逃すはず。
夢と現実がごちゃまぜになって、「夢が優位に立っている」のに私は危惧を抱いています。
これは老人の海外ロングステイも同じで、光と影の「影の部分」はまず語られることはないし、それを中心に書いた書籍も私は一冊しか知らない。
それも2008年に出版された古いもの。「年金夫婦の海外移住」(小学館)ここをクリック。
今日のこの日記を読んで、「この野郎~~」「偉そうにわかったようなことを書きやがって」と反発を抱く人の方が圧倒的に多いであろうことはわかっています。でも私が日本を出ようと思っていた頃に、こういう当たり前のことを耳打ちしてくれる人は皆無でした。いや、私が聞く耳を持たなかったのかもね。(笑)
最後に、何度も書きますが、収入も資産もそこそこあって「いつでも帰れるロングステイ」を前提としているならなんの問題もないはず。