なぜ海外移住に「永住権が必要」なのか。子供を主役に考えるのも重要。

アイキャッチ
古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください

私は一貫して、「海外移住するには永住権が必要」と書いていますが、これが理解できない方がたまに出てきます。

私の考え方は「そりゃ永住権があったほうが良いね」ではなくて、「永住権は絶対に必要」という考え方です。

この理由ですが、こういう風に考えればすぐにわかるはず。

私達は日本に住んでいた。では日本に住んでいる時に

◯ いつか国外に追い出される可能性がある

◯ 滞在許可は数年ごとに更新しなければならない

◯ 滞在許可に変更があり、更新できない可能性は常にある

◯ 社会保障は一切受けられない

◯ 就労の自由もない

当然、子供の教育に関しても「義務教育は無料」とか、ありとあらゆる住民サービスが日本にはありますが、【それらを受ける権利は一切ない】としたらどうなりますかね。

そういう状態だとしたら、皆さん、日本で生き続けることが可能だと思います?そもそも自由に働くこともできないのに。

ましてや何がどうなっているのか良くわからない、常識も習慣も言語も違う外国で生活するってとんでもなく大変なわけで、「嘘だろ?」みたいなことが連発する。そんな中で永住権もないとなったらどうするんですかね。

老後を海外で楽しもうとか、ちょっと海外暮らしを経験してみたいとか、そういう「腰掛けで海外に住む」には永住権なんか関係ないと思うんですよ。現地にガッツリ溶け込む必要もなければ、面倒なことには近寄らず、何かあったら自国へ帰れば良いんですから。

でも日本で、地方から大都会へ出て、そこで新たな人生を始めて家族も育て基盤も作っていこうとするのと同じ様な考え方で海外に出たとします。そしてその時、永住権がなければ、上に書いたような状態になるわけです。

日本に住む日本人でさえ生きていくのは簡単ではないのに、手足を縛られたような状態で海外でどうやって生きていけるんです?

だから私は「永住権なくして海外移住するのは【長期旅行と同じ】」としか言いようがないし、「そのつもりで海外で生きることが重要」だと思うんです。そうではなくて、永住権もなく海外で「普通に生きて未来を構築していけると思ったら大きな勘違いで、必ず大きな問題にぶち当たる」のは明白でしょ?

そりゃ永住権があったほうが良いに決まっているけれど、【取れないのだからしょうがない】という考え方もあると思います。

でも私としては「永住権が取れないとするなら、その国に移住して生活をしていこうと考えるべきではない」と思うわけです。でも短期滞在ビザでも取って、数年、異国での生活を体験する程度のつもりなら良いと思いますが、それって「長期旅行者と同じ」でしょ。だとしたら、「自分は長期旅行者でしか無い」という自覚が【自分と家族を守ることに繋がる】のね。

特に小さなお子さんと一緒に海外で生活する場合は本当に気をつけないとならないわけで、親は「私達は日本人」「いつか日本に帰る」「日本に帰ることに関しては何の問題もない」と考えがちじゃないですか。

ところがですね、海外のその地で育った子どもたちは、【その場所が彼らの故郷となる】のを忘れてはならないのね。【日本が外国になる】という意味。

そこで上に書いた「日本人が日本の永住権がなかった場合」のことを改めてみてください。

子どもたちにとってはこれと同じことになるってことなのね。

だから「私は永住権はなくても良いと思う」というのはそれはそれで良いけれど、【子どもたちもそれで良いのか?】と考えることが大事だと思うんです。子どもたちがいつか、自分が育ち学び生活をしてきたその国を愛し、故郷と思うようになり、将来もそこに住みたいと思うことって普通に起きるわけです。でもそれが出来ない事がわかった時の子供の気持ちをどう考えるか。

子どもたちは、自分が愛し、故郷と思う国で生活しながら、実態は

◯ いつか国外に追い出される可能性がある

◯ 滞在許可は数年ごとに更新しなければならない

◯ 滞在許可に変更があり、更新できない可能性は常にある

◯ 社会保障は一切受けられない

◯ 就労の自由もない

これなんですよ。私達が日本で育ち、ある日ある時、親に「お前は今、こういう状態だ」と告げられたとしたらどう思います?それと同じことが子供に起きるわけです。

ちなみに我が家の二人の息子達は「ゴールドコーストが俺たちの故郷。当たり前でしょ?」と言います。そして日本人としてのプライドもアイデンティティもしっかり持ててくれたのは有り難いですが、「日本は大好き。でも日本に住んだり、日本で仕事をしたいとは一切思わない」と二人共断言するんですよ。

日本で育ち、日本を愛し、いつまでも日本で暮らし続けたいと思う日本人はいくらでもいますよね。海外に住みたいなんて思わないという人も多い。そして我が息子たちはそれと同じことをオーストラリアに感じているわけです。彼らにとっては【日本こそが外国である】ってことなんです。

子どもたちが小さくて親のおまけみたいな時は何の問題もありませんが、子どもたちも大きくなり、自我も育ち、「自分の人生を考える時」は必ず来る。その時に、「自分が育ち愛するこの国に、自分は好きなだけ住むことは出来ない。自由に仕事することさえ出来ない。何かあっても社会保障の一切を受けられない」という現実を直視することになる。

私はこの辺のことを無視してはならないと思うわけです。

そもそも永住権もなくて海外に出るということは、「そこでの生活の目処も立っている」ということですよね。親はそれで良いかもしれないけれど、子どもたちは?

普通どの国でも「子供が成人した時には独自にビザを取る必要がある」わけで、場合によっては「親はそのままその国で生活を続ける」「しかし、その国を故郷と愛する子どもたちは【国外に出るしか無い】事が起きるということ。

私は親が子どもたちに残すべきものは、海外生活者だったら「それは永住権」だと言っても言いすぎじゃないと思っています。(子供が扶養家族の間に永住権を取れば、子供も永住権を持てる)

海外に出たら「命の次に大切なのはビザ」。私はそう思っています。このビザが海外での生活の全てに関わるわけですから。そしてビザによって人の人生も大きく変化するということ。

マレーシアに在住の方々はこの辺の感覚が希薄なのは理解できます。そもそも私の周りにもマレーシアの永住権を持っている人さえいませんし、永住権がない中での生き方が普通になっている。そして「帰らなければならない時には帰る」のが大前提。

ところが海外には多くの日本人が住んでいますよね。何百万人単位です。

その中から、「観光客」「学生」「駐在員」「現地採用」「ロングステイ(長期旅行者)」を除いた人たちがどれほどいるか。つまり現地で根を張り生き続ける日本人達。こういう日本人はアメリカ、カナダ、オーストラリア、そしてブラジルなどにごっそりいますよね。多くは三世、四世、五世の時代に入ってきていて、当然、永住権を持ち、あるいは市民権を持ちその国の国民となって生きている人たちがごっそりいる。

私はそういう地元で根を張って生きる人達の中で永住権もない、市民権もないなんて話は聞いたことがないんですよ。だから「永住権を持っている人は少ない」「永住権がなくても構わない」というのはたまたまそういう国にいるからそう思うだけのことで、とんでもない数の日本人が海外で住んでいますが、その中では永住権、市民権が当たり前で、「それなくしては生きられない」という現実がある

ま、「海外移住」を考える人もいろいろで、とりあえず3年とか、そういう人もいれば、最初からその国で永住するつもりで行く人もいる(我が家がそれ)。でも実際にどうなるかは流動的で、私のオーストラリアの親友で、「夫婦で観光ビザでオーストラリアに遊びに来て(奥さんは妊娠中)、そのまま居着いて永住権も取って40年」なんてのもいれば、「ここで生活するのは無理」と数ヶ月で日本に引き上げた永住権保持者もいました。

永住権は権利でしか無くて、実際に住み続けようがすぐに帰ろうがそれは本人の勝手、でも「とりあえず永住権は取る」というのが【常識の世界】があるのを是非、お忘れにならないように、そしてお子様たちの将来を考え、そして子どもたちにとって【日本こそが外国になる】ことが起きることも忘れずに海外生活の荒波を乗り切って頂きたいと心の底から願っております。

ただし、日本に常に基盤があって、「留学目的」「海外生活体験」「ロングステイ」「数年の海外での仕事体験」とかそういう方も多いと思います。当然、そういう場合は、【基本は日本】なわけですから、外国の永住権を取る必要もないのは当たり前。

でも「末永く海外で生活したい」という思いがあるのなら、「永住権の取得は【絶対条件】となる」ことを是非、お忘れなきよう。

ちなみに私の場合ですが、海外に親類が多くいたこともあって、また私自身、若い頃から海外脱出を考えていましたから、ビザの重要性はよーくわかっていました。特に永住権ね。

かつて私の人生を変えたグアムに住もうと思った時期もありましたが、やっぱりビザ取得の壁は大きく高く、現地で起業もしましたが定住することは不可能でした。

後に「日本を脱出しないともうダメだ」と思った時にはすでに家族もいて、当然、その時には【子供のためにも】永住権は絶対に必要で、「永住権が取れなければ海外には出ない」つもりでした。

そして「永住権が取れそうな国」の中からオーストラリアを選んだわけです。そして申請し、途中で「無理かな?」と思ったこともありましたが、どうにか永住権が取れたのでゴールドコーストへ渡りました。

もしあの時、永住権が取れなかったらどうなっていたか。きっと今でも日本にいたと思います。私は「数年の海外生活」なら中途半端でしないほうが良いと考えていたタイプです。子供を留学させる?う~~む、どうだったでしょうか。語学に関しては、私は多言語を話したり、ネイティブと同じ様になる必要性を(いまだに)考えておらず、それより日本で生まれ育っても日本語が完璧ではない私みたいなのもいるわけで(笑)、まず絶対に完璧な日本語がわかる子供であって欲しいと考えました。

言葉って文化であり、そこに伝統も入っていて、それがわからないのでは意味がないと思っています。当然、我が家にとってそれは日本語であり、「完璧な日本語を土台として、どの程度の外国語を駆使できるようになるか」を常に考えていました。

それには外国語を習得するのに「留学」そのものは必要がないと思っていたくらいで、最終的には「現地で揉まれること」が重要ですが、私の理想は「雅子妃殿下」でした。あんな風になったらいいなと夢を見ていました。(笑)

ですから、結局はオーストラリアに渡ったわけですが、我が家は「家庭内では英語は絶対に禁止」で、「テレビも日本の番組のみ」を見せていました(息子同士では隠れて英語で話すこともあった様子 笑)。そして幼稚園から学校はローカルの学校で、土曜日だけは日本語補習校に通いましたが、子どもたちも日本語が好きで、学校も日本語補習校の方が好き。こういう子供も珍しかったようで、日本語補習校を出てからも友人でもある先生に個別に「古文」を習ったり。

そんな状態でしたから、幼稚園からローカルの学校に通いましたが、二人の子どもたちの英語がそこそこまともになったと思ったのは「中学を卒業する頃」ですかね。だから小中学校時代はかなり苦労したのは間違いないです。ゴールドコーストに住んでいても「日本からの留学生」みたいな感じでした。

でも言葉は時間が解決しますし、やっぱり海外で育つと「限りなくローカルに近くなる」のは間違いがなくて、パッと見では「海外育ちとは思われない」様になりましたが、バナナと同じで、一皮むけば中身は白で「ローカルのオーストラリア人」みたいです。

海外育ちは「ローカライズするだけ」であって、決して「国際人になる」なんてことはありえないのね。日本人は「国際人」というのが大好きですが、私は真逆で、国際人なんていうカテゴリーは世の中に存在しないし、それは素晴らしいどころか「アイデンティーもおかしな根無し草」だと思っています。

良く、海外育ちの子供に対し「おお、国際人ですね~」なんて言う人がいますが、これは「バカにした言い方」であることを忘れてはいけないと思っています。本心は「日本語も中途半端な変な外人」だと思っているはずで、その証拠として、「日本人には当たり前の言葉を使って当たり前のことを言っただけ」なのに「そういうこともわかっているんだ?」なんてことも言われる。私はこれを言われるのが何よりも嫌だったし、逆に「外国育ちだとバレないように出来るかやってみ?」と子どもたちと遊んでいたのを思い出します。(笑)

私にとっては日本から来た人に子どもたちが「え?外国育ち?嘘でしょ?全然わからなかった」と言われるのが何よりも嬉しかったです。今でもそれは同じかな。(笑)

やっぱり「日本人としてのキッチリした基盤があって、その上に海外生活で何を積み上げられるか」が重要だと思っていて、あれもこれも中途半端な育ち方だけは回避しようと常に考えていました。でも海外生活ということは、「日本が外国である」ということで、なかなか難しいのね。

当初は日本語や日本の勉強に熱心でも、ローカルの学校の勉強が大変になってくると「どちらかを選ばなければならない時」が来るのが普通。親も「両方頑張れ」とは言えないわけで、日本語補習校も「低学年はごっそり日本人がいる」のですが、高学年になると一人抜け、また一人抜けと、人数が激減していました。

でも我が家の息子達は二人共、「日本語補習校大好き人間」で絶対に休まず通っていました。これって「ローカルの学校では差別があった(そういう時代)」からかもね。

息子たちのゴールドコーストの幼馴染で兄弟のように育ちました。中にはオーストラリア生まれもいますがなぜかみんな海外育ちには思えないモロ日本人。オーストラリア国籍もいる。

幼馴染でも日本語が下手、ほとんど駄目みたいな友人もいて、育て方って本当に大事だと思います。我が家では日本語を重視しましたが、私の友人の家庭では【早く子どもたちがローカルの学校にも馴染むようにと、家でも英語を使っていた】ケースがあります。そういう家庭も決して少なくないのですが、その多くの子供達は日本語が危ない。

また不思議なもので「子どもたちの考え方」にも違いが出るんでしょう。「モロ日本人タイプ」と「ローカルに近いタイプ」とグループがはっきり別れているみたい。個別の付き合いはあっても、そういう彼らがグループとして混じって一緒に遊ぶのを見たことがありません。

かと言って、モロ日本人タイプなのに、日本から来た留学生や同年代のワーキングホリデーの若者(かなり人数は多い)との付き合いってないのね。特にワーキングホリデーの日本人とはしょっちゅう揉め事を起こしていたみたい(飲み屋で)。絡まれるのね。

ま、考え方はいろいろで何が正しいとか違うとかは無いと思いますが、私はこう考えてやってきたというだけのこと。

「にほんブログ村」のランキングに参加しております。是非、応援のクリックをお願いします。

にほんブログ村 海外生活ブログ マレーシア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへにほんブログ村 海外生活ブログ ゴールドコースト情報へ