株式市場って本当に「カジノ」みたい。
キオクシアホールディングス(285A)が2000円あたりをウロウロしていた頃に「2,3割の利益が出たら利確」なんて人が圧倒的に多かったはずだけれど、まだまだ上がると思って抱えていた人も「1万円」になると【そろそろ利食った方が良いだろう】なんて考えたんじゃないですかね。私ならまず間違いなくそう思う。持株が「5倍」になれば【十分儲けた】【そろそろ下げるんじゃないか】って心配しないほうがおかしい。
ところが~~
そこからの「快進撃が凄い」のは本当に驚きで、2万円を超えてから「新規に買う」なんて恐ろしいと思うのだけれど、あれよあれよという間に11万円を突破。まぁ、この頃は「異常なほどの業績アップ」が見えたし、世界の流れは「AI、半導体」だから「フラッシュメモリとSSDのキオクシア」に注目した投資家も多いのだろうけれど、良く買えたと思う。
ところが~~~~~~~~~~
下げだすとこれまた早くて「ストップ安」もあった。すでに高いところを勇気を出して買って、「3割上がったぞ~~~」なんて喜んでいたらあっという間に「含み損」を抱えることに。
高値近辺、あるいは「下げトレンドに入って」逃げられた人ってどのくらいいるんだろうか。
「ギャンブル的発想」でも「業績重視」でも「将来性重視」「相場環境重視」でも良いのだけれど、【そんな理由はどうでも良い】【眼の前の値動きだけが唯一の事実】で【流れに乗ればよいだけ】と考えた投資家はしっかり「利確」できたんでしょうね~。
損失を確定した人、含み損を抱えている人は今、一体何を考えているんだろうか。
「もう近寄らない」「安いところでナンピン買いを入れて取得平均値を下げよう」とか、「これから新規で買いに入るチャンスはあるか」といろいろ皆さん考えているんでしょうね~。
私だったらどうする?
まず「安い頃」にキオクシアを買おうなんてことは考えないし、そんな会社があることさえ知らなかったし、「推奨する専門家」がいても「ふ~~~ん」としか思わなかっただろうし、高くなってからは【これからリスクを取るかぁ?】と思うし、よっぽどなにか特別な関係が無い限り買っていないだろうし、買っていたとしても「1万円が着けば大喜びで利確」しただろうし、11万円の高値を経験する可能性はゼロ。
でもいわゆる「相場師」「相場感がある人」は、「注目が集まればそれだけで値は上がる」のを知っているから「かなり高いところから」でも買いに入ったかもね。でも私にはそういう「相場師としての勘」も「度胸」もない。小心者で地べたを動き回る「アリ」みたいなもんですからね~。「その日暮らしの野良犬」と言っても良くらい。
でも「これから上昇トレンドに入る」ことは大いにあり得るわけで、「その時にどうするか?」。
まぁ、「とりあえず花火大会の第一部は終わった」わけで、「これから第二部が始まる」のかどうかはわからないし、今までに「利益を出して二匹目のドジョウを狙う人」、「参戦が遅くて損失を出した人」「含み損を抱えた人」「新規に入ろうとする人」たちが大勢入り乱れて「混戦となる」んでしょうし、現在値の6万円が2倍になっても12万円。トヨタの時価総額をも抜いて巨大化したキオクシアが今までみたいに3倍4倍になるのか。
なるかもしれませんね。
でも私としてはやっぱり「関係ない」としか言いようがない。
財力も経験も頭脳、知能を持った人達が何を考え何をしようと、私としては「誰も見向きもしないところで食べるものを探す野良犬」の方が気楽だし、【その方が確実】だと思ってしまう。私の座右の銘は「人の行く 裏に道あり 花の山」で、これは投資に限らず仕事も同じで、「他人と同じことはやらない」のが私の若い頃からの信条で、「他人と同じことをしても、たとえうまく行っても他人と同じレベル」でしかないし、「下手をすれば簡単に他人以下になる」わけで、「常にブルーオーシャンを探していた」というと言い過ぎで、【競争が激しいところは大嫌いだった】というべきか。
でももし自分が数百億、あるいは数千億を動かす投資家、ファンドマネージャーだったらどうするか?
だとしたら野良犬みたいに「裏通りをウロウロすることは出来ない」わけで・・・・、う~~む、わからない。
またそれだけの資産があったら、「それを元にやりたいことが山ほどある」し、そもそも「それをやるために財力を持ちたい」わけで、【もっと大きくしよう】とは思わないだろうなぁ。またそういう巨額な資金を動かす「仕事」をしようとも全く思わないし。
ただし「資産がいくらあっても使えば無くなる」わけで、また「使わなくてもインフレに負ける」のも同じことで、きっと【インフレに負けないようにどうにか維持をする】ようにして、【余剰分をやりたいことに使う】ことを考えるだろうなぁ。
私が若い頃は「100万円は大金」で「1000万円なんて見たこともなければ、1000万円持ってる人も知らない」。そもそもサラリーマンの月収が2-3万だったのだから。その当時の「俺は200万円持ってる。\(^o^)/」なんて人が、増やすことをしなかったら今どうなっているのか。また500万円あれば「遊んで暮らせる(FIRE出来る)」「老後は安心」と考えたはずで、それと同じ事が将来も起きると私は思う。
でも一般的に考えると「額は関係ない」のであって【税金を払い、生活費を払い、なおかつインフレに負けないようにする】だけでも簡単じゃないのね。年収が100万だろうが1000万だろうが1億だろうが、実際に生活費以外に使える額って「収入の20%以内」に収めないと【いつか元金も無くなる】んですよね。
この辺の話をするといつもキチガイ扱いされるのだけれど、計算してみると簡単にわかるはず。
例えば
税込収入は100
税金は35~50%
生活費は50%
インフレは5%
だとしたら、生活費以外に自由に使えるお金はマイナスかせいぜい10しかない。そして「元金は増えない」のね。だから「突発的な出費、失敗、大きなインフレ」があれば、【長い間にはいつか破綻する】のがわかる。
この単純な計算でも「生活費は50%」という低さでの計算で、年収500万でも1千万でも、あるいは3000万でも「生活費は50%以下」という人はほとんどいないはず。「あれば使っちゃうのが人間の性(サガ)」だし、ましてや高収入だったりオーストラリアみたいな税金が高い国に住んでいれば、「収入の50%は税金で消えていく」わけで、その残りで生活費を使い、なおかつ「最低、インフレ分は増やす」ことさえも簡単じゃない。「残ったお金で何かやりたいことをやろう(投資を含む)」なんて思っても無理。もしそれが出来ても「相続税」があって、日本の場合は「一代限りの夢で終わる」のが大半じゃないですかね。
「落とせるのは生活費のみ」と言って良くて、だから「生活費は収入の20~30%以下で抑える」ような生活をしないと「お金って貯まらない」と思っています。
世間では「どうにか食べられています」みたいな言い方をする中小企業や店舗、あるいは勤労所得者が多いけれど、それって「将来はかなり危ない」のは明白で、【収入を得られないときは誰にでも必ず来る】【皆、必ず歳を取る】し、「病気や事故も必ず起きる」「インフレも来る」わけで、「突発的な大きな出費」があればそこで「詰み」になる。【今はそこそこ上手く行っている、裕福】だとしても、「自分や相方も歳を取る」「子どもたちも大きくなる」「収入が激減するときは来る」「突発的な出費は必ず起きる」事を考え、【今は大丈夫】だとしても「30年、40年後」まで考えた「試算」をしっかりしていないと、どこかで「詰む」のが人生だと思うし、私はそういう人ばかり見てきた。近年は「下流老人」という言葉が出てきて、裕福ではない老人も多いけれど「かつてはバリバリ稼いでいた」なんて人はゴマンといる。
それでも日本って素晴らしくて、十分ではないにしろ「年金」「医療」「医療費補助」があるし、「生活保護を含めた給付金」「貸付制度」「公共料金等の免除」があるのは凄いと思う。今の日本に文句を言いたい若者は多いとは思うけれど、「海外」を見渡してみると、私には「日本は天国」に見えるのね。
だからきっと日本では「餓死する」なんてことは起きないと思うのだけれど、「真面目に働いていればどうにかなる」と思っても「どうにもならない」時代になったし、そういう豊かな日本の「過去」はもう昔話で、「戦後の焼け野原だらけの日本」でどう生き抜くか考えた先人の強さを今一度再確認して、「新たな時代」をしっかり見つめていかないと大変なことになると思う。
それって「ちょっと海外に出てみる」だけで、わかることかもね。
私はこのブログのコメントで、きっと若い読者だと思うのだけれど、「若者たちが今の老人たちには恨みを持っているのを忘れないで欲しい」というコメントが頭から離れないんですよ。それは「悪手ばかり打って、こんな日本にしてしまった」という意味だと思うのだけれど、私には「ご先祖様たちは、良くぞこんな素晴らしい日本を作ってくれた」という感謝の念しかない。
確かに失敗も少なくなかったと思うし、今の老人の多くは裕福で「逃げきることばかり考えている」のもそのとおりかもしれないけれど、私は高市総理が言った「私たちが生きている今は、先人たちが命がけで守ろうとした未来である」というのは間違いのない事実だと思う。
ま、誰が何を感じ、どう思おうとそれぞれの勝手ですが、「未来を作り生きていくのは自分」というのはいつの時代でも変わらない。
先日、日本の「農地改革」のことをちょっと調べていたんですよ。戦後、GHQによって「農地改革」が進められて【大地主と小作人】という世界が「自分の農地を持てる時代」となった。これって「大変革」だと思うのだけれど、それこそ「多くが小作人だった」頃は「収穫の70%を上納する」とか、地主はその地方に住んでもおらず都会で優雅な生活をしていたとか、そんな事も知った。でも農地改革後は「貧しいながらも自分の土地で自分のために農業を続ける」事が可能となった。
これって「デメリットもある」という学術的な見方もあるらしいけれど、私には「奴隷開放」と同等の意味があると思えたのね。
と同時にですね、「今のサラリーマン社会」と比べてみたら、「おいおい、昔に戻っているんじゃないか?」と思った。
かつての日本の企業って「企業は働く皆のもの」という考え方が結構強くて、「従業員に利益を還元する」という考え方があったけれど、今のサラリーマンって、非正規雇用も含めて「大きな機械の一つの歯車」みたいな感じで「消耗品以外の何者でもない」感じがする。「社畜」という言葉も出来たし、「企業は株主のもの」というのが当たり前になった。そしてそうしない限り、「投資も集まらない」「存続が出来ない、競争に負ける」ということなんでしょう。
「企業そのものがなくなってしまったら元も子もない」わけで、皆が同じ様に考え、働く人達は消耗品という考えが広まり受け入れてしまっているように思う。でも「人材不足」なのも事実で、しかし「働いてくれるなら誰でも良い」という意味じゃない。だから「学歴を得よう」と多くの学生が借金をして、Fランクと言われるような大学でも無理をしていくような時代になった。
なんだかこれって、上に書いた「地主と小作人」の時代と同じじゃないかと思うわけですよ。
自分のものではない農地で汗水流して働いて、少しでも有利になるように「長時間労働」をしたり「技術を身につけようとする」けれど、【小作人は小作人のまま】でよっぽどの秀でたものがない限り「平均的な小作人以上にはなれない」世界。
かつては「良い大地主もいた」そうで、頑張る小作人には農地を与えたり、安く分けたりする大地主もいたらしいけれど、全体としては「大地主と小作人」の図式は変わらず、「搾取する側」と「搾取される側」ははっきりしていた。
これって「今の時代がまさにそれ」だと思うし、日本以上にアメリカが酷いことになっていると思う。
アメリカでは仕事を複数掛け持ちするのも増えて、首切りは突然行なわれるし、収入は十分ではなくて、「物価は上がるばかり」で【働く人たちの悲鳴】が聞こえてくる。ちゃんとした仕事を持っているのに「ホームレス」になったり、「シェアハウスに住む」人も増えている様子。
これを変えないとならないと政治家が考えるのは当たり前だけれど、私は民主党の左派の考え方って、【弱者救済が最優先】に見えるのね。それだけ「問題は深刻」なのだろうとは思うけれど、バイデン政権が「悪いアメリカの財政をもっと悪くした」と思うし、「お金のバラマキは有効に使われていない」「不必要なところに巨額のお金が流れた」と思うし、結局は「選挙で勝つため」に【アメリカの財政を犠牲にした】様にしか見えない。
ま、政府が補助金を出すと「雨後の筍みたいに分けのわからない団体が多く出てくる」のは日本も同じだけれど、なぜかそれらの多くは「左派系」で、アメリカの場合は「流れた資金が大きすぎる」と思う。そしてそれによって「弱者の生活が改善したのか」というと「ハイエナを太らせた」「政治家も太った」様に見える。
日本はまだ「マシ」に見えるけれど、上に書いた「大地主と小作人の関係」と同じような「支配する側と支配される側」の【大きな格差】ってどんどん広がるように見える。
だから「自己責任で投資をしてください」と「新NISA」みたいなのが出てくるのだろうけれど、これって一般人に武器を与えて、「貴方も最前線で戦ってください」というのと同じだと思う。
「資本主義と社会主義の融合」なんて出来るのかと思うわけで、「社会主義に資本主義のエッセンスを入れる」のは出来ても「資本主義にどっぷり使った中に社会主義を入れる」のはかなり難しいはずで、そもそも「行動の自由」があるわけで、「生きづらいと感じれば、そして資産が多くあれが簡単に新天地に逃げ出すことが可能」じゃないですか。そして「金持ちを優遇し、呼び込もうとする国はいくらでもある」のだから。これは「アメリカ国内」でも起きていて、左派色が強いところから保守色の強い地方に「大きな移動が起きている」と聞く。それは人だけじゃなくて企業も同じ。
ま、凡人はせめて「株式投資でもしてプラスアルファの収入を得る」のが良いと思うけれど、今日の「キオクシア」の例は氷山の一角というか、そもそも株式市場というのはそういう風に出来ているわけで、突然、その中に飛び込んでも「上手くいくことはある」にしても、「10年、20年、30年と安定的に収入、資産を増やすのは簡単ではない」のは歴史が証明している。でもこの10数年だけを見ると「誰にでも出来そう」に思うから怖いのね。「落とし穴や地雷だらけ」なのにそれが見えないようになる。
でも「流れに乗る」ことだけを重視し、「Trend is friend」とその友人だけを頼りにすれば「生き残りは難しくない」世界。そして「飯の種」もそこにあると思う私。
投資方法、売買手法は様々なものがあるけれど、それを逐一探求していると10年20年じゃ足りない。
でも「流れに乗る」「Trend is friend」だけに絞って「逆張り」「値頃感での売買」「経済状況からの予想」などは「切り捨ててしまう」のが近道だと思う。
「新NISA」に手を出して、「ガチホや積立」も「思ったほどうまく行っていない」と思う人こそ、【大躍進のチャンス】だと私は思っていて、「流れに乗る」「Trend is friend」に注力したら良いし、その「気付き」が「10年後、20年後の自分を作る」のは間違いないと思う。逆に「ガチホや積立」でうまく行っている人は「時限爆弾を抱えたままこれからを過ごす」のだと私は思う。
多くの「ガチホ、積立で良い」と考える人たちの根拠にはこれがあるはず。アメリカのNYダウの長期チャートだけれど、世界大恐慌もブラックマンデー、ITバブル崩壊、リーマンショックでさえ【持ち続けていれば利益が出る】と。

それは間違いの事実だけれど、実際にそういう出来事は「戦争や大震災」と同じで、なかなか「豊かなまま生き残るのは簡単ではない」し、日本の戦後の焼け野原も「現代のように発展するじゃないか」、だから「待っていれば良い」というのと同じ。これは「それぞれの出来事の中で生き残るのは簡単」という間違った前提があるんじゃないですかね。
でも「我慢できていればうまくいく」のは間違いがないんでしょう。
私はこういう「波」は【フラクタル構造】になっていると思っていて、上のチャートの様な「大きな波」も【大きく崩れる時】が来ると考えます。それが歴史で言う「文明の入れ替わり」「覇権国の滅亡と新たな誕生」であり、かつてのエジプト、ギリシャ、ローマ帝国、そしてオランダやイギリスの全盛期も終わって、アメリカが伸びてきて、同じ様に中国が伸びているように、「今よりももっと大きな変化」にも思いを巡らせる必要があると思っています。
と同時に、その「波」は300年周期、100年周期、あるいは10年周期、数カ月の周期、そして「一日の中にも波が存在する」わけで、私たちは【その波を捕まえて乗るしかない】はずで、デイトレとは「非常に短い周期の波に乗る」ということでしか無い。
もっと長い周期で考えれば、「地球に生命がなかった時代」「古代生物の時代」「恐竜が跋扈していた時代」があって、そして「地球上の人類も滅亡」「太陽もいつか消滅する」のは【わかりきっている】んじゃないですかね。そして私たちはその「波、周期の中で生きている」わけで、「ガチホじゃ駄目」だから「火星への移住を考える」のだろうし、いつか「太陽系からの脱出」も考えるんでしょう。
例えばこのチャート、波があるのがわかるけれど、このチャートは「何十年、何年、何ヶ月、何日間」のチャートかわかりますかね?
このチャートは今日の話題に出した「キオクシア」のある日の10:30から11:00まで、30分間の動きでしかない。
つまり30分という短い時間だろうが、数カ月だろうが、数年、数十年でも「常に波が起きている」ことに変わりはなくて、「その波に乗る」ことによって「利益を出す」しかないし「利益を出せる」ということでもある。
「ガチホ」とか「積立」ってこういう「動きの中でどういう意味があるのか」考えてみたら良いんじゃないですかね。
雨が降れば傘をさす。天気が良ければ傘はささない。雨が降っているのに「いつか晴れる」と濡れるままにする人っているんだろうか。また「雨が降ってもいつか晴れる」わけで、その時に「出かければ良い」し、株式投資もなんでも同じだと私は思う。また過去の「元寇の役」でも蒙古軍が攻めてきた時に「やり過ごせば良いさ」と考えたら日本はどうなったのか。関東大震災も戦後の混乱も「何もせずに待っていれば良くなるさ」と誰が考えた?311の東日本大震災+原発事故で「逃げる必要なんかないさ」と考えたらどうなった?
その基本は100年でも50年、10年、3ヶ月、そして「一日の中」でも【全く同じ】ということじゃないですか?
それさえしっかり理解できて、「波に乗るのはどうするべきか」がわかれば【将来は明るい】と私は思う。だから「学び、繰り返し練習するべきこと」は【波乗りだけ】で良くて、対象が個別株か、インデックスか、いやいやオルカンでしょうなんて考える必要もなく、FXでもWTI石油でも金(ゴールド)でもビットコインでも皆、同じこと。
重要なことは「常に傘を用意する」「危機が来たら対処する、逃げる」ということで、でもこの業界は「傘は不要」「逃げる必要はない」というプロパガンダが横行する。
理由は簡単で「買うばかりで売らない人は最高のお客様」、そして「他人の不幸が自分の利益に結びつく(危険が迫っても逃げない人が多いと自分は助かる)」から。







