日本の個人金融資産は2519兆円で過去最高なんですってね。家計部門の負債残高は416兆円ですと。
これって当然、株価、不動産の高騰があったからで、持つ者と持たざる者の「格差が広がっている」のは間違いがない。
こういうニュースって本当に危ないと私は思うわけで、誰だって裕福になりたいから、「お金持ちはどうやって資産を増やしたのか」を研究するし、「自分もその後に続こう」と思うのが当たり前。
特に若い人たちってその辺を簡単に考えてしまうんじゃないかと心配で、でも「うまく行っている人たちの真似をする。後に続こう」と思うのはありとあらゆる分野で「正解」なわけで、仕事でも勉強でも遊びでも同じ。
でも「富士山に登るのは大変だったけれど、山頂に登った時の感動は素晴らしかった」というのとわけが違うじゃないですか。「富士山は常にそこにある」から「富士登山に挑戦すれば同じ経験が出来る可能性は高い」し、「挑戦する意義がある」。
ところが「株式や不動産」って「高い状態が常に続くことはない」はずで、【山の頂上に行くつもり】なのに【行き着いたところは深い谷間だった】なんてことが起きる。【堤防釣りで真鯛が爆釣している】と聞いて、行ってみたら「全く釣れなかった」のと同じで、「二匹目、三匹目のドジョウを狙う」ことの難しさがあるのを理解しているのかと思う。
というか、「人生とは二匹目、三匹目のドジョウを狙うことである」と考えているフシがあるようにも思える。
でもそれも「誰しもが通る道」なんだろうと思うし、若いときには「経験者の真似をすることぐらいしか出来ない」し、それをせずに「私は私の好きなようにする」というのは危険極まりない。「学校なんか行かないよ」「就職なんかしないよ」というのも同じ。
ま、私も幼稚園の頃から「学校嫌い」はそのまま変わること無く延々と続いたし(笑)、「就職しない」なんてのも学生時代から決めていたけれど、そういう生き方って本当に「野生」というか「野良犬」というか、チャレンジとしては意味があるかもしれないけれど、やっぱり危ない。それはまさに動植物の世界でも「野生種の生存率は低い」ことが証明している。
だからやっぱり「他人の背中を見て自分も歩く」のが良いと思うし、でも「盲目的についていくのではなく」て、「改良を続けて行けば良い」と思う。でもその「改良さえしようと思わない」人たちが多すぎるように思うんですよ。
これは私の幼い頃からの友人知人もそうだったし、社会に出てからも同じで、「自分で新たな道を切り開こう」とする人って結構少なくて、「安全なレールの上を走っていきたい」と思う人が圧倒的に多かった。
でも70年以上も生きた今となれば「世の中に安全なレールなんてない」のがわかるわけで、でも「他人と違う道を歩くのはリスクが高すぎる」のも間違いないのね。
ま、そのへんの「選択」が人生の分かれ道なんだろうと思うけれど、結局は「自分が信じる道を行く」しかないんでしょう。
でも私みたいに「幼い頃から自信喪失しているケース」ってあって、そもそも「自分が信じる道なんて無い」のね。それどころか「皆が普通に進む道を自分が歩くことも難しい」わけで、「夢」なんてないし、でも「眼の前には絶望が続いているのは見える」。
でも「歩き続けるしか無い」わけで、自信に溢れて人生を生きる人も多いだろうけれど、もし「自信喪失している」という自覚がある人には、「だからこそ自分はユニークであり、他人が行けないところに行けるチャンスがある」と考えたら良いと思うんですよ。
ただ「努力だけは他人の何倍もする覚悟が必要」で、でもそれって「難しいことではない」と私は思っていて、「自信喪失し、劣等感の中で生きる」よりも「他人の何倍も努力をする方が楽」なはずなのね。でもそうしたからと言って「自信を取り戻せるか」というとそもそも「そんなものは最初から無い」し、「何倍も努力しても【人並みになれるかどうかもわからない】はず。
だから「死を選ぶ人」も少なくないし、私はそれはそれで「自分の選択」として良いと思うんですよ。でも「なんらかの光なり将来に続く糸が見えたらとりあえず、それを追いかけてみる」のも良いんじゃないかと。「死ぬのはいつでも出来るから慌てることはない」というのも私は良い考え方だと思うし、最終的に何を選ぶかも自由で良いんじゃないですかね。
ま、「日本の個人金融資産」の話から、なんでこんな方向に話が飛ぶのかと思う人が大半だろうけれど、私は「自分の根っこに流れる大事なもの」「生き方」とそれは大きな関係があると思っていて、「他人の真似をすれば良いのさ」と考える人はそのままやればよいし、「でも、何か違うんだよね~」と感じる人は【そこに大きな飛躍のチャンスがある】のは間違いないのだから、その「小さな違和感」という【大事な種子】を育てて欲しいと思うわけです。
「友人が宝くじを当てたから、自分も買おうと思う」という人はそれはそれで勝手にやればよいし、でも「自分は自分で道を極めたい」という思いが少しでもあるのなら、【頑張れば道は必ず拓ける】と私は思うわけです。
「今更、遅いんじゃね?」なんてのを誰しもが感じているだろうけれど、やっぱり「世の中は【波】で構成されている」のは間違いがなくて、「チャンスは必ず巡ってくる」し、「今もそのチャンスは山のようにあって、自分にはそれが見えていないだけ」と考えるのが私は正解だと思う。
今まで何度もだした「日経225の過去チャート」を見てください。
1980年代の「儲かり方」は今の比じゃなかったんですから(チャートの「a1」の部分)。株の値上がりも凄いし、不動産の値上がりも今以上で、私の980万円のワンルームマンションが10年後に5500万円で売れたことを何度か書きましたし、私の近い人の土地が「坪16万円で買った」ものが「(20年後に)坪100万円で売れた」なんてこともあった時代。
どれほど「株じゃ不動産じゃと世の中が熱狂したのか」は想像できるんじゃないですかね。あの当時の「個人金融資産」の増え方って今以上だったんじゃないかなぁ。私の「地方に住む小さな個人事業主の友人」も【あの頃は月に500万は儲かった】なんていう。でもそれらは「砂上の楼閣」で一気に崩れていったし、「金持ちだったはずの人たち」の【行方】も悲惨なものがあった。株も不動産も下げる中で【こんなはずはない】と「買い向かった人たち」も多く、そういう人たちは「地獄まで連れて行かれた」と言っても良いと思う。演歌歌手の千昌夫が「不動産王」みたいになったけれど、結局は2000億円を超える借金を残した。
このチャートを見て理解すべき重要なことは【含み益は利確しない限り利益にはなり得ない】ということ。多くの人は「値上がりを気にする」けれど、重要なことはそこじゃなくて「利確できたのか否か」ということでしかない。
キオクシアもそうでしょ。
万歳三唱しているのは「売って利確した人達だけ」じゃない?「上がった~~」と喜んでいたのに、今は「含み損を抱えている」とか、「レバレッジを掛けていたので、全て失った」人も多いはず。「まさかここまで下がるまい」と考える人も多かったはずで、ナンピン買い下がりをして「傷口を広げた人たち」は少なくないと思う。もうそうなると「損切り」も本当に難しくて「10年でも20年でも塩漬けにしてやる!」と考える人も多いかもね。でも「塩漬けに出来る人は恵まれた人たち」で多くはそういう状態は続かず表舞台から消えていくのがこの世界。
だから「含み益は利確する事が重要」なのと共に「大きく負けないことが重要」で、それを考え抜いた「戦略」が基本ってことじゃないですかね。トレンドフォローに徹していれば「下げトレンドで買いポジションを持つことはありえない」から大負けすることもないのね。それが「最初の一歩」で、次に「下げトレンドでも利益を出す」ことを考えるようになるのが「順当な成長」と言えるはず。
「チャンスは常にある」のも忘れちゃ駄目で、でも「過去の儲けたパターン」と「今は違う」し、「将来もそれは変わる」はずで、「時流に乗った利益の出し方」を常に模索していればどうにかなる。
ソニーだって、今、ウォークマンを売ろう、いやベータマックスの復活だ~なんてことはありえないのと同じで、常に「時代の先を歩いていく」しかないじゃないですか。
投資だって同じで、「買って放置しておけば利益が出る」なんてのは「夢のまた夢」でしかなくて、【そんなことはありえない】という【決め】から出発すれば、私は「必ず道は拓ける」と思っています。
でも「ガチホで良いんじゃね?」という人はそれはそれで良くて、「プロやハイアマの肥やしになる運命」なのはほぼ間違いがないのだから、「自分はしっかり夜中に包丁を研いでいればOK」だと思う。
でも「上の日経225もキオクシアも同じ」で、「値が上がっている時に売る必要はない」わけで、「ガチホ」の人達と一緒に「もっと上がれば良いね~」とニヤニヤしていれば良いし、でも自分は「逃げ方もきっちり学ぶ」ようにしていれば良い思うし、「乗っている船が沈みかけたらすぐに逃げる」のは当たり前のことで、「まだ大丈夫だろう」「沈むことはないだろう」なんて考える必要もないはず。
でも「沈みそうで沈まなかった」り、「下がったけれど、再び世間の注目も集まって上がりだす」ことがあれば、「再び乗れば良いだけのこと」じゃないですかね。これって「地震の後の津波」と同じで、「逃げるべき時には逃げる」事が重要で、結果的に「津波は来なかった」にしても【逃げて損した】ではなくて【大津波が来なくてよかったね】と言えるようであるべきなのは「投資も同じ」だと思う。
それはキオクシアも同じ。ビットコインだって、そういう「荒波を乗り越えて今がある」んじゃないですかね。でも将来のことは「神の領域」だから考えすぎても意味がなくて、「光が見えたらそれに乗る」「光が見えなかったら降りる」だけで良いはず。「雨が降れば傘をさす」「天気が良ければ傘はささない」のと全く同じこと。
この波は今後、何十年も続くはずで、その時どうなっているかなんてどうでも良くて、「常に波に乗る」ことが【唯一のやるべきこと】じゃないでしょうか。
次に大事なことは「値下がりしても【下げから利益を得る】方法」を持つこと。FXの経験がある人は簡単に理解できるはずだけれど、「買い(売り)しかしない」というのは【どれだけ異常なことか】を理解する必要がある。でも株式市場では「空売り(ショート)は危険。素人はやるべきではない」と大々的なプロパガンダを展開するのは何十年も前から変わらない「世界の常識」で、それは「株を買って売らない人が多ければ多いほど、皆がハッピーになる世界」だからなのね。だから「空売り(ショート)の制限をつける」なんてことも当たり前のようにやる。
株式市場を見る時に「空売り(ショート)したら良い銘柄はあるか?」「今は空売り(ショート)すべきかどうか?」という【見方】ができるようになれば、バッチリだと思う。もし「買いしかしない」にしても「空売り(ショート)の対象やタイミングが見れるようになる」のはどれだけ重要なのかわかるはず。
また、今みたいに「上昇する期間が長い」こともあれば、「下降する冬の時代も長い」かもしれず、その間に「含み益は無くなる、あるいは含み損が増え続ける」ことに平気でいられる人は少ない。だからやっぱり「下げでも利益を出すスキルを持つ」って非常に大事。
自分が「兵士」だと考えてみれば簡単にわかることで「銃を持って突撃することしか知らない」としたらどうなるのか。でも投資の世界では「待つこと(隠れてジッとしている)」「撤退すること」「降参すること」を教えないのね。とにかく「前に進め」としか教えない。
これは上の日経225のチャートの1980年代も全く同じだった。そして未来永劫、それは変わらないはず。
「逃げ方」「空売り(ショート)」の重要性が見える時代はすぐ間近かもしれない。「どうなるか」ではなくて、「どうなっても対処できるようにする」ことが重要だと思う。

