今年からは「ケチケチしないで行こう」と思う & ダボ家の変化

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私達家族は「資産倍増」を狙って2016年にオーストラリアからマレーシアに渡ってきました。

あえてそういう明確な計画を持たずとも【マレーシアでは所得税が掛からないケースがある】(なおかつ生活費も安い)のを理由に渡って来る人も多く、それはシンガポールやドバイに日本人が多く流出しているのと同じでしょう。私の取引銀行では、一族でシンガポールに移住して「年間の生活費は1億円」なんていう日本人家族も出てきて、シンガポール支店では日本人担当者を増やして生活全般のフォローを始めたそう。シンガポールやドバイに行く人達は「桁が違う」から凄い。(笑)

だからやっぱり我が家は「老後を謳歌しよう」「楽しもう」という考え方は皆無で、基本的には「ケチに生きる」しかない。

でも性格的に私は「散財が好き」ってわけではないものの【物欲は強い】し、まさかと思うものまで買ってしまうのは若い頃からの癖。

最近は「ミニマリスト」「断捨離」という言葉も流行って「節約」がキーワードですが、日本人があのバブルの時代にどれほど狂ったようなお金の使い方をしているのかを横目で見ていただけの私としては、まるで日本人が変わってしまったのに驚くくらい。

ま、それは「経済環境に依存する」わけで、どんどん実質所得が減るばかりで貧しくなる日本人が「節約しよう」となるのは当たり前ですが、政府も個人も「使うべきは使う」ことをしないとどんどん経済は萎縮するばかりだとも思っています。

【無い袖は振れない】のも当たり前ですが、それが当然だと誰しもが思うから、今の閉塞感のある日本になってしまったのも間違いがない(アメリカは真逆で借金をしてでも使い、投資するのを基本とした経済)。特に「日本政府」がそれで、政府の借金は大きいものの「銀行管理になった企業」のような経済対策をしていたら、まさに「息をしているけれど死んだような日本」になるは間違いがなくて、せめて「需給ギャップは政府が埋める」ことをしない限りどんどん駄目になる。

極端な円安で多くの国民は「(物価も上がり)放置するのか~」と怒ったけれど、円安は日本経済にとっては追い風でその証拠に「企業も儲かり、国の税収も増えた」。でも我らが日本政府は【増収分を国民に還元しようともしない】。ほんのちょっと補助金を増やしてお茶を濁す程度。

企業の利益も出て働く人たちの給料も上がり始めて、「背中を押せばもっと良くなる」だろうに、日本政府はそれをしない。

そしてこれからはもっと増税し、国民を締め上げるであろうことも見えている。

困りましたねぇ。

でもそれって「家庭も同じ」だと思っていて、他の家庭はどうだろうと我が家は「リスクをとっても発展を目指して行かなくてはならない」わけで、まずは【お金の回転を早める】必要があると思うし、2024年は新たな目標も立てて動き出しましたし、「お金の使い方」にも変化をつけようと考えだしています。

当然、「無い袖は振れない」のは当たり前ですから、稼ぐしか無い。

これがですねぇ、面白いのはやっぱり「お尻に火がつかないとやる気が出ない」のも事実で、【論理的にこうだからこうしよう】なんて思っても駄目なんですよ。やっぱり「このままじゃヤバいんじゃないか」という恐怖感があってこそやる気が出るのは昔から同じ。(笑)

ま、そういう意味でも去年の人生最大の損失を出したクレディ・スイスの件は、私の恐怖感ややる気に火を着けたのは間違いがなくて、その勢いをどうにか維持してやっていこうと思っています。

ここで普通なら「支出はもっと抑える」方向に行くのでしょうが、私の性格を元に考えるとそれは理屈ではわかるけれど実行は難しいのね。

だから【増えたら使うのを基本にしよう】と思うわけです。だからこそ「入りも増える」という考え方。ポイントは「回転を良くする。生産性を上げる」ことで、1ヶ月を15日とすれば、動くお金も二倍になる。日本のGDPも同じ。

当然、「増えなければ使わない」し、【減ればもっとケチに徹する】のも当たり前のこと。

やっぱり新年を迎えるのは「気分転換」にもなるし「新たな目標を立てる」のにも良いと思っていて、今、それを固めている最中。

実は面白いと思うのは、そういう私の変化があるだけではなくて、シドニー在住の次男坊にも似たような、そして【大きな】変化が出てきているのがわかりました。

昨日、次男坊と二人だけで数時間、話をしていたのですが、彼の悩み、本心を聞くことが出来ました。

私にしてみると次男坊は独立心旺盛で一人でドンドン上を目指して登っていく男なのは彼が幼い頃から同じ。そして学業でも高校ではオーストラリアのどの大学のどの学部でも好きなところへ行ける成績をだし、(返さないで良い)奨学金をもらい学び大学院(専門は統計・確率)も出て、そして監査法人からお呼びが掛かり、会社の経費で働きながら学び公認会計士にもなった。そして年齢的にはオーストラリアでもトップクラスの速さで昇進。収入も日本と比べたら高所得者の部類。まだ33歳です。

私にしてみると「エリート街道まっしぐら」だと思っていたんですよ。

ところが、彼はやる気満々の男だけれど、やっぱりプレッシャーが凄かったのね。うつ病になり精神科医にも掛かり、かなり追い込まれていたのは私は気が付きませんでした。

そして結婚し、子供が出来てから「考え方がガラッと変わった」と言うんです。もうトップを狙う気もないし、収入増を目指して上を狙えばもっとプレッシャーは酷くなるのも見えていて、人生で大事なのは地位や名誉でもない、金でもないのが良くわかったとのこと。今じゃ、「家族第一主義者」そのものです。9時5時の仕事以外はしたくないとまで言う。

そして【俺はただの奴隷だ】と言い出したのね。そこそこの会社での地位と収入もあって、順風満帆に見えるけれど、「実は違う」という。

これは前にも書いた、私が高校生時代に「自分も含めて世の中の人達は皆、小作人になるために頑張っている。そういうシステムに組み込まれていると思うようになった」のと似ている。

そして「この奴隷制度を維持するのが世の中の基本」であって、もうそんな世界に夢もなければトップを目指したところで所詮「奴隷の見張り番をする奴隷になるだけ」だと彼はいう。

でも一介のサラリーマンでしか無い自分は、そこから脱する手立てもないと。

何を贅沢なことを・・・と思うのが普通ですが、これは「シドニーに住んでいる」からそう思うのかもしれない。シドニーってとんでもないリッチなところで、昨日、次男坊にシドニーの「不動産事情」がわかる検索機能を見せてもらいました。

シドニーの不動産事情は私が想像していた以上恐ろしいことになっていて、次男坊が借りているコンドは小さなコンドで月々のレントは25万円ぐらいとのことですが、彼の住む地域で検索すると「似たような間取り、レベルでそれ以上安いコンドは一軒しかヒットしない」のね。

「買うともっと恐ろしいよ」と言われて、「一軒家・コンドの価格」を検索すると、なんと1億以下の物件はその地域ではゼロ。2億以下で調べてみるとチョロチョロ出てくるのですが、その物件情報を見、写真を見て驚いたなんてもんじゃありません。かつてのゴールドコーストだったら1000万以下で買えるような家。

3億円以下にすると数も出てきますが、それらの内容を見ても「嘘だろ?」の世界で、本当に小さな家で、大きな家の谷間にあるような家だったり、なおかつ古い家ばかり。

私達がゴールドコーストで住んで、子どもたちが育ったプールやサウナもあるウォーターフロントの結構大きな家(ゴールドコーストはそういう家が多い)ですが、シドニーではウォーターフロントでなくても5億以上すると。( ̄口 ̄∥)

きっと彼は当時の生活を思い出し、今、自分でも息子を持った彼が「到底ああいう生活は出来ない」と悟った時の絶望感、悔しさもあるんでしょう。今、彼の子供(私の孫)は一歳を超えた。そして彼は自分が一歳の頃に住んでいた家、泣いたり笑ったり毎日を過ごした家を思い出すといろいろ思うこともあるんでしょう。彼にしてみればそれが普通の生活だったわけだから。

こんな家。

昔はオーストラリアの物価も不動産も日本より安かったし(特に田舎のゴールドコーストは安かった)、だから良い生活も出来たわけだけれど、今は話が全く違う。

時代は変わって、シドニーでは「家から海が見えるだけで3億」という話は聞いたことがありました。恐ろしい都市です。

そんなことを考えると彼としては「もう将来がない」と思うんでしょう。【限界がはっきり見えてしまった】ってこと。ま、一般論で言えば「贅沢」なのは間違いないと思いますが、彼自信が「夢も希望も無くしている」のは事実だからしょうがない。彼は頭も良くて学歴もあって、仕事もできて高収入で、自分でも自信があったのでしょう。家族も周りの人達も彼を褒めていたし。でも普通にサラリーマンをしていたらいくら収入が良くても限界があるのはわかりきったことなのを、今になってそれに気がついたおっちょこちょいでしかないのかもしれない。

2億以下でそこそこの家を「範囲を広げて探せばいくらでも出てくる」にしても、シドニーのど真ん中にある会社に通うには一時間以上掛かるような地域ばかり。

そして「そういう家さえも自分には買えない」のが次男坊にはわかるわけです。

彼が「経済的に厳しい」と愚痴を同僚に話したところ、「シドニーは貧乏人が住む場所じゃないと言われた」と聞きましたが、そういうことなんですね。私もやっと理解が出来ました。

ま、日本で言えば、「そこそこ稼いでいる若いサラリーマン家族でも会社のある港区には住めない」みたいな感じでしょうか。だから贅沢といえば贅沢に間違いがない。

彼は「他の地方、他の国への転勤」も考えたとのこと(結構、望み通りに出来るらしい)。でも「俺は所詮奴隷」だという思いが強くなってしまった。そして奴隷の頂点として「監査法人のパートナーになる」のは簡単ではないし、仕事はもっとハードで何年掛かるかわからない。パートナーになれる保証もない。

そして住まいはもちろん、子供の教育をちゃんとしようとしたら小学生でも年間400万は掛かり、そのための貯蓄を考えると全く余裕がなく、二人目の子供なんて考えられないと。

では次男坊みたいな境遇の同僚はどうするかというと、監査をしながら出来た人脈を辿って大企業の良いポジションに流れていったり、新興企業の株やストックオプションをもらって要職につくようなことをしているらしい。

だから次男坊はデイトレなんてバカにしていたのに、今では一生懸命にやっている。

次男坊に聞いたんですよ。「もしデイトレで稼げるようになったらどうするつもりか?」と。そうしたら「当然、専業トレーダーになる」という答え。( ̄口 ̄∥)

これにはいささか息子たちにトレード技術を学んで欲しいと思っている私でも驚きで、そんなことまで考えているとは想像もしていなかったんですよ。

「おいおいおい、ちょっと待てよ」と言ったのですが、それどころか彼は「俺たちも家族でマレーシアに行くという将来はありうる」と言い出した。

私達が今マレーシアで借りているコンドですが、シドニーだったら3億出しても買えないだろうとのこと(マレーシアでは8千万ぐらいのコンド)。彼は今彼が払っている毎月25万円のコンドのレントですが、マレーシアだったらどの程度のコンドが借りられるか調べて驚いた様子。

だからマレーシアに行けば生活レベルは上がるし、トレーダーなら所得税も無税、生活費も安いとなればマレーシアに住むという選択は間違いじゃないという。シドニーにいたままトレードで頑張って稼いでもほぼ半分は税金で持っていかれますから。ま、それは私達がマレーシアに来ると決めたのも同じ理由。

そこまで精神的にも経済的にも追い込まれているのか・・と私も本当に驚きました。でもそれもまた、私がマレーシア行きを考えていた当時と同じ。(笑)

でも毎日忙しく働いている中で「デイトレ」なんかほぼ無理なのね。だから彼は土日でも動いている「暗号通貨」でデイトレの練習をしている。でも暗号通貨は皆が思うほど大きな市場ではなくて、「デイトレでは(我が家の手法だと)うまくなっても大きく稼げる規模がない」のね。これは私も次男坊と一緒にやろうと思って口座を開いてやり始めてすぐにわかったこと。「上に行く階段は見えるけれど、すぐ上でその階段は途切れている」ってこと。

だから次男坊がそこそこデイトレが出来るようになっても「大きくなるためには他の銘柄、時間帯にトレードする必要があって、それは会社をやめなければならないことを意味する」ってことなのね。でもそのリスクを彼が取るには余りにも無謀すぎる。

だから考えられることは、私と長男が「次男坊の収入を保証してマレーシアに呼ぶ」しかない。そして「その頃にはトレードの基礎はそこそこわかっているであろう次男坊を私と長男とで付きっ切りで徹底的に鍛える」ことになる。当然、逆張りだのボリンジャーバンドだのフィボナッチだ、RSIだMACDだの、そしてファンダメンタルズの考え方さえも次男坊が良いと考えることは一切【無視】で、【我が家の基本手法のみ】を徹底的に教えることになる。その後、自分なりのカラーを付けるのは勝手。

これも半端じゃなく大きなリスクなわけだけれど、長男とも話をして、二人でどの程度稼げばそれが可能なのかも試算もして【毎日のノルマ】も大体わかってきた。ただし、「次男坊を鍛えればどうにかなる」という見通しが立たない限り彼をマレーシアに呼ぶことは絶対に出来ない。

当然、次男坊家族をマレーシアに呼んで「好きなことをして遊んでいても良いよ」というほどの余裕は我が家にはない。絶対にありえない。彼が投資で生きるにしてもそんな資産を彼は持っていない。そして次男坊も独立心が異常なほど強いから、私達におんぶに抱っこの生活は絶対にしたくないし、「それでは自分の中の男が死ぬ」「ありえない」という。そんなやつだからこそ、マレーシアに呼んでも生きる道はあるかもしれないと思うわけです。

性格的にトレーダー向きなのは長男より次男坊の方で、話すたびに「一歩前進している」のは見える。そして理解するスピードも早い。自分のデイトレも全ての売買譜を残して、チャートを見ながら反省会もして自分の長所短所を洗い出しているし、エクセルに落として統計まで取るようなやつ。

結局、日本でも「社畜」という言葉が一般化し、多くの若者がFIREを目指すのはシドニーでも同じってことなんですね。そして我が家の場合は、それを一族で後押しすることになる。おかしな家族だとは思いますが・・。(笑)

でも我が家は「もうお前は大人なんだから、自分で自分の道を切り拓け」と突き放す考え方は全く持っていない家族。生きることは戦いでそれは【団体戦】という考え方です。会社だって同じでしょう。それぞれが勝手に動いているなんてありえない。日本という国も同じ。

考えてみると、2008年に私達家族がマレーシア行きを決めたとき、なんと当時アメリカはサンディエゴに住んでいた(ハワイはホノルル住まいが長かった)姉夫婦がマレーシアに渡ろうとしていたこと(すでにMM2Hは取っていた)を知り驚いたのを思い出します。姉弟でもそんな話は一切しておらず、本当に偶然。

それを知った両親は「今まで世界にバラバラで住んでいた家族がマレーシアで集合できる」と思ったのね。だから速攻でMM2Hを申請し、私達よりも先に両親はマレーシアに移ったわけです(私達はリーマンショックの直撃を喰らい、8年もマレーシア行きが遅れた)。そして今、同じKLに私達一族は住んでいて、次男坊だけがシドニーに住んでいる状態。

でもまさかのまさかでその次男坊もマレーシアに来るかもしれない。

フト思うんですよ。姉と私の偶然、両親までもマレーシアに渡り、そして今、まさかの次男坊さえマレーシアを視野に入れている。これって「神の采配か?」なんてことまで思ってしまいます。

どちらにしても、ダボ家は「新たなステージに向かっている」のは間違いがなくて、そして親としても「将来に落胆し、悩んでいる次男坊(だけ)を放置することは出来ない」わけで、やっぱり「一族として力を合わせてどうにかするしかない」と思っています。

ま、私は息子たちが幼い頃から、いつか兄弟でそれぞれ違う分野のスキルを合わせて「Dabo Investments LLC」なんて作ってやってくれたら良いなと思い、それに合わせて長男や次男坊の進学、就職のアドバイスもしてきました。

考古学者になりたいという長男を説得して「金融・ビジネス」の方向へ進むように誘導(催眠術みたいな?)したのもやりすぎだとは思ったもののそうしてきたわけで(今、長男はそれで本当に良かったという)、今、知らない内に、私がずーっと考えていたダボ家の状態になるように動いている。でも私はそれはまだまだ「先の話」だと思っていたのですが、私が何も言い出さないのにそういう風に動いているのが不思議な感じもします。

去年のクレディ・スイスの大損も、去年、はっきりわかった私の身体の不調も【新たなステージに行くためにすぐに始動せよ。機は熟した】という「知らせ」なんだろうと思ったり。

私が夢見ていた「ダボ家の将来の形」は、もしかしたら私が考えていたのじゃなくて、私もまた【一つの駒でしか無かった】ような気もするのです。

トレーダーなんて何を生産し作り出すこともなく、社会に貢献しているわけでもなく、誰に喜ばれることもなくバカにされるギャンブラーと同じですが、でも我が家には「基盤を作る」にはこれしかなく、遠い未来の夢に向かって突っ走って行くつもり。

今のダボ家は「今年は頑張ろうぜ~~♫」なんて軽い感じではなくて、皆が真剣に「現状打破」を考えなくてはならなくて、やる気満々で気持ちは一つになっています。

頑張ります。将来どうなるかと言うより、自分の命以上に大事に思う子どもたちと「皆で同じ目標にむかって、一緒に邁進できる」ことが何よりも嬉しいです。やっぱり我が家の血筋は「商家」なんだろうなと思ったり。いやいや農家も漁師も同じですね。

久しぶりにこの曲を聞いて、自分を奮い立たせています。(笑)

「このままでは終われない。まだ夢の途中、諦めない・・・」

こんなことまでブログに書くのは馬鹿げているとも思うのですが、このブログはマレーシア情報の発信ではなく、ダボ家の記録、毎日何を考えて何をしていたかの記録なので、本当は書きたくないようなことも書いています。

そしていつか、天井を見てベッドに寝たきりになったら、これを読み返してみたいし、子どもたちもいつか興味を持ったら「オヤジはこんな事を考えていたのか」がわかるようにしたいと思っています。

実は昔、私の父の日記を見つけたのね。若い頃、戦争中の日記です。最後の日記は「広島に新型爆弾が落ちたらしい」というところで終わっていますが、その日記を見た時に、父を非常に身近に感じたし、実は父のこと、ましてや若い頃のことなんて自分は全く知らなかったことに気がついたんです。どんな思想を持っていたのか、何を大事にしていたのかも知らなかった。

だから私のそんな一面をブログという形でも残せたら良いと思っています。

いつか孫が大人になってこれを読んで「オジーチャンはこんな人だったんだ」なんて思うかもしれなくて、そんなことを想像するだけでも楽しいです。

もし出来ることなら、私の祖父母が若い頃の日記やブログでもあったら是非読んでみたいと思うし。(笑)

 

 

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