amazonが凄い家庭用アシスタントロボットを発表

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しかしまぁ、最近あちこちの分野で進化が見られて、面白いやら目が回るやら、どれもこれも欲しくなって困ります。

Amazonが家庭用ロボットというか、言葉でやりとりする「アシスタントデバイス」を発売しました。

何かというと、最近のスマホでも使われているように、そのデバイスに話し掛けるといろいろ教えてくれたり、アラームのセットをしたり、メモを保存したり、また音楽を鳴らしたり、まぁ、いろいろ出来るようです。

米アマゾン、仮想アシスタント「アマゾン・エコー」を発表  ← クリック

何が出来るかですが、この動画を見るとわかると思いますが、かなり凄いと思いました。

この手の製品がいろいろ出てくるようですが、ロボットに近いようなものも開発中。これはJIBOというロボット。発売は2016年の予定。599ドル。

この手のデバイスがどのくらい頭が良いかというのは人工知能とかロジックももちろんですが、蓄積された情報量によると思うのです。そういう点でやっぱり大手の製品の方が良さそうに思います。データは内部に蓄積されているのでは無くてインターネット経由でクラウド。

わからないことがあれば自分で調べずに、また誰かに聞くことも無くロボットに聞く。料理のレシピもそうですし、ニュースもそう。こういう時代になるのが良いのかどうかは別にしてかなり便利にはなりますね。

でも私が気になるのは、こういう機械に恋をする人がかなり増えるであろうということ。これってAppleのMacにしてもそうですが、好きな人にとってMacってただのPCじゃないんですね。家族の一員。それこそ子供が学校から帰ってくるとバービー人形に「ただいま」っていうのと同じ世界。

こういう幼児性ってかなり世界に広まっていると私は思っていて、私たちも気づかないうちにそうなっている部分があると思います。それだけ、物が進化して物じゃなくなってきたんですね。そして愛するもの、好きなことを擬人化する傾向が多く見られるような気がします。

たとえば、PCですが、「エンターキーを押してください」と言うところで、「エンターキーを押してあげてください」と言ったり、料理で野菜を洗うのに「綺麗に洗ってあげてください」とか。この場合の「~~~~あげる」というのは幼児言葉ですが、これを使う大人が最近特に多くなったような気がします(自分のことを一人称で言わず自ら名前で呼んだり)。それだけ、その対象を好きで没頭しているのだろうとは思いますが、私はこの言葉を聞くとゾッとします。こういう言葉使いが蔓延すると言うことは、好きな物を大事にし、それを表明するのが「恥」じゃなくなってきているということだと思うのです。

上に書いたようなロボットがどんどん出てきますと、それを擬人化し、愛し、大事にし、子供や愛人に接するような人間に対する感情と同じ物を持つようになるのは目に見えています。私もその気がある方ですから。 (笑)

また私が開発者だとしたら、わざとそこを煽るような製品を作ると思います。冬になればそのロボットのために暖房を入れ、毛布を掛けたり、あるいはベッドの中で一緒に寝たり。そんな気になるような「話し方」「接し方」をするロボットを私なら作る。

変な話ですが、昔からセックスをするための人形が売られていますよね。あの世界も恐ろしい世界のようで、恋に落ちてしまう人は少なくないとのこと。その気持ちはわからないではないし、多分誰でもが持っている危険性だと思うのですが、それと全く同じことが起きるだろうし、その方向へ開発者は作るはず。

そのうち、小さなロボットにちゃんと洋服を着せて、連れて歩く人が目に入るような時代になるんでしょう。犬や猫と同じ。

私も早いところ一台欲しいです。 (笑)

病院の天井を見ながら生活するときが来ても、こんなロボットが隣にいてくれたら退屈しませんもの。 (笑)

↑の「いてくれたら」という表現がもうすでにロボットを擬人化しているわけで、自分の危うさがよくわかる。

私としてはJIBOが欲しいぞ、と。(笑)

アマゾンのエコーは199ドル。JIBOは599ドルとのこと。ソニーの犬の形をしたロボット、アイボも持っていましたが、頭の良さは比べものになりませんね。

 

 
    

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