医療崩壊に関して。(敬愛する)武田教授も間違えていると思う。

古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください

私の敬愛する武田邦彦教授ですが、コロナに関する新たな動画を出しました。今までも何度かこのブログでも彼のコロナに関する動画を紹介していますがどうしても私は彼の主張を受け入れることが出来ません。(新しい動画)

彼はデータを元にして

○ コロナは風邪と同じ

○ 医療崩壊は起きない

○ マスクは不要

と主張し続けています。

彼がいつもいうことは「データを重視しろ」ということ。これには私も大賛成。

どのデータを使うかで結果は変わる

ところがですね、ここに落とし穴があると思うんですよ。それは「大事なデータを無視したら、結果は大きく変わる」という点。言葉を変えれば、「データを選べばどんな理論でも正しく出来る」ということ。

コロナと風邪は同じだという説

まずコロナは風邪と同じという彼の主張ですが、これはちょっと飛ばします。理由は彼の言う「同じ」というところで【何が同じなのかはっきりしていない】点。これが明確でなければ、同じも違うも話をすすめることはできませんから。

医療崩壊に関して

医療崩壊に関して彼はこういう数字を出しています。

まず、100万人あたりの新規感染者数(過去七日間の増加)のグラフです。これを見ると、人口比で言えば、【日本の感染者は非常に少ない】と。

次に、人口1000人あたりの病床数のグラフ。日本は圧倒的に多い。

このデータから見れば、【感染者は少ない】【病床数は多い】ことから【医療崩壊はありえない】という結論が出る。

その通りだと思いたいですが、私はこれは間違えていると思います。

ICUの病床数は無視してもOK?

生死の瀬戸際の医療に大切なICU病床数を比較することも重要じゃないんですかね。武田教授はこのデータは出さない。

大事なのはこのデータだと私は思う。

医療の違いも考えるべきじゃないかと

そして「その国その国の【医療の違い】」を彼は無視している。

これは海外生活を経験したことがある人ならすぐわかることですが、「日本の医療は手厚い」「海外はすぐに自宅に帰らされる」というとてつもなく大きな違いがある。

いくつか例をあげますが

○ 海外では一般的に「終末期医療」をしない。
治る見込みがない人は即刻、退院。ガンの末期患者も同様。

○ どんな疾病でも入院期間が大きく異る。
例えば「お産」でも日本は概ね6日間。海外、特に武田氏が例にあげているアメリカやイギリスは当日退院~2日。盲腸も同じで日本は1週間、海外は2日程度。

○ 日本は大事を取る。
私が2018年に日本で「術後の治りが悪く」1ヶ月入院しましたが、海外では2日目には退院させられるレベル。

この日本と海外の違いは大きく、ましてや日本は老人が多く、老人に対しては一般以上に丁寧な治療をしますから、海外の3倍以上の病床がなければ対応できない。

ただこういう状況にはいろいろな見方があって、「入院させないと病院は儲からない」という背景がある様子。だから「入院しなくても良いのに入院させている」という論者も少なくない。

でもこれが是正されないのは、保険制度にも問題があるわけですが、【患者からすれば手厚い治療は嬉しい】のは間違いがない。また医師も「きっちりフォローしたい」と思えば入院日数は増えて当たり前。

そして日本の住宅事情も大きく関係しているんじゃないですかね。2LDKで4人家族、寝たきりの人が家に帰ってきたらどうする?また核家族化は進んでいて、老夫婦だけ、独居老人も多い。その人達をすぐに退院させちゃうべき?

私が2018年に日本で1ヶ月入院したとき、毎日何をしていたかというと、一日に一度、傷口に薬を塗ってガーゼを交換するだけでした。執刀医は毎日、見回りに来ますが【傷口を見るだけ】。

私はオーストラリアで前立腺肥大の手術をしたことがありますが、ササッと手術をして、一日明けたら退院でした。そして「何かあったら連絡をください」というだけ。家に帰ってからは痛みと不安との戦いでした。当然、家では寝たきりで「家で入院している」みたいな。でも医師も看護師もいない。

オーストラリアでは「心配な人は介護スタッフを雇ってください」となる(保険適用)。

また前立腺肥大が再発して、次に日本で再度前立腺肥大の手術を受けましたが(違う手術メソッド)、しっかり8日間の入院(2011年)。この日数が必要かどうかと言われれば私にはわかりませんが、安心なんてもんじゃありませんでした。

そうそう、オーストラリアで手術をした後のことですが、家でお手洗いに行った時に【大出血】がありました。私は貧血を起こしてその場で倒れた。気がついてから大声てヨメさんを呼びましたが、私はデブですしヨメさんはどうすることも出来ず。体の中での出血ですから私もどうしたら良いのかもわからず。だから「もし私が再び意識を失ったら救急車を呼んでくれ」と頼みました。また私自身が「こりゃだめだ」と思ったら救急車を呼んでもらおうと。

結局は30分ぐらい、お手洗いで倒れたままでいましたが、大きな問題にはなりませんでした。

海外で病気になり、入院してもこういうもんなんですね。でも日本じゃあり得ないでしょ。

こういう違いを無視して、「病床数を比べること」に何の意味があると思います?なおかつキモであるICUの病床数は無視。私はここに意図的なものを感じてしまうくらい。

日本は病床数が多いから、それをコロナ患者に振り向ければ良い、医療崩壊も起きないとするなら、では本来その病床を使うべき人たちはどうなるんですか。入院するな?

それで「コロナに関係する医療崩壊は起きない」かもしれないけれど、「違う分野で医療崩壊が起きる」ことになるんじゃない?

それと「医療レベル」にも違いがあるのは誰しも感じること。

「日本は大事を取る」ことをしますから、不必要に思えるような検査もする。これを「金儲けのためだ」という考えもあるでしょうが、患者にしてみれば安心なわけです。それで見つかる他の病気、原因となるものが見つかることもあるわけですから。

こういう違いを一言で言えば、私は「海外の治療は【応急処置】に限りなく近い」と感じるのです。でも日本は「完璧な治療」を目指す。

これって文化の違いもあるはずで、例えば工業製品にしても、日本では0.1%の不良率でも駄目なものが、海外では1%の不良率でもOKだとしましょう。

この違いを無視して生産現場を比べてもよいのでしょうか。

もし不良率が0.5%だった場合、海外では全く何の問題も出ない。でも日本では「すぐにラインを止めなければならない」事が起きる。つまりそれは「生産管理の失敗」つまり医療で言えば「医療崩壊と同じ」になりませんかね。

海外では何の問題もなくても、日本で0.5%の不良品が出たら「緊急事態」じゃないですかね。

ここでコロナに戻って、もし日本も「海外と同じレベルで良い」とするなら、感染症指定も外して、多くの患者を受け入れるようにするのが良いのでしょう。

でももし「日本には日本のやり方、考え方」があって、それを大事にするとしたら、「海外のやり方を真似ることはしない」のが正解じゃありませんかね。

海外で入院したり手術した経験がある人は「日本のほうが良いなぁ」と思うことが多いハズ。絶対とは言いませんが、医療システムの違いはあるわけで、「日本が良い」と私は思います。

これは保険システムも同じで、日本は「国民皆保険」ですが、それの恩恵は多大であるのは間違いがない。世界とは違う考え方が日本にはある。これも「入院患者が多くでる理由の一つ」になるんじゃないですかね。だから日本は「手厚い治療ができる」と考えられるんじゃないですかね。

つまり「医療崩壊」という言葉があっても、「何をもって医療崩壊とするか」が違うってことじゃないんですかね。もっとはっきり言えば、イギリスやアメリカは「日本に比べれば、もうすにで医療崩壊している」という見方が出来るのかもしれない。上に書いた「不良率」の話と同じ。

だから「日本的な感覚で治療を受けたい」と思うと、とんでもないお金がかかるのはそういうことじゃないんでしょうか。だからアメリカでは昔から「ちょっとした病気なら医者にはかからない」と言われてきた。これって日本的に考えれば、まさに(患者側から見た)医療崩壊じゃないんですかね。

日本は海外に比べて感染者も死亡者も少ない。その理由ははっきりとはわからないものの、こういう医療の差、日本の考え方の違いが根底にあるからかもしれないと考えることは重要だと私は思います。

そして日本は日本の医療レベルと保ちたいと思っても、このままだと医療崩壊は目の前に来ていると思うわけです。

とりあえず、急がない疾病の人たちは後回しにするにしても、そう簡単に対応が可能とは思えない。

でもこの責任は私は政府にあると思っていて、せっかく10兆円の対策予備費を用意したのに4兆円しか使わなかった。ICU病床を増やすなり、医療従事者の報酬を上乗せするなりやれることはいくらでもあるのに「下火になる」と読んだのでしょうか。6兆円って凄いことが出来るのにそれをやらずに余らせて、今になって慌てている。私はこの責任は重いと思う。

マスク不要説

武田教授がよく言うのは、ウィルスは非常に小さいので、「マスクの繊維の隙間を通り抜ける」と。それは「蚊が出るからと網目が30センチ四方の網戸を付けるのと同じ」だと。だから「マスクで防御は出来ない」「不要だ」と結論づける。

ところがですね、感染している人はマスクを付けたほうが良いと言う。

その理由は、今回のコロナウィルスは空気感染ではなく「飛沫感染」が主であり、【マスクで飛沫を抑えることは可能】だという。

これも論理的だと思います。

ところが大事な問題がある。

さて私達は今、感染しているのかしていないのか。

感染していないのであれば、マスクはしなくても良いのでしょう。でも感染しているのであればマスクの着用が大事。そして「自分が感染しているかどうかわからない」となれば、「マスク着用が正しい」ことになりませんかね。

私は科学者って誰よりも尊敬し耳を傾けるべき存在だと思っています。でも彼らとて完璧ではない。

そういう意味では、科学的知識が乏しくても、それなりに生きてきた「知恵」は誰にでもあるわけで、それを加味して考えることが重要だと思います。

かつては「地球は平らだ」とどの科学者も考えていた。

馬鹿だよね~なんて笑う人もいるでしょうが、私は恐ろしいと思うんですよ。科学者でさえそう信じていたってことは民間人も皆、それを疑っていなかったってことですから。

これはどの時代も同じだってことを忘れてはならないんじゃないかと思っています。

人の「感情」も大事にすべきだと思う

それと私が大事にしたいのは「人の心」です。

私は人間の行動は心が決めると思っていて、自分はそのつもりはなくても、自分の頭の中にある理屈は実はその心の動きに合わせた理由付けをしているだけじゃないかと。

だからといって科学者が解明した「事実と思われる理屈」を無視して良いということではないのだけれど、理屈で押し通しても「誰も幸せを感じない」「不安は解消しない」「行動も変わらない」ってところが重要だと思うわけです。(私はこれを夫婦生活、子育てで理解できました 笑)

コロナ対策も同じで、それぞれの立場の専門家が「ああしろ、こうしろ」と言いますが、もしそれが正しくても、私達の心がそれに反発を感じるとすれば、その方法を取るべきではないと思うのです。

自分と違う考え方を持つ人達を馬鹿にしても良いことはなにもない

というか「折衷案」が必要で、自分に都合の良い理屈ばかりを探してきて、それを全面に出して、不安を持つ人達を「集団ヒステリー状態だ」と「お前らは馬鹿だ」みたいな言い方をするのは私には絶対に受け入れられない。中には「マスクを着用してください。当店のルールです」という店に議論をふっかけて、その店の営業が結果的に止まってしまうようなことを平気でする有名人もいる。

逆の意味になりますが、政府や自治体も同じで、私は小池都知事は好きではないのですが、彼女が豊洲問題の時に言った「安全と安心は違う」というのは一理も二理もあって、安心を重視する政策は、もし理論的には間違えていたとしても、それを人々が望むのであるならば、それを無視してはならないのが政府や自治体の責任だと考えています。(でも小池さんは「新たな不安を創作した」のは問題だと思う)

これは「規制」に関しても同じで、何が論理的で正しいのかは別にして、人々が望むことを無視するわけにはいかない。

Go toがまさにそれだと私は考えていて、Go toを廃止、停止する根拠は私は無いと思うんです。少なくともエビデンスは一切示されていない。

でも人々がGo toに恐怖を感じるのであるならば、それを和らげるのも政府の役目だと思うし、菅政権はそれを選んだんじゃないですかね。

おかしなことを決めたと感じることは多いですが、その都度、アンケートを見るとアンケートの結果と同じことを政権が選んでいると私は感じますし、それで良いのだと思います。

もしその選択が間違えていたとしても、責任を最終的に取るのは国民なんですから。規制を厳しくするべきとするなら、そのための落ち込み対策を政府は考えなくてはならず、結果的に増税、赤字国債の増発となってもそれを受け入れるしか無い。(規制は厳しくやれ、弱者救済はもっとやれ、でも増税もするな、赤字国債も出すなと言う理屈は通らない)

俺はそんなの嫌だ!と思うなら、違う考えを持つ人たちに対して丁寧な説明を続けるしか無くて、「お前ら馬鹿だ」みたいに国民同士で争っても良い結果は出ない。言いたいことがあるのなら、政策を決める当局に言うべきで、あるいはコロナに文句を言うべきで、同じコロナの被害者である国民に「お前らわかってないなぁ、馬鹿か?」というのは八つ当たりと同じだと思う。なんの解決策にもならないのは間違いがない。それどころか断絶を生むだけじゃないですかね。

それは「解決が遠のく行動だ」という認識も必要じゃないかと。

「メディアが煽りすぎている」という主張をする人は多いし、私もあるメディアに関しては「異常さ」を感じることは多々ありました。でも結果的に政府は政府のやり方を選び、その中で皆はそれぞれ工夫をしながらやってきた。そしてその結果として「今の状況」がある。

さて、本当に煽りすぎたのか、それとも煽り方が足りなかったのか。ここに明快な答えを出せる人はいるんでしょうか。

ただ「病的に怖がるばかり」というのも考えもので、「自分は間違えているかも知れない」と自分を疑うのも大切だと思う。

私はお化けが大嫌いで、「出ることはない」と思ってもその怖さを克服することが出来ません。

どうすれば良い?

ま、冗談はさておき、本当に色々な考え方がある。

私は最近、この宮沢博士のいうことが的を得ているような気がしています。

この方も何度か紹介しましたが、宮沢孝幸博士 京都大学ウイルス・再生医科学研究所准教授。

動画はかなり長いですが、全貌が見えてくるような気がします。感染するメカニズムやワクチンのメカニズム、問題点もよく分かる。

特に私が気になる点は「感染を広げるのは、その人に症状が出る前後の数日間でしかない」という主張。もしこれが本当だとすれば、

1 症状があって、

2 PCR検査を受け、

3 陽性なのがわかってから、

4 隔離をする

のでは「全く遅い」ということになる。またその時点では「もうその人は感染を広げないステージに入っている」としたら、私達って随分、マヌケなことをやってることになりませんかね。

じゃぁ、どうするべきか。それをこの宮沢博士は涙を流しながら力説している。そして緊急事態宣言も強度の自粛も必要ない。普通の生活を送っても大丈夫だと。だからといって不安に駆られている人たちを「バカ扱い」はしない。

是非、多くの人が彼の主張に耳を傾けるようになって欲しいと思います。

マレーシアに住む私達も、どういう考え方で何をすればよいのかが見えてくるかと。特に仕事を持っている人たちにはかなり参考になるんじゃないでしょうか。

「にほんブログ村」のランキングに参加しております。是非、応援のクリックをお願いします。

にほんブログ村 海外生活ブログ マレーシア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへにほんブログ村 海外生活ブログ ゴールドコースト情報へ