ワクチンの危険性に疑問も持たない人たちを私は理解できない

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どの国を見ても政府はワクチン接種に積極的ですよね。

では国民はというと、一日も早くワクチンを受けたいと思う人と、ワクチンを受けたくない人がはっきりしている様子。

ワクチン摂取は広がっていると言いながら、ワクチン接種者にはインセンティブがあるように仕掛けて「一億円が当たる」なんてことをアメリカでもやっている。焦っているように見えるのはなぜ?

まぁ、今は非常事態なのは間違いがなくて、戦争中と同じ。

だからワクチンに危険があっても、「それしかない」のならその危険を受け入れるしかないですよね。食べるものがなくて餓死するのか、それとも結構危なくて死ぬ可能性はある、もしくは危険性がまだはっきりしていない毒まんじゅうでも食うのかの選択。

高橋教授が日本の感染状況を「さざなみ」と言い、次々に多くの人たちが気に障ることを言い続け、結局、内閣官房参与を辞任することになったけれど、あの高橋教授の言い方には問題があるにしても、言っていることは私は間違いがないと思う。「世界と比べれば日本の感染は【さざなみ】である」のは事実だし、世界では強制力があるロックダウン、つまり戒厳令も出せるけれど、日本にはそれが出来ない。あくまで「お願いベース」でしかなくて、そもそも違反者を罰する法的根拠があるのかどうかもはっきりしない。

いや、「法的根拠」はあるんですね。でもその法律が「憲法違反になるかどうか」ってのが問題だけれど、それに言及する人は多くはない。専門家はわかっているのに口には出さない。ずるいと思います。

なぜそうなるのかというと、それは日本の憲法上に「非常事態宣言」を国が出せるように規定されていないから。だから日本の場合は「緊急事態宣言」という似たような文言をつかっているけれど、内容は全く別。日本では国境封鎖も出来ないし、外出禁止令も出せない。ま、それが良いのか悪いのかは別にして、政府や自治体が何を決めても「お願いベース」なのに変わりはない。強制力はない。強制してはならないのが日本。

だから日本の緊急事態宣言は、世界標準と比べると「屁みたいなもの」というのも間違いがなく、その言い方はたしかに悪いものの、問題の本質は高橋氏の言い方にあるのではないのは間違いがないじゃないですか。でもそれを突き詰めると「憲法を改正するしかない」わけで、その本質をはっきりさせることをメディアはしない。強烈な護憲派ですもんね。

で、ワクチンに話が戻るけれど、今日、アストラゼネカワクチンに関するニュースを見ていて、気がついたことがある。

アストラゼネカのワクチンは危なくないという事が書かれているのだけれど、気になる部分があった。

英医薬品・医療製品規制庁(MHRA)とイングランド公衆衛生庁(PHE)の最新報告をもとにファイザー製とAZ製ワクチンを比較する一覧表を作ってみた。

青色は「複数の研究で証明」、黄色は「研究数が限定」、赤色は「データが少ない」という意味だ。科学的な証明レベルに差こそあれ、ファイザー製とAZ製にほとんど差がないことがうかがえる。AZ製は副反応と疑われる報告数が確かに多いものの、接種後に死亡した人の割合では100万人当たりファイザー製が32人、AZ製が32.9人である

ちょっと待ってよ。ワクチン接種後にそれだけの人が死んでるなんて私は聞いていない。

そもそも、今回のコロナで人口100万人あたりどれだけの人が死んでいるのか?

世界と日本は大きくかけ離れているけれど、結局これが「ワクチンを摂取すべきかどうか」の議論になるポイントじゃないんですかね。

100万人のうち、数千人も死ぬ危険がある感染症なら、100万人に30人程度死ぬワクチンも「効果あり」とはっきり言えると思うんです。ところが、100万人の内97人死ぬレベルの日本の場合、30人は死ぬワクチンを打つべきかどうか。

100万人に30人は死ぬワクチンということは、1億人に打ったら3000人死ぬことを意味するじゃないですか。

それで良いのか?

ただし、上の記事では「ワクチンが原因で死んだ」とは書いていない。感染したのかしていないのか、ワクチンが効かなかったのかもしれないけれど、ここがはっきりしない。ただし「血栓症、血小板減少で死亡」のケースはアストラゼネカの場合、「100万人に2.3人(一億人で230人)」となっているので、注目すべきはこの数字なんだろうとは思いますが、医療関係者の中にも「ワクチン否定派が少なくない」のは気になるところ。

どちらにしても、ワクチンを受け入れることによって感染症で死ぬ人が大幅に減るのなら、打つべきなんでしょう。日本の死者の累計は12265人。

ワクチンを打つことによって感染しないというより「重症化するケースが減る」というのも注目点ですが、そして多分、ワクチンを打つのは自分もコミュニティーの一員とすれば「接種するのは義務」だとも思うのですが、私としては諸手を挙げて「ワクチンを早く打とう~~~!!」という気持ちにはなれません。

気持ちとしては「藁をも掴みたい」「早く前の日常に戻りたい」と思うから、異常なほどの期待をワクチンに持ってしまいがちですが、それで良いのかどうか。

私は「ワクチンは効かない」とは思っていないんですよ。でもどんどんコロナ株は変異し続けているわけだから、いつかワクチン包囲網を抜け出る変異種が出てくるだろうと考えるのが順当だと思っています。この追いかけっこが延々続くのだろうと想像しています。実際に、イギリス株、アフリカ株が出てきた時に「ワクチンが効くのか」が注目されたってことは、専門家が気にしているのはまさにそこがポイントだという証明じゃないですか。またインフルエンザのワクチンも一度打てばそれでオッケイってわけでもないのは誰でも知っていること。

新たなワクチンも出てきて「緊急使用を承認」となるのは世界共通ですが、これは「超法規的措置」であるのも忘れちゃならないと思うんですよ。本来なら絶対に認可しないのが今までのお約束。

特にファイザー社のワクチンなどのような「mRNAワクチン」は従来のワクチンというカテゴリーとは違うという専門家もいて、世界中で「世界史上、始めての全世界的な人体実験」なのは間違いがない。それも「超法規的措置」でそれを承認している。

今回のワクチンが新型コロナには有効だとしても、後々、「何かの問題が出るかどうか」に関しては【誰もわからない】のが現状で、今その実験をやっている最中ですよね。「不妊」に言及する専門家もいて、NWO(ニューワールドオーダー)の人口削減計画、陰謀論が活発に言われるようになるのもわかる。

でもしょうがないじゃないか。

って私も思う。緊急事態なんだから。

でもそれは「しょうがない」のであって、「諸手を挙げて受け入れる」ってのとは違うんじゃないかと思うわけです。また我々ジジババはどうせ先が短いのだからどうでも良いにしても、私は息子や息子のヨメさんがワクチンを打つのに賛成することは出来ません。今までだって「ワクチンは危険もある」から長く十分な治験を義務付けていたはずなのに、今回のワクチンは大丈夫だなんて、そんなことを信じるほうがおかしいんじゃない?

今のやり方に問題がなければ、今後、世界でどんな病気が流行ろうと、どんな医療方法、新薬ができようと、「緊急だから」と言えば今までの決め事は一切無視して良いってことになるじゃないですか。

これと同じことが福島の原発事故でも起きましたよね。

年間1ミリシーベルトという決め事があるのに、それを日本国中が無視をした。そしていつのまにか、年間20ミリシーベルトまではOKだと言い出した。

病院のレントゲン室に行けば、放射線管理区域のマークがあって、基本的には立入禁止。妊産婦にレントゲンを掛けることにも制限がある。

ところが原子力発電所の事故で、広い地域が年間1ミリシーベルトを超えたのに、政府は「安全だ」と言い続けた。本来なら立入禁止にすべき地域もそうはしない。

結局、大きな問題が起きれば、決め事なんてどうでも良くなるってことなんだけれど、私はなんとなくすっきりしません。

そして福島の農水産物の「風評被害」にも私は問題があると思うんですよ。

「風評被害を起こしてはならない」のは当たり前ですが、本当に風評被害なのか。

例えば、「この水はOK」「このお米もOK」「ヒラメもOK」「アジもOK」「牡蠣もOK」だとしましょうよ。でもある一人の専門家は言い続けた。「毎日その水を飲み、お米を食べ、その魚介類を食べ続ければ、被曝量は蓄積される」と。それを言ったのはあの、変人扱いされる「武田邦彦教授」。単品で見れば問題はなくても、そればかり食べていたらどうなるのかは小学生でもわかるんじゃないですかね。

なんだか世の中って、政府を含めて「ある決めた方向へ話題、結論を持っていく」傾向があると思う。これは左派リベラルも同じで自分の都合の良いようにしか言わない。

これが今、全世界で顕著な動きとして出ていると感じるんですよ。真実は二の次で、「どうあるべきか」が独り歩きしている。地球温暖化にしても同じで、世界で本当に地球が温暖化するのは二酸化炭素のせいだと信じている専門家がどれだけいるのかは疑問。私は「脱炭素」にしても政治、あるいは新たなビジネスチャンスのキッカケでしか無いと思っています。そして最近、はやりのSDG’sがそれを後押ししているような、なんともしっくりしないものを感じています。

私は「人類が豊かになったのは科学技術の発展による」と考えているのですが、今は【何よりも政治が優先される時代】になったような気がして、科学者、技術者もそれに対抗はできない、しない世界になったと考えています。でも誰しも自分が生きていくことが重要ですから、「長いものには巻かれろ」となるのもしょうがない。(こういう動きに一人異論を言い続けているのがあの変人「武田邦彦教授」)

アメリカの左傾化も同じで、そりゃ「人権重視だ、差別撤廃だ」と言えばそれに異を唱えることなんか出来ないのは当たり前で、人権じゃ、差別じゃとそれを声高らかに言いつつ、「新たな差別、人権無視」が生まれているじゃないですか。BLMも同じで、なぜ黒人による暴力的行動は許されるのか。なぜ警察も司法もそれを見逃すのか。(もっと黒人のそういう行動を全土に広げるべきだと主張していた国会議員が副大統領となった)

この動きがやっぱり日本にも伝わってきているのが最近わかりますし、このままで行くと、「私は女よ」という身体的男性が「女性用トイレや女風呂に入れる時代」が来るのかもしれない。スポーツの世界も同じで、筋骨隆々とした元男性が女性競技のトップを牛耳る日が来るかもしれない。

アメリカで起きている「アジア人ヘイト」ですが、多くの映像を見て私が気がついたこと。それは「加害者の多くは黒人である」ということ。でもこれを指摘する人はいない。

おかしいでしょうよ~~~。

今回のコロナに関しても同じで、「事実」がどこにあるのかがよくわからない。でもま、それは学者もいろいろな主張があって、「多くの真実がある」というしかないのだろうとは思うのだけれど、「それぞれの立場」とかそういうものが物事を決定しているような気がしてしょうがないのです。

ワクチンですが、どうなるんですかね~。

「多少のリスクがあっても、それを選ぶしか無い」というのは理解できます。緊急事態なんですから。

でも「ワクチンを打たないリスクを取る」という考え方も全く同じで、そのリスクのとり方があっても良いんじゃないですかね。

ま、引きこもりが出来る人はワクチンを打たずともそれを貫けば良いと思うのだけれど、「自分も社会の一員」という立場で考えるとワクチンをするのは正しいし、義務だとも思うのだけれど、そのワクチンそのものの真実がよく見えないってのが気になります。少なくとも政府もメディアも、そしてSNSでさえ、「異論を潰す動き」をしているわけですから。

ワクチン否定派は叩かれるのが今の状態だし、個人のブログでも「私はワクチンを打ちたくない」というのは書きづらい雰囲気がもうすでにできあがっているでしょ。

所詮、私達は「サファリパークの中で管理され、生かされるだけの動物」だと思えば、黙って大きな流れに乗るしか無いのだけれど、私は今までそういう生き方をしてこなかったので、どうあるべきかを簡単に決めることはできないでいます。

ヨメさんは、「私は早くワクチンを打ちたいな~~♫」と言っています。(笑)

ああ、そうそう。オリンピックですが、「ワクチン」が問題になるんじゃないかと思っています。当然、日本に来る人達は選手からメディアも含めて「ワクチン接種が必須条件」となるはずですが、ワクチンで死者が出る云々の前に、「副反応が多くの人に出る」のは間違いがなくて、これって選手にしてみたらとんでもない大問題じゃないんですかね。ベストの体調で試合に臨めるのかどうか。私が選手なら、ワクチン拒否をしたいと思う。

しかし中国のメディアだけで3000人も来るそうで、オリンピックの開催は日本の衛生管理能力が問われる大イベントになるはずで、そして今までの日本の動きを見ていると私は期待できない気がするんですよ。

また日本を貶めたい勢力は世界にないわけじゃなくて、テロリストとは言わずとも「いろいろ画策をする人たち」の動きが心配です。「オリンピックの開催で日本に大恥をかかせたい」勢力はあるはずで、これは日本国内でも同じだと思う。思うように行かないオリンピックを利用して菅政権なんて叩きす潰すのは簡単でしょう。

明るい話題がないこの頃・・・・。

いつか青空が広がる綺麗な海のあるリゾートに行きたいな~~~~。

モルジブも良いな、なんて思ったら、今、モルジブはコロナの感染者の増え方が世界一で大騒ぎ。

いつか家族だけではなく、友人知人、隣人、隣国の人たちとも笑顔を向け合い楽しい付き合いができる日が来るのを心から願っています。でも私の中の「New Normal」ではそういう日が来るのは何年も先だと言い続けています。勘違いであって欲しいですが・・・。

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