独裁国家は必ず崩壊する 中国はどうなりますかね~

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中国は「中国共産党による独裁国家」と言われてきたけれど、私は違うと思っていて【習近平による独裁国家】というのが正解だと思っています。

歴史的にも中国には独裁者が何度も現れましたが、近代においては「毛沢東」が独裁者で、彼のせいで1500万人とも4000万人とも言われる国民が死んだのは紛れもない事実だと思っています。

その毛沢東は大躍進政策の失敗で求心力を失い、権力を失ったけれど、粛清されなかった、殺されなかったのは良かったというのが現代的な発想だけれど、それが為に毛沢東は「再び蘇った」じゃないですか。私はそれが中国の第二の悲劇だと思っていて、彼は青少年を集めて「中国の文化や伝統を壊した」と言って良いと思う。それが「文化大革命」で自身の権力回復と政敵の排除を狙った権力闘争。

これは「プロレタリア文化大革命」で、資本主義に真っ向からぶつかり、多くの資産家、知識人を吊し上げ、富を奪い、古い文化や伝統、多くの文化財を破壊し、学校や行政機能がマヒ状態となった。でも若き有志の近衛兵はリーダーの毛沢東を神格化し、信奉して、中国の土台を破壊した。

それでも後にその若き有志たち近衛兵は「邪魔者」となり、都会の学生たちも「農村を発展させる」という大義名分の元に農村部に送られて厳しい生活を強いられた。

まぁ毛沢東って本当に変わった人で、農業技術を知っているわけでもないのに「農作物は作物の株間を狭めて高密度で育てれば収穫が上がる」と推奨して駄目にしたり、雀は害鳥と決めて大量に殺させて害虫被害が蔓延したり、「鉄生産は国の要だ」と農村でも粗末で単純な溶鉱炉を作らせ、鉄製品の鍋釜、農機具まで溶かして(利用価値の少ない)粗鋼を作らせて、農業も家庭生活も壊したり。

その後、毛沢東が死に「中国暗黒の時代は終わった」と言えて、華国鋒が文化大革命の混乱に終止符をうち、鄧小平が「集団指導、合議制」に持って行き、個人崇拝の排除、定年制も導入し、「改革開放」政策を進めて中国を経済大国への道へ導いた。

そしてまた出てきたのが「独裁者習近平」で彼は毛沢東を崇拝している言われ、気に入らない側近はどんどん「粛清」する。でもそれは「中国に蔓延する汚職追放」というこれまた大義名分があって、世界的にも「中国は良くなる」と思わせた。

ところが段々と「毛沢東と同じじゃね?」というのが近年の動きで、「集団指導、合議制」なのにトップ層のリーダーたちはとんどん粛清され、ポジションが空席のまま放置されている状態。

これって「習近平一人の独裁」と同じで、習近平の側近中の側近、昔からの仲間でさえも「消されていった」。これじゃ「出世を狙う人たち」もかなりのリスクがあるわけで、「トップ層になれたから良かったね」とはならないし、粛清スピードも早いから「イエスマンしか残らない」のも当たり前。

独裁政権が壊れるのは「民衆の蜂起」であったり、「側近の裏切り」「暗殺」だけれど、今はデジタルの世界で国民一人ひとりの行動まで監視され、「独裁は保たれている」状態。

これがいつまで続くんですかね。

中国の惨状が私たちには良く見えない状態が出来ていて、それは中国共産党による「報道管制」があり、海外のメディアもそれの対象で、「自由に報道をすると中国への出入り禁止になる」と言われている。これは日本の新聞社も同じで、「契約に縛られている」から「中国のお墨付きの内容しか報道できない」し、それはテレビやニュースに出てくる「学者や専門家も同じ」で、「彼らが使う数値は中国が発表されたもの」が主体となる。

この契約を中国としていないのは「産経新聞だけ」と言われていて、当然、産経新聞社の支社は中国には置けないし、記者も入国は出来ないはず。

そして近年は「報道管制」どころか、新たな法律によって「都合の悪い対象は逮捕される」ようになった。それは「一般個人も対象」で中国に駐在する駐在員や「目をつけられている個人が中国旅行に行った時に逮捕」されたり、そしてそれももっと酷くなり、「中国国外でも犯罪者は犯罪者」と認定され「海外に中国の警察を置く(他国の権利侵害)」ことまでやっている。そして「中国人は世界のどこにいても中国共産党の指示があれば中国共産党のために動くことが強いられる」ようになり、中国に進出した海外の企業の中に「共産党組織を起き、指導を受けなければならない状態」まで作った。そんな中国から逃げたいと思っても「逃げられないような体制まで作った」。中国へ進出する企業が持つ「コアの技術は中国に渡さなければならない」のは随分前からだけれど、それも厳しくなり、多くの大手製造会社が中国から逃げ出しているのは報道にある通り。

でも規制はされているものの、今では一般人が世界に情報発信が出来るから、その中を探っていくと「これほど酷い?」というのも多く出てくる。

逆に「中国を貶めたい勢力も大きい」わけで、小さな出来事を大きく騒ぐことも起きているのは理解したうえで、中国関連の情報を見る必要があるはず。

私が最近見ているユーチューブに「中国の裏側」というチャンネルがあるのだけれど、これを見るだけで、「中国の惨状は半端じゃなさそう」なのがよく見える。

動画の中に出てくるお金の単位は「元」だけれど、日本円では1元=23円ぐらいで、100元は2300円。1000元は230000円となると、とんでもない低賃金で働いている人達が多いのもわかる。

YouTube

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こんな動画も。

前にも書きましたが、私は「発展してからの中国」「大都市」には行ったことがなくて、でも1970年代、「大躍進政策が終わるかどうかの時期」「経済発展する前夜」の中国には「マカオ経由で中山県」には3度ほど行ったことがあります。これはある百貨店の上客を「海外に連れて行って宝石を買わせるツアー」で、香港やフランスに百貨店の「外商の上客」を連れて行って、現地で「販売会」を開くという「百貨店とタイアップした宝石商の頃の仕事の一つ」でした。で、香港へ行った時に、「おまけ」として「マカオ経由の中国ツアー」も企画した。この「ツアーってもしかしたら香港でしか買えないツアーだった」かもしれない。

この時の衝撃って本当に恐ろしいほどで、大都会は知りませんが、中山県という地方の中山市(だったかな?)は【孫文の生まれ故郷で、そこを訪ねるというツアー】だったのですが、一応都市なのに「貧しさ満載」で、道には「黒いズボンにサンダル、ランニングシャツを着て自転車に乗る男性」が山のようにいて、道路に溢れかえっていたのね。道を歩く人達も「貧しさ」は見えて「綺麗な服を着ている人たち」は見たことがない。

日本で言う銀座の三越の交差点みたいなところで「ツアーのバス待ち」をしていたのですが、なんだか「臭い」ので周りを見てみたら「戸板に猫の皮を張って乾かしていた」のを発見したり、いちおうデパートがあったので中に入ってみたらガラガラでショーケースはホコリが溜まっていて、商品がいくつか置いてあるだけって感じ。

当時は中国のお金の「元」は使えずに、「外貨兌換券」しか使えなかったような、「元」も使えたような、これはちょうど何度か行った時期に変更があったのかもしれないけれど、とにかく「自由行動はほぼ出来ない」し、「写真の撮影にも制限があった」ような覚えがあります。食事も「観光客しか入れないような店」で、現地の人たちの食事がどうだったのかはわからないし、でも「美味しい中華料理」というイメージがそもそも「皆無」でした。

後に調べてみると「まだまだ物資が足りない頃」で、道に溢れていた自転車さえも「簡単に買える値段じゃない」とか、電化製品も自由に買えずに「交換券」がないと買えないものが多くある時代。その交換券も、それを出してお金を払ってやっと手に入るというシステム。

これが地方とは言え「都市」の実態で、多くの村がどういう状態だったかは簡単に想像できる。

そのツアーの中に【漁村を訪ねる】ということもあって、ある漁村に入ったのですが、舗装されていない道路の両側に「土壁の家が並んでいた」のだけれど、どの家も道路側に大きな窓があってほぼ全て開かれていて「家の中が外から見える」のだけれど、どこにも住民の姿は見えずに「カラーテレビがオン状態」。でもそれを見ている住人はどこにもいない、不思議な光景だったのを思い出します。

私はその村で「お手洗いに行きたい」とガイドにいったのですが、「駄目だ」というんですよ。そんなのありえないし、そのツアーは「百貨店の外商の上客を連れたツアーで、私も日本からのガイド」みたいな立場ですから大騒ぎになったんですよ。で、結局、お手洗いに行ったのですが、まさにあの「敷居も何もないところに穴が開いていて、板が2枚掛けられているトイレ」で、気絶しそうになったのを思い出します。

この手の「外人向けに裕福な姿を作って見せる」のは「昔の香港」も同じで、それはちょうど50年ぐらい前ですかね。ツアーで回ると「中国が見える(深圳だと思う)展望台」に行くのですが、そこに望遠鏡が備えられていて、それを見ると、「綺麗な田園風景」が見れて、トラクターも数台走っているのも見えた。でもやっぱりそれは「そういう風につくってある」とガイドに教えられて驚きましたっけ。

つまり大都市の裕福な人たちは別にして、地方に住む人たち、それも都市部ではない場合の貧しさは簡単に想像できたし、私の同年代だと「大卒なんていない」のが普通で、小学校もまともに通っていない、読み書きも危ない人達が多くいたはず。私が小中学生のころの中国なんて「もっと悲惨だった」はずで、まさに毛沢東時代に「餓死した」ような人が村には何人もいたんじゃないかと。

そういう人たちが1980年代後半から「一気に金持ちになった」わけで、そういう人たちが日本や海外に来て「何を思うか、何をするか」なんてのは簡単に想像がつく。日本でも一時は「炊飯器がバカ売れした」なんてことがありましたし、「日本の化粧品も瀑売れ」というのも、「いかに貧しい時代を過ごした中国人多いか」というのがわかる。

当然、ただ貧しいだけじゃなくて「共産主義の洗脳を受けている」わけで、なおかつ「監視社会」なのは昔からで、どういう性格になるかなんて簡単に想像できる。皆が貧しく、自己主張が強くないと負けるし、相互監視がある「危ない」状況だったんでしょう。

今の50代ぐらいでも「祖父母は餓死した」なんて経験を持つ人もいるはずで、幼い頃は「股が開くズボンを履いて、裸足で歩き回っていた」なんてのも普通だった地域は多いはず。

実は私が初めてグアムに行った1970年頃ですが、当時のローカルの子どもたちの1~2歳の幼児は「下半身は裸」で、もちろん裸足で他の兄弟姉妹と遊び回っていたのを思い出します。

20歳前後の私は「アメリカの豊かさ」を見て驚愕したのは前にも書きましたが、「アメリカに比べたら段違いに貧しい日本」で育った私でさえも、「中国に行ったら驚いた」んですから、世界って本当に広いと思う。

マレーシアもきっと同じで、「世界の工場になる前のマレーシア」ってどんなだったかと思う。

こういう「発展のスピードの差」って各国かなりあるわけで、私たちが考える「日本的な常識が通じない」のは【歴史を無視した考え方】だと思う。

この数十年前まで生きるか死ぬかの瀬戸際を生きてきた人たち、その子どもの世代の「常識」「価値観」を無視してはならないはずで、それは良いとか悪いとかの問題でもなくて、【大きな違いがある】のを認識しないとうまく付き合えるわけがない。それは「国そのものも同じ」で、私たちが培ってきた常識や価値観と同じものを期待しても無理だと思う。難民、移民問題も根っこは同じで、アメリカの犯罪レポートを見ると日本では考えられないバカげたことが頻発しているけれど、「その背景にあるもの」は同じだと思う。

またそういう生き方をしてきた人たちが「どういうお金の儲け方を考えるか」「働く人たちにどう対応するか」、「上下や格差の厳しさの中で育った人が上に立った時にどういう態度を取るか」も簡単に想像できるじゃないですか。当然、悪い人ばかりじゃないのに決まっているけれど、「優しさや誠意は意味をなさず、真面目では生きていけない時代」ってあるはず。中国の歴史も同じで、5000年の歴史というけれど「多民族によって支配が入れ替わる歴史」で、どれほどの悲惨な歴史だったかはちょっと学ぶだけですぐにわかる。近代に入ってからも「アヘン戦争」に代表されるように、外国に徹底的に蹂躙された。そんな国が裕福になって「何を考えるか」なんて簡単に想像できる。ましてや「中華思想」という【自分たちが世界の中心】だという思想の長い歴史があるのだから。

で、現在の話しに戻りますが、【かなり国民は疲弊している】のは日本とは比べられないレベルで、これが放置されるとどうなるんですかね。中国の経済は危ういという情報は入ってくるけれど、国民がどういう状況になっているかまでは入ってこない。

ただ習近平を見ていると「大衆が苦労しても関係ない」と考えているフシがあるようで、【大事なところだけ抑えておけばオッケイ】なのは大事故や大災害の対応を見ていると感じることだし、まさにそれが「中国の歴史」でもあるんだろうと思う。

でも現代は「その国がどうしようとその国の勝手でしょ」とはならないわけで、でもあれだけの人数の中国人に外国が何が出来るわけでもなく、それどころか「自国に難民が流れてこないように対処する」方に感心が向くんじゃないですかね。

その動きはすでに欧米で起きているわけで、特につい最近のスペインを見ると恐ろしいのが見えるし、「人道主義もどこまでを認めるのか」は大きな課題なんでしょうね~。

そういう意味で私は「人道主義者ではない」し「自己責任を重視する」し、「対岸の火事」を自分がリスクを取ってどうにか助けようとは思わないし、【まずは身内から固める】のが何よりも重要で、「足りないものを皆で分けたら、全員が破滅する」と考えるタイプ。また「助けられることがある」とすれば【それは教育】だと思っていて、「魚を与えるのではなくて釣り方を教える」という考え方は的を得ていると思う。

残念ながら、私は地球の裏側で死んでいく子どもたちは可哀想だとは思うけれど、涙することはないし、率先して助けようとも思わない。もし自分が、あるいは自分の子供達だったらと思うと複雑な気持ちはあるものの、やっぱり「自助努力が生命が生きる基本」だと思うし、「自助努力をしようと頑張る人たち、国家には何らかの援助をする」のは良いと思う程度ですわ。

そんな事を考えられるのも「日本という稀に見る豊かな国に生まれ育ったから」なのは重々承知していて、その上に胡座をかくつもりはないけれど、「弱者救済には限度がある」のも仕方がないと思う。

でも自分や内輪の人間だけが「豊かなレベルになろう」とも考えておらず、がっぽり稼いでがっぽり有効に使いたいなぁ。

困るのは世の中には「貧困ビジネス」なるものがあること。いくら助けたくても「中間搾取されたらとんでもない」ですもんね。でも「中間搾取があるからやらない」という理由は無いと思ったり。

ただ生きることさえ難しかった時代に生きた中国人には、「理解は出来るけれどそのままで良いとは思わない」し、でも近づきたくないのも本音。

だから「安い労働力が欲しい」なんて考える日本の経済界やその声を無視できない日本の政府を私は認めたくないし、日本の問題の「根本的な解決方法はある」のだからそちらに注力して欲しいな。

では「弱者の問題」は誰が解決するのか。

残念ながら私の脳みそではその答えは見つからず。

どちらにしろ、私は遠からず「独裁国家は崩壊する」と見ています。当然、大混乱の中で大量の難民が出てくるわけで、それにどう対処するべきか。

かつて縄文時代から弥生時代に変わる時に「大量の異国人が日本に入ってきた」わけですが、中国大陸から戦禍を逃れた人たちが多く入ってきて、様々な文化や技術をもたらした。そしてその難民は「戦争の概念も持ち込んだ」し、芸術性溢れる縄文土器がシンプルで実用性のある弥生土器に変わったのは「戦乱が広まった」のが大きな理由だと思う私。また「農耕が広がる」ことによって「領地」「財産」が重要になり、当然、「奪い合いが始まる」という歴史だったんでしょう。

もし今の中国大陸から「大量の難民」が出てくるとどうなるのか。海を超えるのは大昔ほど難しくないわけで、想像を絶することが起きるんじゃないかなぁ。

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