お遍路さん

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お遍路さんに行ったのはいつだっけか。去年?いやいや一昨年か。しかしまぁ、時が経つのは早いこと早いこと。

私がどうして四国の巡礼、お遍路さんに行ったかという理由はこのブログにはっきり書いていませんが、まぁ、簡単に言えば、自分の生き方を見つめなおしたいって感じでしょうか。

四国で何を得たか?

正直なところ何も得ませんでした。(笑)

四国で会った方々の多くは宗教的に入れ込んでいる方も多く、ほとんどが病気や悩みを抱えていました。若い人はそういう感じではありませんでしたが、私は宗教に救いを求めるタイプではないのでこの年齢でお遍路さんと言っても一般的な理由とは違うし、若者の考え方に近いかもしれません。

で、自分を見つめなおすも何も、まぁ、テクテク歩くだけの日々ってのがどうにも我慢できなくて、いろいろ考え、自分を見つめる余裕なんて全くありませんでした。

だいたいねぇ、デブは歩くってことがそもそも嫌いなのだ。(笑)

でもお遍路さんと言っても全部回ったわけでもないし、あれってどうして俺はこんなことをやっているんだろうとか、もう止めたいとか、足が痛いとか、次の番所は後どのくらいかとかそんなことばかり考えていたものの、きっとある時期を過ぎるとスコーーンと抜けて何かが見える瞬間があるんだろうとは思っています。

でも私はその心境に達することなく、さっさと止めて帰ってきましたが、あの時、神様に会いに金沢の白山、ひめ神社や伊勢の外宮も行きましたが、結局それらも、「まだ機が熟していない」という感じで、期待した成果はありませんでした。

でもね、やっぱり今までの生き方を振り返って、清算をしなくてはならない歳ってあると思うんですよ。私は欲望の塊みたいな男ですが、今でも金じゃ酒じゃ女じゃと目の色を変えるオヤジじゃやっぱりおかしなわけで、人間として終わりが見えてくると、どう終わるのかってのが気になるし、最後の幕はそれなりに満足できる舞台で終わりたいと思うわけです。

そんなことで、自分の中で悶々としていた時にあの大震災だったわけです。

一つ前の日記のコメントに関することを今ここに書きたいと思います。

>私はまだ自分の生活を考える事で精一杯ですがdaboさんのような考え方が出来る人間になりたいです。

結局ここが私にとっても重要なんです。私は欲の深い、俗っぽいオヤジですが、やっぱり今までの人生の中で反省することは一杯あったし、あんな人になってみたい、あんなことが出来る自分になりたいなんてことはいつも考えていたわけです。でも私は俗人として常に自分、家族の利益を中心に考え、地べたをはいつくばって生きてきた。野良犬みたいなもんです。

でももうやっぱりそういうのはもう嫌なんです。いささか飽きました。

>「相場での利益を世のために何かやろう」には感動しました。

これも含めて、ダボってやろうはカッコウつけてやがると思う人がほとんどだと思います。あるいはそこまで思わなくても、ちょっと引くでしょう。私自身がそう思いますもの。

でももう私は若くはないんです。そして男として親としてやるべきことはまぁやってきたわけで、これからも死ぬまで同じように生きようとは思わないし、同じように生きる必要もないはずなんですね。となると、今までは世界の中心に自分を置いて生きてきましたが、これからは中心に自分以外のものを置いて生きてみたいと考えるに至りました。

でもそんなことは簡単じゃないし、具体的にどうするべきかがわからずに今まで来ました。でも何度も書きますが、あの大震災で自分のやるべきこと、自分がやれることが見えたような気がするのです。気が付いている人もいると思いますが、私は相場どっぷりの人間ですが、実は相場が嫌いだし、バカにしているところがあります。未だにまともな人間がやるべきことじゃないというのが本音。

でもそれしか出来ることが無いとすれば、それでやるしかないし、ちょっと考え方を変えることにしたってことなんですね。嫌々考えているとろくなアイデアもわいてきませんが、正面から見据えて、これで何か出来ないかと考えるといろいろ私でもできそうなことがあるのが見えてきたんです。人間の命なんかはかないし、明日はどうなるのかわからないわけですから、下手にカッコウつけて、あるいは能書き垂れて理想論ばかり言っても意味がないですもんね。だからやれる範囲のことはもったいつけずにやるという考えに至りました。

で、相場の利益を世の中のために使うなんてのも、もうやるべきことはほとんど終えた私の世代だから考えられることなんですね。稼ぐ必要があったり、ローンを抱えて子供も小さければそんな悠長なことは言えませんが、後は死ぬのを待つばかりってな歳になれば、今までとは違う考え方で、違うことができるはず。

本当は相場で利益が出たらその中から世の中のためなんてけち臭いことを言うんじゃなくて、そもそも相場なんかやらなくても生きていけるけれどあえてそれをやるということで、つまり、儲けが出たらそれは全部使ってしまおうぜぐらいの意気込みのある人が現れるのを楽しみにしています。

そもそも相場なんてのは欲の深い人間がやることで、自分のお金を他のために使うなんてことを嫌うタイプのはず。だからこそ、他のために使おうということに意義を感じるのです。

実は日本に帰国している間に時間がありあまるほどありましたので、今までの私の投資方法を隅から隅まで点検し、シェイプアップする作業をずーっとやっていました。そしてそれをいかに自動売買ソフトに載せるか、プログラミングもしていました。

ま、これはそのうち実績をおみせ出来る日が来ると思いますが、思ったよりいい結果が出そうで、もう今からワクワクしています。で、こんなことを今やるべきじゃないのですが、それをちゃんと動かせる業者を吟味中で、Oanda、Dukascopy、そしてCitiFXPro(シティバンクグループ)に口座を開けてテストをするべくもう動いています。

つまり、これって理想論、夢、希望とかもうそういう段階を超えて、実際に稼動させる直前に来ています。それがうまく行った場合、それをどう多くの方々と共有することができるかは、前の日記にも書きましたがZulutradeなるものもありますし、その他、興味のある人が他人の売買をコピー・フォローする方法も見つけましたし、確実にやれそうなことは外堀から埋めはじめている段階です。

これは間違いなくスタートしますし、させるつもりです。

でもそんな私の老後の仕事に共鳴してくる人が欲しいものの、金亡者には来て欲しくないのです。そういう人は地獄のような相場の世界でいっぱい悩んでどうぞご自分で自分の生き方を探してくださいと申し上げたい。

でも、他のために稼ぎたい、どうにか世の中の役に立ちたいという考えが根底にある方なら大歓迎です。

ボランティアの募金集めってあるじゃないですか。駅前でやったり、こちらは個別の家庭訪問で募金集めをすることも多いのですが、それと同じように、自分に出来ることをやるのが良いと思っています。

金亡者、貪欲な連中ばかりが集まる相場の世界に、他人のために金を稼ごうとする集団がいるなんて、考えただけでもワクワクしません?

と、書きつつ、私はやっぱり変人なんだろうと思ったり・・・(笑)

>daboさんが以前おっしゃっていた”儲けの二割は自分のため以外に使う”は、結局は自分の為っぽい。
>自分の徳を積む為の貯金って感じでしょうか?

ボランティアも含めて、それって一体誰のためかってのは難しい問題だと思います。これに関してこの日記に何度か書いたことがありますが、私としては同じ行動でもそれを呼び起こす考え方に大きな違いがあると思っています。

前にも書いたことですが、私の友人で糞大金持ちがいまして、ボランティアを生きがいにしている人がいます。彼女がお金を出すときには数千万円単位のお金をポンとだしますし、子供達のワクチンがないなんていうと何十万人分を寄付するような人。

でもある時、彼女と話をしていて私は頭に来たんですよ。彼女は、徳を積むためにやってるというんですね。でもそれってないだろうと私は思うわけです。

ボランティアって突き詰めれば所詮自己満足だとは思いますが、名誉欲がチラホラ見えたり、あるい徳を積むなんてのは、自分が与えたもの以上のものを手に入れるための投資と同じで、そういうのって私は受け入れたくありません。

要は、誰が中心なのかってことなんです。相手なのか自分なのか。

食べるものがなくて死にそうな人が食べ物を手に入れることができるのならば、それを分けてくれた人がどういう思い、目的だったかは関係ないと言う人もいる。でも、自分の良心はちゃんとそれの違いはわかるし、オテント様もしっかり見ていると私は思っています。

私が助けてもらう側だとしたら、ボランティアの名誉欲や自分のためにやっていることがもし見えたら、その時点で私は助けを拒みたいくらいです。助けるというのは金持ちが貧乏人に金をくれてやるのとは違うんですね。

表現は難しくて私にはよくわかりませんが、「共に生きる」ってことのような気がしています。それは施しとは違うし、ましてや自己満足とははっきり区別をしたいと私は考えています。

つまり、私は徳もいらない、見返りもいらない、死んでから天国へ行こうが地獄へ行こうが一向に構わないと思っています。バカな話ですが、できる事なら私は死んだあとに地獄へ行って(それがあるのなら)、そこでみんなを集めて反乱を起こしたいと思っています。俺たちは本来こんなところでこんな生き方(?)をするべき人間(魂?)ではないと、地獄で革命を起こしたいくらい。(笑)

>でも”貧すればどんす”の時がもしやって来れば、・・・

難しいのはこれですね。奇麗事が言えるのはそれが言える状態だからかもしれません。

でも私たち夫婦は結婚前からそういう意味では気位が高くて、そして子供達にも教えてきたことは、どんな状況になっても自分の人間性を自分で踏みにじることはしない、するなということ。

もし食べ物もなくて死にそうになって、他人のものを盗むしかないときが来たら、家族4人で死のうぜなんて話を普通にしています。

何が何でも生きていたいという、自分の命に対して未練はありません。

でも子供が小さい時には、万が一の場合は子供のためには盗みでもなんでもしようと思っていたっけ。

>試されますね(^_^;)

全くその通りだと思います。うまく行ってもゴタゴタは起きるだろうし、失敗したら怒号、批判、そして嘲笑の嵐だろうし、余計なことはしないで自分だけで黙ってコツコツやるのが利口な人のやることなのでしょう。

でもどちらに転んでも何かが起きるであろう未知の世界、私はそこに行ってみたいし、興味のある方を連れて行ってみたいんです。そこで人間の善意や悪意、欲望、あるいは何か輝く我々一人一人が心の中に持っている神聖な何かが見えてくるかもしれない。

お遍路さんに行くみたいな感じです。そこに何があるのか本当に楽しみ。気持ちとしてはお遍路さんと同じで白装束を着てこれに打ち込んでみたいと思っています。

本当に楽しみです。

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