マレーシアへの留学

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前の日記に、海外での子育てを簡単に考えないほうが良いんじゃないかと書きましたし、このことに関してはこのブログで主張し続けたい柱の一つでもあります。でも留学は話が別。

お前に何がわかるのかとお思いでしょうが、若い頃から世界の日本人に興味がありいろいろ調べ、見てきたこと、そして私が生まれたときには身近にアメリカ生まれの二世の叔父(日本語がへたくそで中身は完全なアメリカ人)がいたこと。この夫婦には子供がおらず、私を非常に可愛がってくれて、幼い頃に養子にくれという話もあったくらい。そして海外に住む日系人としての親族(ほとんど日本語が理解出来ない)が多く居まして、彼らをずーっと見てきたこと。そしてグアムやアメリカで自分自身が体験し、また子供が出来てからオーストラリアに渡り、当時3歳と1歳の息子達を成人させ、世の中に送り出したこと。当然、その二十数年間、友人達の子供、また子供の友人達も観察してきましたので、その中でたいしたもんだと褒めたい子供達も多く居ますし、抱えた多くの問題も理解できるし、また問題を抱えて挫折した家族も見てきました。また、彼らが大人になっていく中で、こんなことが起こりうるのかという信じられない例も多く見てきましたので、私の中では海外で育てる場合どうあるべきかというのが出来上がっています。

結論としては、いつも書いている通り、思ったように育つ子供なんかいないってところでしょうか。これは日本でも同じでしょうが、どういうわけか海外で育てる場合、ろくでもない、そして根拠も無い変な期待を親が持つことが多いので、それだけ期待はずれが多いのだろうと思っています。海外で育てば良いことがあるのなら、外人は皆素晴らしいはずです。また、外人から見れば日本は外国ですから、日本育ちは彼らに取っては素晴らしいことになるはず。当たり前の話ですが、外国育ちはその地の民に限りなく近くなるだけのことで、グローバルがどうじゃ国際人がどうじゃなんてことは関係ないと思います。多くの人種の中で生きていく才能は、海外に住んだから養われるものではなく個人の素養によるものであって、日本育ちじゃ駄目なんてことは絶対にあり得ない。それどころか外国に住みながら特定の人種のことしかわからない、認めない人たちは多く、日本人が得意なチームワークの下手な人が多いのは問題だと思うくらい。

日本人に問題があるとしたら、それは内気である。この一点だけかもしれないと思っています。恥ずかしがり屋で自分の主張を出すことも出来ない。海外で育つとその辺が違うというか、自分を出すことを子供の頃から中学高校大学と長い間やらされますので、そういう意味で、どこに行っても誰ともで丁々発止できるようになるかもしれません。それと個性を伸ばす教育であるのは間違いがなくて、みんな横並びの金太郎飴になるような教育はしない。でもやっぱりそれは性格によってかなり差がありますし、そんなことは日本でも十分学ぶことが出来る。というか育て方かもしれません。海外に出たら良いことが起きると期待している親って、親が子供を自信を持って育てることが出来ないから海外を頼るだけなのかもしれません。

海外で育ったら何が良いのか、何を子供に得させようと思うのか、それを親はしっかり考えるべきで、またそれらは海外に出ないと絶対に手に入らないのか、その辺も熟考する必要があると思っています。それがわからず、なんとなく海外に出れば何か得られるんじゃないかと、海外にそれを委ねるということは親の教育責任の放棄と同じかもしれません。

それプラスいつも書いていることはビザの問題。海外で命の次に大事なものはビザだと私は考えています。このビザ一つで人生が変わる。あるいは進路変更を余儀なくさせられる。それも自分の意思に反して。例えばアメリカで頑張って欲しいとか、アジアで才能を伸ばして欲しいとか親は簡単に言いますが、その地に住み、働くビザがなければ日本からは出られないんですね。でも世界は広いなんて、問題を薄めたり先送り、論点をずらしその問題には目をつぶる人がほとんどだと思います。世界中どこを探しても簡単に滞在ビザが降りる国なんか無いのに。世界中に日本の駐在員がいますし、その地で生きている日本人がいくらでもいますから、自分もあるいは自分の子供も同じようにその気になりさえすればどうにかなると考えている人が多いと思っています。でも、世界というように対象をぼかすのではなくて、実際にどの国、あの国、この国と個別に考えてみれば答えはすぐ出るんですね。観光ならウェルカムだけれど、働きたい、一生住みたいと申し出ても、どこの国もそれを断るのが普通。アメリカでもオーストラリアでも日本人が多く住んでいますが、もし永住ビザが簡単に取れるとなれば、一気に5~10倍には膨れるはず。それだけ住みたくても住めない(永住権が取れない)人が多いのが現実。マレーシアは特に大変だそうで、マレーシア人と結婚しても何年も掛かると聞いています。

つまり、我々でさえビザが必要な国に行くにはビザが必要。長期滞在、あるいは就労したいとなれば突然ハードルが上がる。ましてやその国の国民と同じような永住権も欲しい、社会保障も受けたいなんてことになると、ハードルはもっと高くなる。その辺をクリアすることが出来ずに、どんなに才能ある子供に育っても世界を舞台にして活躍するなんてことは出来ないんですね。せいぜい出来ることは、世界に進出している企業に雇ってもらうことぐらい。そしてその会社の命令で派遣されればOK。この国じゃないと嫌だなんてわがままが通る企業があるのかどうか知りませんが。つまり、世界世界と言っても、現実的にはビザが取れる国でしか働けないし生活もできないわけで、海外で育てばそれが手に入るなんてこともない。多くの資金も才能もあれば起業という手もあるかもしれませんが、仕事が傾いた、病気、事故で・・なんてことになれば更新できずに追い出される。

つまり軸足をどの国に置くかと言うのは大事だし避けては通れないわけで、軸足は世界だ、なんてそんな馬鹿なことは世の中に通用しないってことでしょう。それなのに子供を海外に連れて出て、一体どこが軸足なのかわからないように育てるとその子供は浮き草と同じになるってことなんですよ。

でも留学は全く別で、うまくやれば非常に良い経験になると思います。つまり、日本に軸があってそれプラスアルファが期待できるってことなんですね。ここが海外育ちと違うところで、海外育ちだと日本プラスアルファにはならず、つぎはぎだらけみたいになる可能性が高いってこと。

マレーシアへの留学熱は高いようですが、それを紹介するテレビ番組がありました。これはマレーシア留学を賛美する毎度のお調子番組じゃなくて、しっかり抑えるところは抑えるべきと話している点はかなり良いと思いました。


留学 in Malaysia by sr311gc

ただ違和感を感じるのは、最近どこでもそうですが、移住と言う言葉が使われていること。留学移住なんて言葉に矛盾を感じるのは私だけですかね。留学と言うのはまさに海外に勉強行くということであって、移住とは海外に拠点を移して住むことを言う。つまり、留学とは拠点から外に出て行くことですから、拠点をもその国に移すなら留学じゃないんですね。その地での普通の就学でしかない。また、普通留学は数年ですが、数年間、理由があってその地に住むのを移住とは言わないはず。収入の源泉もない仮の住まいでしかないじゃないですか。留学移住とは言葉になっていない。

これはこれで意味がわかりますが、たとえば留学に一緒に母親が着いていくのを(生活の基盤は日本)移住だとしてしまうと、では子供の教育の為に仕事も止めて資産も整理し、家族で海外に拠点を移して住むことをなんて言うのか?それとの区別がつかなくなるんですよ。あえて言うなら教育移住とでも言いますか、拠点がどこにあるのかというのがわかる言葉である移住と言う言葉を、あくまで日本に拠点がある留学やロングステイでもそれを使うと、では今までの移住はなんと言えば良いのか。たとえば、ロングステイで3年ぐらい海外に住むのは移住と呼んでしまうと、海外に骨をうずめるつもりで渡る人たちの行動をなんと呼ぶんです?ロングステイはロングステイであって、移住じゃないんですね。私はこの辺の言葉の使い方はちゃんとするべきだと思います。例えば駐在組みですが、ニューヨークに転勤になったのをニューヨークに移住しますとは言わないでしょ。それと同じこと。

この区別をはっきりさせるのは非常に大事で、各々のグループは考え方とか抱える問題点がまるで違うんですね。日本に自宅も資産もある人が数年マレーシアに遊びに来ているのと、日本を引き払ってマレーシアに渡り、そこで事業もし収入も得ていつかマレーシアで骨をうずめようとしている人たちは全く違うのがわかりますよね。でもそれを移住としてひとつに括ってしまうと話がややこしくなるんですよ。私がいつも書いているようにロングステイならOKだけれど移住は注意が必要と主張したとして、ロングステイ(帰る場所が日本にある)と移住(日本には帰らない)の違いのわからない人には話が通じないってこと。

海外での勉強も最近は二週間以上は留学と呼ぶそうで、私の若い頃は二週間の短期留学を留学とは言わず、体験入学とか体験留学、あるいは短期留学と呼んでいました。また留学と言った場合、ちゃんと大学なら大学へ通うのが留学であって、大学入学前の語学学校へ入るのは留学とは呼びませんでした。例えば今、ワーキングホリデーというシステムがあって、働きながら学びそして遊ぶ若者が増えましたが、やっぱりそれはワーキングホリデーであって、観光でもない、留学でもない、海外就職でもないわけです。もちろん移住じゃない。言葉にはそれぞれ意味があって、こういう言葉の使い方を壊す最近の風潮は言葉の乱用であり、良い傾向だとは私は考えていません。言葉から内容がわからないんですから。そして各々のグループの考え方、問題もまるで違うんですから。

どうでも良いと思われるかもしれませんが、言葉の定義は非常に大事で、ぼわーっとした捉え方をしていると深い話ができなくなります。例えば保守、愛国主義、右派、右翼、その辺の違いを理解していない人とその手の話をしてもわけがわかりませんよね。こういうそれぞれの言葉を理解してまぜこぜにしないところに文化や思想の基盤があるはずで、これを理解できないと文化や思想さえ理解できないということが起こる。それだけ言葉って大事なはずで、国語力が低下すると何がまずいのか、どういうことが起きるのか簡単に想像できると思います。まさにそれが海外育ちの子供達の問題でもあります。そこそこ日本語がわかっても深い話はまるで駄目。これで日本文化を理解することは不可能でしょ。

うちの子供は大丈夫だと思うなら、「枯淡」とか「冷厳」という言葉の意味とそれを使った文例を出してみろと聞いてみてください。多分うちの息子達は「え?」と言って終わりのはず。うーむ、これって日本育ちでも今の若者には難しいのかも。そういう意味で、国語力の低下って海外育ちだけの問題じゃないのは日本でも言われているわけで、海外育ちになったらもっとそれが酷い状態なのが普通ってことですね。それとも「粋」「もったいない」「おもてなし」程度がわかれば良いのか。

こんな日本の事がわからないグローバル人間、国際人なるものがいくら増えても全く意味が無いと私は思うんですよ。グローバル化とは、自国の文化思想もしっかり理解して(つまり国語が大事)、そしてそれがあるから他国の文化思想も理解できて、共に歩むことが出来ることを言うのであって、あれもこれもちゃらんぽらんなのが国際的なわけがない。でも海外育ちはかなり親が気をつけて育てないとちゃらんぽらんに育つってこと。でも軸足をどこに置くかはっきりしている上での留学はプラスになるでしょう。同じ学校に同じように通っても、その辺の考え方の差で、まるで子供の将来が変わるんですね。

もし留学なら速攻でインターナショナルスクールという選択肢は良いと思うのですが、もし移住で(この意味わかりますよね 笑)渡った場合は、日本人学校という選択肢があっても良いと思うんです。今まで多くの子連れ留学や子連れ移住の人の話を聞き読んで来ましたが、日本人学校という選択をした人はたった一人しか知りません。その親御さんはここの読者かもしれませんが、私は非常に良い選択だし、ちゃんと将来の姿を想像して考えているなと関心したくらいです。

私も過去にこのゴールドコーストに日本人学校が存在したら、そこに子供達を入れることを考えたかもしれません。私にとって何よりも大事なのは日本語と日本文化を理解する能力であって、英語じゃオーストラリア文化は二の次。そして外国で暮らせば日本語が子供にとって外国語、日本が彼らにとっての外国になるわけですから、親がちゃんとしなくては子供にそれを教えるなんてほぼ不可能なんですね。半端じゃない努力が必要になる。ところが日本人学校が存在すれば、親の負担はかなり減る。英語じゃオーストラリア文化じゃなんてのは住んでいればどうにもでなる。これは日本に住んでいる外人の子供達を見ればすぐにわかること。

で、適当な時期を見計らって現地校に入るのが良いかも。そもそも日本人学校といえども中学までしかないのですから。あるいは高校からは日本に返すという選択もありでしょう。そして大学は子供の好きなところに行けば良し。でもそれじゃ海外で生活した意味がないじゃんと思う人は海外とはどういうところか理解していないからそう思うのだと思います。軸足さえしっかりしていればどうにかなるもんだし、また軸足をしっかり作るほうが難しいことを考えるべきでしょう。

世の中って多くの人が考えることと逆のことをやるのが正解なケースが多いと思うんですが、海外での子育ても同じかもしれないなんて思いますわ。調子の良いマスコミや、頭に血が上ってハッピィ~~♪な人の話を聞いても問題点なんかまるでわからない。大体3-5年もすると冷静になって見る目が出来るようになるのが普通ですが、子育ての場合、その3-5年が大きいから、こんな私のブログでも読んで、それが1-3年に縮まったら嬉しいと思って書いています。

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