殺されても自己責任?

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ISILに拘束され、身代金の支払いがなければ殺すと脅かされている件ですが、巷には「自己責任だ」という声が出てきていますね。

まぁ、確かにそうだとも思うのですが、知らん顔できるわけもなく、救出に動かないわけにもいかず。

私が一番うまくないと思うのは「日本政府の救出するのに全力を尽くしている振り」です。

なぜそんなことを思うかというと、一人は後藤さん(左側の人)、一人は湯川さんですが、湯川さんが拘束されたのは去年の8月頃でしたよね。一時大騒ぎになったのにその後、ピタリとそれに関係するニュースはでなくなった。今まで国はどうしていたのか?それが気になります。

湯川さんのお父さんがいろいろメディアに話しているようですが、「外務省からは2ヶ月に一度ぐらいの頻度で連絡があった」とのことですが、外務省は様子を聞いてきただけの様子。国としては動いていなかったのか、単に「行方不明」という扱いだったのか。実際に「拘束されている」という確かな情報もなく、もしかしたらISILに加担しているのかもしれず、国は動き様がなかったのか?

今回の件でも、まさかと思うけれど、拘束されたのではなくて「身代金を取るための演出に二人が協力している」という可能性も政府は考えたのでしょうね。「確認をしている」と最初に報道されたのは「二人が誰なのか?」ではなくて、「実際に拘束されているのか」「あの声明は事実なのか」というところだったのでしょう。

となれば湯川さんが「拘束された」というニュースが出た去年と今とは対応は違って当たり前。

しかし後藤さんがシリア入りした理由は「湯川さんを救出するため」であったという報道が多く出るようになりましたね。それが本当だとすると、湯川さんって一体何を考えていたのかが気になるわけですが、湯川さんの考えやなぜシリアに入ったのかは「彼のブログ」がそのまま存在しますので、これを読むといろいろ見えてきます。

湯川さんのブログ  「Harunaのブログ」  ← クリック

正直なところ、彼のブログを読んだ感想としては「変わり者」だということ。ま、変わり者は私を含めていくらでもいますが、もともとミリタリーグッズを扱う会社をやっていたり、銃を撃ったり、まぁ、あの手の趣味がある人なのは間違いがなく、その彼はその興味の延長線上で「プライベートミリタリーカンパニー(PMC)」を始めようとしたんですね。要は「傭兵」。

何かというと、世界の危険地域における「護衛」などで、海上での「護衛」も視野に入っていた「妄想」とも言えるような計画。そもそも彼には「戦闘経験」もなければ、セキュリティーの訓練を受けたわけでもなく、自衛隊の特殊部隊にいたわけでもない「ただの素人」。銃はもちろんのこと「火器」の扱いも全く知らない。

その彼が「戦闘地域」を知らずしてその仕事は出来ないと思ったようで、本当に「危険な場所」とはどういうところなのか見に行ったのでしょう。

そして拘束された。

その拘束時のビデオがユーチューブに出ていますが、「いかにも戦闘員みたいな格好をした観光客が捕まった」印象を受けます。自分が「何」であるのかの説明もきちんと出来ず、ジャーナリストだと言いながら、なぜ「戦闘服を着て銃を持っているのか」の説明もできず、あたふたするだけ。

その時の動画。ISIL側が撮ったものでしょう。

ミリタリーオタクが銃を持ち戦場に入り、「妄想の世界」と「現実の世界」の違いに彼自身驚いているのがこの動画からも伝わってきます。これはISIL側としてもまさか「オタク」がこんなところまで来て銃を持っているはずがないと思うわけで、彼の処遇には困ったと思います。「スパイ」の可能性が高いと思われても仕方がないですが、それにしては「お粗末なスパイ」だというのはISIL側もわかったはず。

こういう事態が起こるかもしれないというのは、前に(拘束されているもう一人の方の)後藤さんも気がついていて、湯川さんには「注意しろ」とかなり強く言ったらしい。「お前が来るところではない」という意味でしょう。

その後藤さんが責任を感じているわけではないでしょうが、多少は内情がわかる自分なら湯川さんを救出できると思ったのでしょう。その為に彼はシリアの中でも一番危険だと言われている首都(とされている)街に向かった。湯川さんは「戦闘員」でもなければ「ジャーナリスト」でもなく、もちろん「スパイ」でもない「戦場を観光しに来たオタク」だという説得をしようと思ったのかもしれませんね。

こんなところでうまくないこともあったようです。ISILはツイッターも持っていて、そこに「湯川という男はプライベートミリタリーカンパニーの社長だ」と情報を書いた人がいたんですね。余計なことをしたといえばその通りですが、まぁ、調べればわかることですし、湯川さんも自分でそれを言うでしょうから、「余計なことをした人」を叩く理由はないと思うのですが、ISILにしてみればプライベートだろうがなんだろうが「ミリタリー」に関連がある人物となれば、そして実際に銃を携行していたわけですから、すんなり開放するわけにもいかないでしょう。

こういう時にこういうことを書くのは適切ではないかもしれませんが「脳天気なオタクの勝手な行動」が発端で「助けに入った後藤さんも拘束された」ということだと思います。

こういう経緯は当然、日本政府もわかっていて、それでも「全力を尽くして救出するべきか」どうか。私はそれはすべきで、それが「国と国民」の関係であると思っています。

とは言うものの、業務でその地にいた人とか、あるいは大使館の職員だとか、過去における「拘束」とはかなり様相が違うわけでどうしたって救出の「本気度」には違いがあるような気がしないでもありません。つまり、最近日本で多発している雪国での遭難事故ですが、「普通の登山道なりスキー場」での事故ではなくて、「立入禁止に入って遭難」した場合、これは交通事故でも「高速道路を逆走した」のと似ていて、どうしたって「自己責任」は問われて当たり前ですよね。

でもやっぱり「命の重さ」って同じなのは間違いがないはずで、「落とし所」とか「体裁」を考えずに、私としては全力を尽くして救出して欲しいと思います。

しかし、「絶対に身代金は出さない」というのは米英で、フランスやドイツは身代金を払った過去がある様子。世界のコンセンサスとしては「テロに屈しない」はあったにしても、対応には温度差がある。

さて、日本はどうするのか?どうするべきなのか?

ISILにしても「日本の立場」は「英米とは違う」のを知っているはずですよね。イスラエルとアラブ諸国の間では「中立」とは言わないまでもそれに近い立場で、実際の戦闘には参加していないわけですよね。でもISILを封じ込めることは「賛成」し、「人道支援」とは言っても敵対するグループに資金援助をするのは間違いがないわけで、ISILにしてみれば「日本は許す」ってわけにもいかず。でも「英米と同様にみなす」のも「新たな敵を増やす」ことにもなるわけで、今後の展開を考えれば「殺す」わけにはいかないような気もするんです。

ISILは何をするかわからないキチガイ集団のように見えますが、実は世界相手のプロパガンダはかなり巧妙にやっているようで、ただ「やみくもに突っ走っているわけではない」部分もある様子。それとちょっと変だと思うところがあるのですが、ISILは「72時間以内」と言っていますが、でも「いつから72時間か」を明確に言っていないんですね。だから72時間後がいつなのかがはっきりしない。ここに、ISILの「考え」を読むことができるような気がしないでもないんです。

もしかしたら「殺す」どころか、「キチガイ集団ではない」と「見せる場」をつくろうとしている可能性すらあると思っています。

ISILに取って「今回は開放する」に値する「言い訳」を作ってやることが必要だと思うのですが、何かないもんなんでしょうかね。

私に任せてくれれば「間を取り持つ」「説得してみる」というISILとパイプを持つジャーナリストが出てきましたが、政府としては表立ってそういう人を使うのは「恥」なのだろうとは思うものの、まともな「諜報機関さえ無い日本」なんですから、できることは全てやって欲しいと思います。

それと、一昨年でしたっけ、アルジェリアの石油プラントでテロが起きて日本人が10人犠牲になった事件がありましたが、あの時のフランス人犠牲者は一人だったのこと。ここに何の違いがあるのかですが、それは決して「運が良い、悪い」ではなくて、フランスは「民間の軍事会社と契約」をしていたとのこと。つまり警護の軍を持っていた。

でも日本の企業はそれをしないそうです。理由は簡単で、これもまた憲法9条がらみ。「軍事」と関わることは国ではない企業でさえも、危険があるのがわかっていてもそれは出来ない風潮があるとのこと。

日本の平和憲法があるおかげで日本は今まで世界で何が起きても「僕ちゃん、関係ないもん」を押し通すことが出来たわけですが、結局、グローバル化した今の世界ではそれが日本人の生命をも危険にさらしていると私は思っています。

「話し合いで解決しろ」とか「危ないことはしないほうが良い」とか、「腹を割って話せば世界はお手て繋いで仲良く出来る」ような「妄想」は捨てるべきだと思うのです。

「過ちは二度と繰り返しません」なんてどこかの慰霊碑に書いてありますが、「違法な方法によって大量虐殺したのはアメリカだという事実」になぜ目を向けず、「そもそも俺が悪いんだ」みたいな発想になるんでしょうか。

「平和を唱えている人は良い人」みたいな幼稚な幻想は早く捨てるべきだと私は思うのです。世界ってそれぞれの国が戦う場でしかなく、それが民間をも巻き込む戦争という形なのか、それとも(実際に人は死ぬ)経済戦争なのか、あるいは国と国が正面でぶつかる争いではないにしろ、「世界はボクシングのリング」と同じだと思うのですよ。そのリングに上がっているのは間違いがないのに「私は戦いません」「戦いは放棄します」って、そこに「美」を見つけてはならないと思っています。

私は他の国にはない「和の精神」が日本にはあると思っていますが、それは「戦わない」という意味ではないと思うんです。

でもねぇ、非常に強力で強大な軍事力を持っていたり、あるいは核武装を日本がしたとして、それを動かすのは誰か?と考えた場合、非常に怖いですよね。今までの歴代の総理大臣を思い浮かべてみると、誰にも任せられないと感じるのは私だけじゃないと思います。

だからこそ、政治には皆が真剣に向かうべきで、「危ないものは持たないほうが良い」という発想は筋が違うと思っています。「キチガイに刃物」は危険ですが、「刃物がなければ良い」とはならないのと同じ。でもその刃物がないのと同じような状況の日本だからこそ、国民はボーーっとしていられるんだろうとは思いますが、それは「平和」ではないと思うのです。

私が憲法改正をすべきだと思う理由は「戦える日本にするべき」ということではなくて、「あの憲法は国民が馬鹿になる憲法」だと思うから。あの憲法を盾にして「責任逃れ」ができるから。

ISILにしてみれば、今の日本なんて子供を相手にするのと同じでしょう。怖くもなんともないはず。脅かして金を取れればOKという国でしか無いと思います。そしてそれが世界の共通認識。

今回の事件は「どう助けるのか」「何ができるのか」がはっきり我々に見える事件ですし、まずはこの事件の解決を急がないとなりませんが、「日本はどういう国であるべきか」を真剣に考えるキッカケでもあると思っています。

 

 
    

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