ゴールドコーストに帰ってきたらホッとした~~&私たちは何のためにマレーシアに行くのか

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今日の朝、ゴールドコーストに着きました。

飛行機を降りて深呼吸をした瞬間、やっぱりゴールドコーストは良いなぁと思いました。空は綺麗、暑くても湿気はなく風は涼しい、空気も美味しい。

入国検査を終わり、荷物をピックアップし税関、そしてUberでサウスポートに帰ってきましたが、こちらの人たちってセカセカしていないし、どこも綺麗だし、英語は普通に通じるし(笑)、我々は一体このゴールドコーストの何が不満なのか、車の中から町並みを見ながら考えていました。

表面的なものに関しては全く文句は無いし、ヨメさんがゴールドコーストが世界一好きだというのもわかります。子供もそう。

でもねぇ、「財布を握る者」、「将来に責任を持つ者」としてはそう簡単には行かないんですね。

いや、もう子育ても終わっていますし、あとはこじんまりと歳をとって死ぬだけと思えば我が家も問題がないのですが、そもそもジジーになって思うことは「これが私が望んだ老後か?」ってことなんですよ。普通に生きて、普通に遊んで、普通に食べて、普通に生活するぶんには全く問題がないのですが、私が望んだ私の人生ってこれじゃない。

私が学生の頃に起業し、またサラリーマンになることを拒否して、リスクを取り続ける生き方でずーっと中小企業のオヤジとして地べたを這いずりまわって生きてきたのはこんな老後を生きるためじゃありません。

不幸なのか?と聞かれればそんなことはなくて幸せです。

でもこんなささやかな自分の幸せを夢見て今まで生きてきたわけじゃない。歳を取れば取るほどこの思いが強くなり焦りを感じるんです。幸せかどうかというより「わが人生の価値は?」という問いに対して、私はまだ何も答えられない状態なのが気に入らないのです。ゴールドコーストに住み続けるということは、私は自分の大志を捨てることを意味します。でも私が若い頃から何を夢見ていたかはここには書きません。バカだと思われるでしょうから。(笑)

ただ平凡な生活、人並みの幸せ、まったりした老後、とかそういうものに価値を感じたことは一度もないんです。また人生を面白おかしく楽しく生きたい、それが目標だと一度足りとも考えたことはありません。ただ、自分がやったことは自分が責任を取るのと同じように、何か作り出すことが出来た時にはその中から若干の報酬は当然受けようと思うだけ。

もし「魂の存在としての自分」がこの世に生まれることを望んで出てきたとしたら、あるいは「何かの存在」が私をこの世に送ったのか、そんなことはわかりませんが、もしそうだと仮定した場合、私の人生は「ただ好き勝手に遊んだ人生でしかない」と感じるんです。つまり、人生の学校だとすれば、私は小学校を卒業した程度の事しかしていない。

ま、私が狙う私の人生をこのオーストラリアで見出すことは出来ないのかというと、決してそんなことはありません。ただし、嫌味に聞こえるかもしれませんが、私は「男の優しさ」とは「力」であって、「力」とは「金」だと思っています。これって商人の家に育った人には当たり前の考え方のはずですが、いつの間にか私みたいなことを言うと「金亡者」だと言われる時代になってしまい、私に「足るを知れ」とお説教するような人もいます。

私一人で生きるなら、あるいは家族だけを考えれば確かに「足りている」のは間違いがない。でも世の中それで良いんですかね?

私の親も親戚、一族、先祖もそういう生き方はしてこなかったんですよ。というか世界がそうだったはず。親が子を育てるのと同じように、一族の長は一族全部の向上を常に考えてたし、それが発展して「部族」、「部落」、「村」、「市」、「群」、そして国になったはずで、根底に流れているのは「個人が生きられれば良い」ってことじゃなかったんですね。でもいつのまにかそういう時代になった。

自分の兄弟が、甥っ子姪っ子、あるいは叔父叔母が窮地に立つことはいくらでもありますが、「頑張ってね」というだけの世界。これっておかしくないですかね。

私の人生でも「助けるべき人達」を「見殺しにしてきた過去」があります。

私はこれに耐えられないんですよ。

私を育ててくれた叔父がいるんですが、その叔父が破産し、親族に迷惑をかけまいとどこかえ消えていき、今でも連絡が取れないのですが、叔父叔母、そして私の従姉妹にあたる彼らも半端じゃない苦労をしたはず。でも私は何もしなかった。何も出来なかった。

それに似たようなことはいくらでもあって、親族の恥をさらすようでここには書けないことばかりですが(笑)、過去においてはそういうのは「一族の長」がどうにかしてきたんですね。でも時代は変わった。

お金は自分で稼ぐものというより「誰かからもらうもの」になり、「他人の面倒」は「社会、政府の仕事」になってきた。きっと全体的にはこれは進歩なのでしょうが、私には「退化」に思えるんです。「子供は学校を出してあとは社会に任せる・・」なんてなんて恐ろしい発想をするのかと思うくらいで、先祖代々培って繋げてきたものを子供に伝えないなんて、とんでもなく恐ろしい時代になったもんだと思うくらい。でも普通の「商家」でも「農家」でも先祖からの繋がりを大事にする。これって当たり前だと思うんですよ。会社だって同じで、血筋じゃないにしても繋げていくから成り立つのであって、社長が死んだら解散して最初からやり直しなんてことはあり得ない。国もそう。でもなぜか「個人の世界」では親と子のつながりが切れるのが普通になってきた。

これって私は「治める者」の作戦だと思うぐらい。つまり「歯車として使う」にはその方が都合がよいし、社会の構成員はその方が統制が効きますもの。でも本来はそういう形ではなかったはず。それを元に戻したいと私は考えているだけなんですよ。今まで通り、何十年何百年、あるいは何千年続いてきた私達の生き方の原点に戻りたいって思うだけ。

大きな偉い人間になりたいんじゃないんですよ。少なくとも、自分の子供、身近な親族、親しい大事な人達ぐらいは助けられる自分になりたい。そういう母体を作りたい。ただ(食べられる)「魚」を分けるのか、それとも「魚の釣り方」を皆で共有するのか、そこはいろいろ手があるはずで、ありとあらゆる事を考えて力を付けたいと思うのです。それは「私の力」ではなくて、「一族の力」、そしてその延長線上には地域や日本そのものがあってもいいはずで、ただ私には大それたことは出来ないし、考えることも不可能ですが、せめて、まずは一族のことを考えて何かしたいのです。

まず身近な目標として持っていることは「教育基金」。普通、小学校中学校は無料ですが、これってアタリマエのことじゃなくて、誰かがお金を出し、あるいは出し合って運営しているわけじゃないですか。それと同じようなものを一族の中で作りたいと思っています。勉強が出来るのにお金が無いから良い学校に行けない、好きな大学に入れないなんてことがないように。

これははじめの一歩でしかなくて、終わりがありませんが、「一族の中にこういうシステムを持つのは当たり前なのだ」という考え方、そしてその基金となるもの、そしてそれを継ぐ者をどうしても残したいと考えています。将来それが伸びるのか、潰れるのか、あるいはそんなシステムがあるからこそ一族は堕落するのかもしれないけれど、それは継ぐ者に任せようと考えています。

そういう夢を実現する、あるいは種まきをするにはオーストラリアでは無理なんです。

オーストラリアは個人が生きるには最高だと思います。自由と平等が保証されていて、社会保障も厚いですから。もちろん完璧なわけはないけれど、あくまで他国との比較においてという意味。その代わり、税金が高い。おまけに物価も高い。(笑)

でもそういうオーストラリアで「税金は払わない代わりに、我々のことは我々でやる」なんてことはできないわけです。(笑)

私は税金とは「所得に掛かるもの」という考え方ではなくて「経費」という捉え方を昔からしているのですが、そういう意味で経費削減を考えた場合、マレーシアに行くしか無いってことなんです。

同じことをオーストラリアとマレーシアでしたとして、オーストラリアでは10年掛かることがマレーシアでは半分以下のスピードで達成できる。これは私の現在、未来の所得に対してマレーシアは無税であることと、生活経費の節減が可能だというダブルメリットがマレーシアにはあるから。私がマレーシアに行くのはこれが理由であり、それは「唯一」「それだけ」であって、他の理由はありません。(まぁ両親がKLにいるというのもあるけれど)

今回、何人かのMM2Hの方々とお会いしましたが、私たち夫婦も子供もMM2Hですから「老後をマレーシアで楽しむ為」に来たという先入観を持って私たちに接する人がほとんどでした。息子は28歳ですが、きっと「一生遊んで暮らすつもりで来たのか?」なんて思っているのかもしれない。(笑)

でも私はこのブログに何度も書いているように、ご褒美人生でマレーシアに行くわけでもない、遊びに行くのでもない、「お金儲けのために行く」わけです。でもそのお金が目的ということはあり得なくて、夢を実現させるための「手段」でしかありません。

だから実は「ロングステイ」っていう感覚もないんです。もちろん「移住」でもなんでもない。

そういう意味では「駐在」に近いかもしれない。会社を作るつもりは今のところありませんが(その必要が無いから)、「起業組」と同じかもしれない。

でも私の本当の仕事が始まるのはまだまだ先の話。まずは「稼ぎ貯める」ことからスタートです。きっとそれだけでも私が生きている内に目標達成できるかどうかはわかりませんが、今の私には「私の意志を継ぐ者」がいますので、出来る限りのことはやってみようと思っています。

随分前ですが、北欧のどの国だったかなぁ。いわゆる揺り籠から墓場まで国が面倒見てくれて、若者は将来の不安を持つことなく「やりたいこと、学びたいこと」に邁進できると。そんな世の中を夢見て日本も進んできたはずですが、現在は全く違うし、どう考えてもそんなことは日本には起こらないはず。子供たちは新しく世に出て、また自分でゼロから全てを構築しなくてはならないなんて、動物の世界から進化していないのと同じに思うんです。ではオーストラリアを基盤とすれば北欧に似たような生き方も出来るのですが、そうやって「国に依存」することなく、自分、一族のことは自分たちでどうにかするという「当たり前のこと」をやりたい。住む国も自分で決めたい。だから今はマレーシアに行ってその基盤を作るしか無い。もしかしたら中国人、華僑ってそういう考え方を持っているんじゃないかと思ったり。だとしたら、私は和僑を作りたい。(笑)

でもヨメさんには私の大義は理解できないんですね。って話もしませんが、子供は子供でどうにか未来を作れば良いと普通に、そして脳天気に信じている。だからついさっきも「行きたくない・・・」なんてことを言っていました(笑)。でも正直だと思うし、将来の心配もなく老後を楽しく過ごすなら私だってゴールドコーストがベストだと思いますもの。でも子供たち、子孫に教育だけ与えておけばどうにかなるなんて、世の中そんな簡単には出来ていない。その教育を与えることさえ難しい時代に入ってきていて、日本人が大好きで尊敬して、ヘラヘラと尻尾を振るアメリカさえもそういう時代に突入しているのは今の大統領予備選を見てもわかること。だからサバイバルは個人で考えてもどうにもならないと思うわけです。ラッキーな人しか生き残れない世界になっている。だから一族で一致団結する必要がある。国になんかに任せられない。そしてどこへ逃げても駄目だし、また世界を逃げ回るような人生を送る一族にしたくない。世界では勝ち組の日本でさえ、その中の勝ち組と言われる今の老人たちもヒーヒー言っているんですからまずは家族が、一族が団結するしか無い。当然、どこでどう使われるかもわからない相続税なんかびた一文払いたくもない。

だから私は守銭奴になると心を決めたんです。「足ることを知る」なんて悠長なことは言っていられません。そしていつか一族を、同胞を助けられるようになりたい。税金がない代わりに収入の10%は他の為に使う。そしていつかその%が50%を超え、あるいは逆転しても存続できる組織を作ることが私の夢。ま、生きている間には無理でしょうが。

でも「勝算は我にあり」「神は必ず我を生かす」と信じています。

また生意気なことを書いているでしょ? (笑)

でもそう思ってるんだからしょうがない。

挫折しそうになったらこの曲でも聞いて頑張るつもり。

 
 
 

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