自分の知らないところで「格差」が生まれ育つんですねぇ

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ネットサーフィンをしている時に面白いコラムを見つけました。

これです。(「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由)ここをクリック。

北海道の田舎の青年が(たまたま)東大に入ることが出来て、そこで彼が気がついたことが書いてあります。大変面白いので是非読んでみてください。

彼の田舎では「大学へ行く」ということさえ考えない環境で、どこにどんな大学があるのかも知らない、自分が、友人が大学へ行くということさえ想像しない。当然、周りの環境もそれで親族、友人知人にも大卒者はいないし、「大学へ行ったら?」という話題も出ないと。街には本屋も無く、参考書もないような場所。「大学の話」は地元のレベルの高い高校で成績優秀者に教師がそれを薦めるぐらいで、中学校では大学の話なんかまるで出ない。普通レベルの高校でも全く話題に出ない。大学へは行かないのが当たり前の世界。

彼が言いたいのは「大学へ行ける行けない」そのことさえ考えない、「大学の存在」すら考えないという環境があって、格差は知らず知らずのうちに育つと。

なるほどなぁと思いました。家が貧乏だとか、学力が足りないとか、大学へ行きたくても行けない人はいますが、「大学という存在自体、考えたこともなかった」というのにびっくりです。

でもこれって、他人事じゃないんですよね。自分も全く同じで、自分が知っていることって自分の身近のこと、身近で話されていること、身近の人たちが共有している価値観、そんなことしか自分は知らない。

それ以外のことは別世界で「存在しないのも同じ」ですよね。

でもそれは存在していて、自分が知らないだけかもしれない。また本当に存在していなくても「そういう存在があるかもしれない」と想像することは非常に大事で、未知の領域に旅立とう、「存在がないのなら自分でそれをつくろう」という気概が大事なんだと思いました。

そうじゃないと自分がいる世界の常識に縛られて、そこから脱出することはできないし、脱出しようということさえ考えないんでしょう。

「サファリパークの中に住む自分」

これにいかに早く気がついて、外の世界に興味を持つかが大事なんだということがわかる。

MM2Hでマレーシアでロングステイすることも全く同じで、誰でも望めば海外で生活できる、マレーシアなら簡単、英語が出来なくてもどうにかなるとか、そんなことさえ知らない人たちが多い。そもそもマレーシアがどこにあるのかも知らない人も多い。

また本当はハワイに行きたいのだけれど・・、オーストラリアの永住権が欲しいのだけれど・・・、「それは無理」と決めている人が多い。レストランのウェイトレス、タクシーの運ちゃんでも永住権を持っているのを知らないのだろうかと思いますわ。

老後の金銭的な不安、どう生きるか、どう楽しむのかと悩む人達は多いけれど、「マレーシアに行く」どころか「住みやすくて面白くて、安く生活できる海外に住む」ことさえ想像もしない人たちがわんさといるんでしょう。

「俺の人生なんてこんなもんだ」

と誰しもが考える。それは自分の環境、周りの人たちを見れば、自分に何ができるのか、何ができないのかは簡単に想像がつくわけで、「周りの人達と違う生き方をしよう」「違う生き方が出来るんだ」ということさえ考えない。

政治も同じ。「誰が政治家になっても同じだよ」なんてわかったようなことを言う人は昔から多い。

「自分の一票で世界が変わるわけがない」

と多くの人が考える。それは世界の常識だと信じてる。

「俳優になりたい」「金持ちになりたい」など夢はいくらでもあるけれど、

「どうせ無理だ」

というのは周りの人間を見ていればわかる。

トレードや相場も同じで、当たり前のことしか知らないと当たり前の結果しか出ない。

結局、これで自分の将来を潰しているってことに気が付かない。

今日、見つけたコラムは、そういう夢さえも見ない格差、環境があるというところにびっくりでした。

やっぱり人間は「夢想すること」が非常に大事なんだと思いました。もしそれが現実的ではなくて、自分の環境を見渡しても夢でしか無いとは思っても、「こんな世界があるんじゃないか」と想像することは大事で、それは海外にあるかもしれないし、国内にもあるのかもしれない。もしかしたら自分の身近にあるのかもしれない。でもそれを「そもそも見ようとしない」とするなら、自分は自分の環境、価値観の中で埋没していくだけなんでしょう。

また「情報弱者」という言葉を最近よく耳にするようになりましたが、情報を積極的に得ようとしないと人間がどうなってしまうのか。

こんなアタリマエのことを、ガツンと教えられたような気がしました。

そしてそれは自分にも起きている。

私の65年の人生でわかったことがあるんですよ。

「俺はこんなもんだと思うときっちりそこで止まる」

ってこと。予想以上に良くなることってあり得なくて(笑)、でも「まだまだこれからだ」と思えば先がある。「不可能に思えるけれどチャレンジしてみる」ことでしか「自分が想像する自分を超えることは出来ない」んでしょうね。

「己の敵、ライバルは己の中にある」

というのも同じことなんだと思いました。

まだまだ私自身は固定観念、環境、偏屈な価値観にとらわれているのもわかった。ジグそ~~~~~。これをどうにかぶち壊さなければ・・・。

バカと言われようと、なんと思われようと、私は夢を見て追い続けようと思う。

今日は、若者のコラムから力をもらったような気がしますわ。

「このままでは終われない。まだ夢の途中、諦めない・・・」

 
 
 

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