なんで食レポなのに「お店の名前を書かない」ブログ主がいるんだろう・・

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多くの方のブログを読んでいますが、たまに変なブログに遭遇します。

たとえば「和食を食べてきました」という内容で、美味しそうな写真がずら~~っと並んでいて、フムフムこれは確かに美味しそうだ、良さそうな店だ、一度は行ってみたいなとか思うわけです。

で、そのまま読み続けていると、「その店の名前、場所も書いていない」なんてのがあるんですね。

この手のレポートって実は結構いっぱいあって、レストランじゃなくても「どこそこに行ってきました。自然豊かで素晴らしいところでした」とか、読んでいる方はそういう場所があるのなら行ってみたいなぁと思うわけですよ。

ところが地名も何も書いていない。

これって「行きたければ、自分で探してみたら?」ということなんでしょうか。

読者に教えないのはどんな理由があるんでしょうか。「こういう素晴らしいところがあるけれど、あなたには行って欲しくない」とか?

わかりますよ。「自分のお気に入りの場所は教えたくない」という気持ちが働くのは。特に静かで良いところは「有名になって来訪客が増えたら困る」という風に考えるのもわかる。

でも「店名や場所を書かないことに関してブログ主は何も感じないのかな」と私は思うんですよ。まさか「私はこういう店に行っています」とか「こんな珍しい場所を知っています」と「自慢したいだけ」とは思いたくないんです。

だからその場所を知りたければ、コメントに「申し訳ないですが、店名、場所などを教えていただけませんでしょうか」って書けば良いと思うのですが、「コメント欄がない!!!」なんてこともある。そしてまさか「お教えできません」なんて言われたらどうしようなんてことを考えてしまうわけです。教えることに問題がなければ、そもそも書かないという選択はしないはずですから。

だから私の場合、どうしてもその店なり場所を特定したい場合には結構な時間を割いてネットの中を探し回ります。時には出ている「写真」から写真検索をしたり、「料理名」から探してみたり。それでわかることもあれば、わからないこともある。

私が見ているブログって日本人のブログだけじゃないんですが、日本人以外のブログでそういう「行った場所を明確に書かない」というブログを読んだ記憶ってないんですよ。

私が思うブログって、良い店、良い商品、良い場所があったら「それを読者の方々と共有する」という基本的な考え方があります。

でも「詳しいことは教えない。でもどれほどよい経験をしたのかはブログに書く」というブログ主が日本人には時々いる。不思議だ・・・。

また「店名や場所は書かない」にしても、「いつも書かない」んじゃないのね。読んでいる方が「おおお~~」と思う場所に限って書いていないと私は感じるのです(素晴らしい商品を紹介してもどこで売っているのかは書かないのも同じ)。だからブログ主も「良いところ(良い商品)だからこそ、秘密にしておきたい」と思っているんだと思います。でも秘密にしておきたいのならどうしてブログに書くんだろうと思うわけです。「こういう場所が存在するのだから、あなたも頑張って探しなさい」ってか?

これはあらゆる情報も同じで、「私はこういう情報を持っています。でも詳細は書かないし、どこからそれを手に入れられるかも書きません」なんておかしいと思わないんだろうか。

「紹介された場所」とか「教えてもらった情報」の場合、自分がそれを公にしてしまっていいのかなと思うことは間違いなくあります。でも私だったら「ブログに書いていいですか?」と聞きます。(写真を撮ってもいいですか?ってのも大事)

ところが「ブログにははっきり書かないで欲しい」なんて言われることもあるのね。

それを言われるとどうしようか私も悩むわけですが、私の場合ははっきり書かなくても「探そうと思えば探せるヒント」を埋め込むようにしています(確信犯)。これが良いとは思わないのだけれど、読者が行こうと思えば行けるようにするのは基本だと思う。あるいは詳細を書けないのであれば「一切、書かない」かどちらか。

特に女性は「そういう場所を知っていることは書きたいけれど、詳細は教えたくない」と思う傾向があるのは多くのブログを見るとわかりますが、どうして日本人にはそういう傾向が強いんだろうと、がっかりするんですよ。

どうして「こんな穴場を見つけた~~~」と情報共有をしようと思わないのか。

外国人は隠さない人が多いと感じますが、これはきっと「はっきり書けないことは、そもそも書かない。場所を特定されたくない場合には一切何も書かない」んじゃないかと思うんですよ。

子供に美味しそうなお菓子を見せて、「これ美味しいんだよ~~。でもあげない」って言っているのと同じで、あげないのなら「見せない」で欲しいと私は思う。

「私がいつも買う鮭は安く美味しい」と書きながら、それがどこで売っているのかは絶対に書かないような人もいる。

自分だって誰かに教えてもらったことなのに他人には教えない。あるいは苦労して自分で見つけたのだから、簡単には教えたくないとか?

私が変わっているのかもしれませんが、そういうブログを見ると、私はどうしても「ああ、そういう人なんだな」と思って気持ちが離れていきます。

別にダボにどう思われようと関係ないでしょうが・・。

ただ近年、「個人情報」に関しては非常に世の中うるさくなっていて、「隠したい」という思いをそういう風潮が助長しているように感じるのです。親しい仲間同士なら普通に教えても構わないけれど、ブログで細かいことは書きたくないという考えを基本に持っている人が多いように感じるのです。ブログって読み手を選べないのは間違いがないですが、テレビみたいに全国放送で恐ろしい数の人が見ているわけでもなく、それどころか読み手の顔は見えなくても、いつも見に来てくれている「常連、仲間」という意識がないのか?と私には不思議に感じるわけです。

気に入っていつも読んでいる(クリックもする)ブログってあるわけで、私は「自分はそのブログの常連で、会ったこともないけれど書き手と読み手としての人間関係は出来ている」ように感じることもあるんです。でもそういう「隠し事」があった時に、「あああ、読み手の自分は所詮それだけの存在なのか」ってがっかりするんですね。突然、現実を突きつけられたようなもんです。そして常連の自分が馬鹿みたいな気持ちも出てくるんですよ。自分は「この人の自慢話に付き合っていただけか」ってね。

でも外国人のブログにはそれを感じないし、またブログに自分の写真を出すか出さないかですが、日本人のブログは「自分の写真は出さないのが普通」ですよね。でも外国人は自分の顔を出すのが当たり前みたいな感じもする。これはユーチューブの動画も同じ。

自分のブログは自分の好きなように書けば良いのは間違いがないのですが、そういう「大事なところは隠す」ブログは、ブログ主はそういうある種の人間性を持っているんだ・・と読み手が感じるのも勝手ってことになる。もし「詳細を書けない理由」があるのなら、是非それを書いて欲しいと思うんですよ。でもその理由もなく、読み手としては「隠す理由もないんじゃないか」と思う場合、私は書き手の人間性を疑いたくなってしまう。

でも昔からこれって良くある話ですよね。子供の頃も同じで、「見てみて、これ凄いでしょ!」「おおーー、凄いね。どこで買ったの?」「おしえな~~~~い」なんての。(笑)

大人になって良い歳こいて、そんなことを続ける人がいる・・・・。

---------(後記)-----------

私がちょっと気になっていたことを読者からコメントで指摘を頂戴しました。

ダボだって隠すことがあるだろうってこと。だからこの日記はブーメランだと。

要はこのブログに何度か書いている、日本食材の輸入卸業者のF社のことなんですね。

それに関しては本文にあるように「ブログには書かないでくれ」と言われているところ。だから本来、一切書かないのが良いのですが、私は「はっきりわからなくても特定は可能」な形で書くことを選びました。なぜそう思ったかと言うと、その会社の社長に「多くの日本人に来てもらいたい(小売も歓迎)」という意思があるのははっきりわかったから(でも卸売業という仕事上、それを公に言うことはできない)。

F社という書き方は興味があって調べる人には簡単にわかる書き方のはずなんですね。日本食材の輸入卸業者でFが付く会社は、ネット検索すれば5分以内にすぐにわかる。これは「書かないでくれ」と「読者に知らせるべき」の折衷案です。

きっとそういう調べることを自分でやらない人には「何も書かいていない」のと「調べて特定することは可能な小さな情報はある」の違いもわからないのだろうと思いました。

だから私はブーメランだとは全く思っていないってこと。

何も書いてくれないブログ主でも、せめて頭文字だけでも書いてくれば探すのは可能なわけです。

「教える気が全く無い」のと「知ってもらいたい気は満々(知ってもらいたいから書いている)」の違いがわからない読者がいるのが残念です。

 
 
 

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