オージーのおばさんに負けた

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買い物に行った時のこと。

スーパーの通路に親子とみられるオージーの女性が二人。彼らは通路の真ん中に突っ立ったままで通路を塞いでいる形。

私がそちらの方向へ歩いて行くのは目も合って気がついているはずなのに、彼女たちは動こうとしないんですよ。ん?おかしいなぁと思ったのですが、もし全く気がついていなければ当然「エクスキューズミー」と言って通路を開けてもらうのですが、彼女たちは気がついているのに動きませんから私も「あのねぇ~」と思ったわけです。

相手が何人だろうとこういうことがまるで無いわけでもありませんし、そういう時にはちょっと大きな声で「えくすきゅーずみーーーー」というのですが、今日はフト違うことを考えたんです。その通路をまるで通れないわけではありませんから、「通路の真ん中で突っ立っているんじゃないよ」という意思表示でもあるんですが、開いている隙間を通り抜けようと思ったのです。

でもこれが失敗で、お母さんと思われる結構な歳のおばさんが、私を睨みつけて荒い口調で「えくすきゅーずみーーーー」というんですわ。

要は、こういう時には「エクスキューズミー」を言えということなんですね。

負けた~~と思いましたっけ。言わなかった私が悪い。

でも彼女たちも変だと思いましたわ。でもこれが「日本的発想」なんでしょうね。ちょっと昔の日本だと「真ん中に突っ立ってるんじゃねーよ」なんて言う人もいましたし、「周りに気を使わずにブロックしている方が悪い」という考え方を、いまだに私は持っています。

そういえば20年ぐらい前ですが、ある店に車で買い物に行きまして、帰り際に駐車場に停めてある自分の車を見たときにびっくり。私の車はちゃんと駐車すべき位置に停めてるのですが、その真ん前の道路に車が停まっているんですよ。もちろん駐車禁止だし、私の車は動けません。

この時も、「ったくよ~~~~」と思って、その店に戻り、「外に止まっている小型トラックの持ち主はいませんか?それがブロックして私の車が出せません」と客に聞こえるように言ったんですよ。小さな店ですからその時にいた数人の客には聞こえたはず。

その後、私は自分の車に戻り、目の前に車を停めている人が出てくるのを待っていたわけです。

ここで日本人の感覚ですと、その車のオーナーが小走りでやってきて「どうもすいません。すぐに動かしますから」というのを私は期待していたわけです。

ところがですね、店から二人出てきまして、一人が大きな声で(私の方は見ずに)「Fワード」を言い続けているんですよ。そしてそれが車のオーナーなのがわかったのですが、その連れが私の車のところまで歩いてきまして、私に話しかけてきました。

「貴方のあの言い方は大変失礼だ」と。

「外に止まっている小型トラックの持ち主はいませんか?それがブロックして私の車が出せません」では駄目だということ。

彼が言わんとしているのは「大変申し訳無いけれど、動かしてもらえないだろうか」というべきだということ。

スーパーの通路に突っ立っていた親子と同じ発想だということ。

似たような状況でしたが、さて私はなんと答えたか。

「馬鹿野郎~。自分が何をしたのか考えてみろ」と言いたいところなんですが、「アイムソーリー」なんてことも言わず、沈黙を通しました。無視です。

きっと彼らは「これだからアジア人はイヤなんだよね」なんて思っているんでしょうね。でも私としては「こんな連中と生活したくない」なんてことも思うわけです。

こういうことってどうでも良いような気がするものの、文化の違いとか、生き方の違いがはっきりあるのがわかるわけで、郷に入っては郷に従えですし、またとにかくそういうふうにしろというより、本来どうあるべきなのかそんなことも考えさせられます。

で、私が思ったことは、「相手が本来やるべきではないことをしている場合」でもそれにはそれなりの「事情が」あるはずなんですね。理由もなく「自分のことだけを考える利己的なもの」ではないという大前提がそこにあるとしたら、「相手の事情もわかってやる【優しさ】」があってしかるべきではないかと。

もしかしたらオーストラリアってそれで動いているかなと思ったり。日本はよっぽどの理由が無い限り、いや理由があったにしても「他人に迷惑をかけない」ことが最優先されますが、それって「おもいやり」だとは私は思っていなくて「冷たい暗黙のプレッシャー」に感じるのです。「迷惑をかけてはいけない」ってことは「迷惑をかけられたら許さない」ということに繋がるはずですし、これが進むと「自己責任」やまさに「おもいやり」がなくなり、「クレームするのは当然」という考えになるんじゃないかと思うんです。

少なくとも上に書いた2つの事例では、私の感情はそういう風に動いて、「相手の方が悪い」という「大前提」をくずしていないんですね。「謝るべきはこちらじゃなくて、あんただろう?」という思いが強い。

「あんたもこんなことをするんだから、それなりの理由が何かあるんでしょうね」なんてことは考えません。

でももし、皆が平等で、ルールは必ず守るという大前提があった場合、「ルールを破ったものを罰する」のではなくて「ルールを破らなければならないほど大変な事情があるのだろう」「大目に見てやろう」という考え方もアリだろうと思うわけです。でもその発想を日本人は「持っていない」。

オーストラリアにそういう考え方があるのかどうか、私は20数年ここに生活していても良くわかりません。ただ、理解不能なことは過去に何度もあったんですが、この国は(食えない)若者がこそ泥をやる国で、空き巣がかなり多いんですね。私の家も20年の間に5回ほど入られました(もちろんセキュリティシステムは万全でもやられる)が、その「こそ泥」は「恐ろしい強盗」とは違っていて、食うものもなくやむにやまれず空き巣をする若年層の若者が多い。あるいは「遊び」の感覚があるのかわかりませんが、近所に住む子供の可能性も高いぐらい。庭に置いてある「ちょっと変わったもの」なんかすぐに持って行かれてしまいます。(高級住宅街でもそういうことが起きるのだ。笑)

もちろん犯罪は犯罪なんですが、それを容認こそしないものの「しょうがない」と思っているフシがこの国にはあるんですよ。

ですからアメリカみたいにもし自宅に侵入した「こそ泥」を撃ち殺そうものなら大変なことになります。また自宅を取り巻く塀にガラスの破片を仕込んだり、尖ったヤリのような形の金属があったりしますよね。ああいうのってこちらでは私は見た覚えがなくて、もし泥棒が家に侵入しようとした時に、それらで怪我をしたとしたら、家のオーナーが訴えられると聞きました。

また20年ぐらい前ですが、ある老人宅に泥棒が入りまして、その老人は小型の銃を隠し持っていたんですね。オーストラリアは護身用の銃を持つことは許されていませんが、年寄りは昔の流れで持っていることもあるんでしょう。で、その老人は泥棒の足を撃ったんです。

これが大問題になりまして、まぁ銃の不法所持ってこともあるんですが、新聞の1面で取り上げられていました。でも老人も「私が悪い?冗談じゃない。【お茶?コヒー?どっちにする?】と泥棒に言わないとならないのか?」と誌上で反論していました。

ま、それぞれの国にはその国の「文化」や「常識や習慣」があるわけで、それが良いか悪いかは別にして、どうあるべきか考えてみるのは大切ですね。基本は「郷に入れば郷に従え」だと思うし、大半の人はそう思うはずなんですが、でも日本人の「郷に入っては郷に従え」というのは嘘だと思っています。

もし私が、あるいは貴方が「その土地流の行動をとった場合」、絶対に日本人からは文句を言われるんですね。

おもしろいですよね?

これが結構問題になることも多くて、その土地に長く住んでいると良い面も悪い面もそれに慣れてきて、いつの日かそれが当たり前になってくるんですね。ましてやそこに生まれ育った日本人は「日本の常識」を知らないのが当たり前で、大人でも何十年もその土地に住んでいれば「日本人らしさ」はなくなるわけですよ。

ところが「それは認めない」のが日本人社会なのね。ましてやその日本人社会が「来たばかりの人たち」が主流だとしたら「日本そのもの」になるわけです。

で、現地に長い現地化した日本人をバカにしたり、また「日本人なんだからわかっているはず」という感覚を捨てきれないのね。そしてそれを「当然のこと」として表面に出す。

「そんなに日本が良いのなら、日本にいれば良いじゃん」って私は思うのですが、ここはやっぱり微妙で、「地元に慣れ親しんだからと言って日本の文化や常識を忘れて良い」とも思えない。

ま、面倒なことにならないように、「いつもニコニコ」して「周りに気を使い」「余計なことは言わず」現地人の人に対しては「寛容な気持ち」で接するということになるんでしょうが、これもまた「日本を引きずり過ぎたままの日本人的発想。あるいは妥協」だと思うわけです。これって「旅行者」の発想で、決して「住人」ではないんですね。

今日のことも、昔の駐車のことも、「Excuse me」とか「Could you please~~」なんて言えば何の問題も起きないわけですが、それは決して解決でもなければ、文化や常識、習慣を理解したわけでもなく、「問題回避」しただけなんですね。

そういう意味では、私は全くオーストラリアを理解していないし、コテコテの日本人なんだろうと思います。20数年経っても「旅行者」のまま。

この10年ぐらいですか、オーストラリアにも変わった人たちが増えてきまして、たとえばお店のショーウインドウで何かを見ているとするでしょ。すると突然、自分とショーウインドウの中に割り込んでくる人がいたり、手に商品を持って見ていると、グイグイ押されてどかされてしまったり。ヨメさんが衣料品店でやっと見つけた自分に合うサイズのスカートを突然手からもぎ取るように持っていった人がいたり。

そんなオーストラリア風でもなければ日本風でも考えられない人たちが増えてきて、それに遭遇した時には自分はだまっているべきかどうか、そんなことも考えてしまいます。

今日のおばさんみたいに、にらみつけて「えくすきゅーーーずみーーーー」ぐらいのことを言うべきか?自分が住人であるという自覚を持ち、その土地に根付いた文化や常識、習慣を守ろうと思うのなら、言うべき時には言うべきだと思いますもの。

きっとあの親子も「最近増えてきた常識知らずのアジア人に教えるべきことは教えないと大変なことになる」って考えているんでしょうね。

「あんた、何人?」って聞かれなくてよかった。 (笑)

 
 
 

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