私が「プーチンを擁護している」と思う人たちが出てきて困っています

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私は出来る限りプロパガンダに影響されたくないという考え方を持っています。無理な抵抗ですが。(笑)

だから情報は広く集めたいと思うわけで、ロシアのウクライナ侵攻に関しても「プーチンの考え方」も深く知りたいし、そもそもウクライナってどういう土地でどういう歴史を持っているのかも知りたい(これに関しては読者に教えていただいた動画でかなりの事がわかった)

私としては「プーチンは狂っている」としか思えないわけで、どう考えても私の頭では「プーチンの行動に合理性が見えない」のですよ。彼の行動が何を引き起こすか、世界はどう反応するか、母国ロシアのためと思っているとしてもロシアがどういう立場に追い込まれるのか、そして「ウクライナを手中に収めたとしてもそのロシアの利益と世界から締め出される不利益、今まで以上に反ロシア勢力が大きくなる」ことを考え合わせても、私にはプーチンは狂っているとしか思えないわけです。

また侵攻が始まってからのロシア軍の動きって、まるで戦争を知らない国のような、手抜きのような、本当はやる気が無いような、なんだか摩訶不思議なことを感じます。これは「プーチンは簡単に制圧できると考えていた」という一言で世間はまとめようとしていますが、私はプーチンがそんな素人みたいな考え方、あるいは取り巻き連中を含めた作戦本部の情報不足があるとも思えない。

事はそう単純なはずもないだろうし、プーチンは一体何を考えているのかを知りたいし、彼の真意がわからない限り交渉だってやりようがないんじゃないかと思うわけです。

ま、そんなことを考えているので、プーチンのことを知るべきだみたいなことをブログに書きましたところ、まぁそれはそれは「ダボの馬鹿野郎」みたいなメールが来ること来ること。

当然、その人達は西側諸国に住み、西側諸国の価値観を持ち、【西側諸国の情報しか得ていない】のはメールの内容からもわかるのですが、それらを見れば見るほど、問題は深刻だと感じています。

誰がどんな意見を持とうと勝手だし、私を非難するのも勝手。

でもそういう方々に聞きたいことがいくつかあるんですよ。

2003年にアメリカとイギリスが中心になって「イラクが大量破壊兵器を持っている」という理由でイラクに侵攻した時に、それに反対をしたのか?

その戦争が終結した後に「イラクには大量破壊兵器はなかった」という発表に何を思ったのか?

ブッシュやブレアの責任に声を上げたのか?戦争責任があるとは思わなかったのか?(マレーシアは国としてそれに言及し、国内で欠席裁判もし、ブッシュとグレアは戦争犯罪人ということになっている)

そもそもアメリカとイギリスが中心となり動いたけれど、国連はそれを支持することもなく(その前の湾岸戦争時には支持)、「多国籍軍」という有志のみで侵攻した。これだって問題大アリなはずで、これに反対する国も多く、西側諸国が一枚板でもなかったじゃないですか。西側諸国ではフランスとドイツが反対を表明したし、イギリス国内でも反対した閣僚が相次いで辞任。でも日本は小泉首相が大賛成。

それぞれの国にはそれぞれの利権や都合があるのは当然だけれど、意見をまとめることさえもできずに、アメリカ・イギリスを中心にした多国籍軍は侵攻を強行。

さて、貴方はこれをどう思ったのか?

もし貴方が今プーチンに対して腹をたてるのと同じ様に、当時のアメリカやイギリスに「それはおかしいだろうよ」と声を上げたのであるならば、貴方が私を非難するのも受け入れるし、もし議論を望むのであれば何か進展もあるんでしょう。

でももしあの時に「イラク潰しは大賛成」と思い、「フセインが倒された時に\(^o^)/と思った」のであれば、貴方は「ただ感情的に、そして一方的に世の中を見ているだけ」だと私は断定したいし、そういう人に非難されたくはないのです。

またアフリカの星と言われていた、しかし「独裁者」でもあったリビアのカダフィーが殺害された時に何を思ったのかも聞いてみたい。

サダム・フセインに関しては「そもそも隣国のクェートに侵略したじゃないか」という意見もあると思いますが、何十万人もの兵士や大量の戦車や戦争用車両がクェートの国境に集結したのは、砂漠でもあることから監視衛星で見ればすぐに何が起きるのかは簡単にわかったこと。

でもその時点では西側諸国は動かずに、イラクがクェートに侵攻した瞬間、「青天の霹靂、一大事が起きた」みたいに騒いだ世界に疑問は持たなかったのですか?とも聞きたい。(アメリカはイラクのクェート侵攻には目をつぶるという約束があったという情報もある)(クェートはまさか侵攻するとは考えていなかったのか防衛体制も組んでいなかった。これと今回のウクライナと似ていると感じます)

私にメールをくれた方々は是非、これらの私の疑問に答えていただきたい。教えて下さい。

ところで今の私は「ネオナチ」に興味を持っています。

プーチンの話では「ネオナチはキーワード」ですし、実際にウクライナの歴史の中ではネオナチの存在は無視できないし、「フェイクニュースだ」と言われるけれど、実際にウクライナ東部でロシア系住民が殺戮されたのは事実、そして戦闘状態だったのも明らか。

最近良くテレビやネットの番組に出てくるウクライナ青年も「それはフェイクニュースだ」と断定するのに違和感を感じています。【そもそも見た目も言語も同じの「ロシア系住民」を攻撃するのは不可能だ】という理屈まで言う。私はその説明を聞いた時に、彼の浅はかさ(?)を感じたぐらいです。でも世間は彼の言うことが真実だと喧伝する。

メディアを見ていると「ネオナチ関連のニュースは無い」のが不思議。そういう勢力は存在しないような前提で動いている。これって「ネオナチの存在をどうしても隠したい勢力が存在する」としか思えないわけです。(たまに「アゾフ大隊」の情報はでてくるけれど)

ウクライナにしてみるとネオナチは「獅子身中の虫」みたいな存在で、ここに注目するとプーチンを利することになるんじゃないかと私は疑っているわけで、ウクライナ東部で続いていた戦闘もなかったことにしたいのはなぜなんでしょうか。

ま、ジジーでアホの私が理解できるようなことじゃないと思いますが、私は「西側諸国では指導者を選ぶのは国民の権利であり義務」だと信じたいわけで、「庶民はプロパガンダで洗脳しておけばオッケイ」みたいな風潮にどうしても反発したいのです。

民主主義なるものは単なる幻想でしか無く、私達は何もわからない、理解も出来ない猿と同じなんでしょうか。「民主主義とは、洗脳によって庶民をコントロールし、庶民が主役であると信じさせる統治方法」としか近年は考えていませんが・・。でもそれは統治者が悪いのではなくて、私達庶民に民主主義を貫くだけの【素養がない】ということなんだろうとも思っています。どうあがいても無駄か・・・。

強い方に着く事大主義しか、私達が選べる生き方ってないのを私はどうしても認めたくないんですよ。でもそれって太陽が東から上るのに反発しているのと同じような気がしないでもないのですが・・。

自分はどうしようもないバカなんだろうという自覚もあります。(笑)

ああ、違和感を感じるという点では、「橋下徹氏」や「テリー伊藤氏」の【ウクライナは降伏するべき】という発言には驚きました。これって余計なお世話で、「死を覚悟してでも大事なものを守りたい」と思う人は世の中に少なくないし、また逆に「自分が生きることが全てに優先する」と考える人がいるのもわかる。

でもそれを選ぶのは個人の権利、自由であって、「それはやめろ」って言う権利が誰にあるんですかね。

それを言う櫻井よしこ氏に「貴方はウクライナ人が死ぬことを容認するんですか?」と反論する橋下氏。

警察官、消防士、あるいは自衛隊、軍隊の中でもに「ここはちょっとヤバいけれど、命を賭けてもやるしかないな」と判断するケースはあるわけで、私はその覚悟を尊重することはあっても「無駄なことはするな」というなんて信じられないんですよ。

「お前に言われなくても、絶対にやばいと思ったら逃げるなり降伏しますよ」ってこともあるはずで、でもそれを選ぶのはやっぱりその個人で、橋本氏やテリー伊藤氏が口をだすべきことじゃない。

福島第一原子力発電所事故の時に死を覚悟してその場に残った(約)50人の話は有名ですが、橋下氏やテリー伊藤氏が責任者だったら「さっさと逃げろ」と言ったのだろうか。言わなくても基本的な考えは皆に伝わるわけで、「命を賭けてでも残って対処するべきかどうか」と思う人達の気持ちを簡単に砕いたかもしれない。私は現場で指揮をしてた吉田所長は日本を救った英雄だと思っているのですが、死をも覚悟して原発を守ろうとした人たちには尊敬の念しかありません。

実は私は第2次世界大戦時の日本の「特攻隊」にも頭が下がる思いを持っています。彼らを否定するなんて考えは一切ありません。でもそれだけに「特攻を命じた上層部」には半端じゃない怒りを感じています。無駄なのがわかるようになっても強行したのは絶対に許せない。なおかつ戦後、のぉのぉと自分は生きていたなんて・・。

私は橋下氏を買っている部分がかなりあったのですが、あの発言で一切魅力を感じなくなりました。やっぱり「自分の意見を押し付けたいだけの人」という印象を持ちました。またテリー伊藤氏は「生き延びれば、ウクライナがロシアに取られてもいつか取り返すチャンスも来る」と。この人は「世界史を学んだことがない」と思ったし、「北方領土や竹島」でさえ取り戻せない現実をなんと思っているのか。

私は「命は大事にするべき」だと思いますが、自分の命に関しては「自分の命以上に大切なものがある」と思える自分で良かったと思っています。その原点ですが、子供のスヤスヤと寝る姿を見た時に、「俺はこいつのために俺の人生と命をかけよう」と思った時でした。そしてそう思う自分に驚いたのと当時に「喜び」を感じました。

ヨメさんとそんな話をした時に、「あんた、当たり前でしょ。馬鹿じゃないの?」と言われたのを思い出します。

実はヨメさんに対しても子供に思うそれを感じているのですが、その大きさ強さはまるで違う。でもそのことはヨメさんには言わない。言えば「私も」というに決まっているし。(笑)

ついでに私がどれほどおかしなやつかも書いておきましょうか。

日本そのものに関してです。

私は最近、日本に関しては文句ばかり書いていますが、もし日本に国家存亡の危機が訪れて、私でもそれに対して出来ることがあれば馳せ参じようと思っています。こんなジジーに何が出来るわけもなく、足手まといになるだけなのはわかりきっていますが、海外から祖国日本の滅亡を見ているわけにはいきません。

かつては「そういう危機があっても、海外に生き残って日本の再建に尽力すべき」という考え方を持っていましたが、歳をとったんでしょうか。日本の国家存亡の時に自分の命を賭けるのは「自分にとって最高の死に場所だ」と考えるようになりました。私にとって日本とは「私自身」なんですね。私は日本であり、日本は私でもある。

でも子どもたちや他人にその考えを押し付けようなんて気は全く無いし、それどころか「俺が行くからお前達は生き延びろ」という感覚。

こういう自分の中の変化も面白いと思っています。若い頃はたとえどんな環境になろうと、日本が共産主義になろうと他国に支配されようと、自分は絶対にその中で生き抜くと固く信じていたのに。

死生観、価値観って結構変わるんですね。でも何がキッカケで変わったのかは自分でもよくわからず。単に「死ぬときが見えてきた歳になったからかな」とは思っていますが。

来週、私は69歳になります。あ~~、やだやだ。

 

 

 

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