新年、明けまして御目出度う御座います。
と、毎年、正月にはいう決まり文句を言ってみるわけですが、これって「言霊(ことだま)」なんでしょうね~。
何が一体お目出度いのだろうなんて思うけれど、一つの区切りが終わって、また新たな一年が始まる時、それを迎えられたことそのものが「お目出度いことなんだ」と歳を取ってくるとよく分かる。
朝起きると「おはようございます」と言い、寝る時には「お休みなさい」という。出会った時には「こんにちは」といい、分かれる時には「さようなら」あるいは「またね」という。
そういう区切り、始まりと終わりを意識して「リセットをする」ということが重要で、「過ぎたことには感謝」をし、「新しい始まりを迎えられたことには感謝する」ということなんでしょう。
「日の出」には感じるものがあるし、「日が沈む時」にもまた違う感じがあるし、それが「繰り返される」事自体が素晴らしいことで、朝起きれば「今日も頑張ろう」と思うし、それの大きなものが「元旦」で、「初日の出」にはなぜか「感謝の念」が湧いてくるし、「古いこだわりは感謝をしつつそれを捨てて、新たな気持ちで生きていこう」と強い気持ちが現れる。
それが起きることが「有り難いこと」で、「御目出度うとその時を皆で確認して祝う」ってことなんだろうと思ったり。
ただフト思ったことは、なんで一年の始まりは「1月1日なのか」ということ。誰がこの日を1月1日と決めたのか、私はそれを知らなかったことに気がついた。(笑)
また新暦と旧暦なるものがあり、きっと「旧暦を使う時代」のほうが遥かに長く、歴史から考えれば「新暦をつかうようになったのはつい最近」と言えるかもしれない。
誰がそれを決めたんだ?そもそもの起点となる1月1日をどう決めたのか。
AIに聞いてみるとこんな答え。
旧暦と新暦の最大の違いは、基準が「月(月の満ち欠け)」か「太陽(季節の移り変わり)」かという点です。新暦(太陽暦)が太陽の動きを基準に1年を365日とするのに対し、旧暦(太陰太陽暦)は月の動きを基準とするため1年が約354日と短く、約3年に一度「閏月(うるう月)」を入れて季節とのズレを調整していました。このズレにより、旧暦の行事は新暦より約1ヶ月遅れ、お盆や七夕などが8月になるのはそのためです。
新暦(グレゴリオ暦)
基準: 太陽の運行(地球が太陽を一周する時間)。
1年の長さ: 365日(うるう年は366日)。
特徴: 季節と暦がほぼ一致。世界標準の暦。
日本での導入: 明治6年(1873年)から。旧暦(太陰太陽暦・天保暦)
基準: 月の満ち欠け(朔望月)を基準としつつ太陽も考慮。
1年の長さ: 約354日(12ヶ月)。
特徴: 1年で約11日ずれるため、約3年に一度「閏月」を設け、13ヶ月の年を作って調整する。
季節とのズレ: 季節より約1ヶ月ほど前倒しに見える(例: 旧暦の7月7日は新暦の8月頃)。ズレが生じる例
お盆: 旧暦の7月15日に行う地域では、新暦では8月頃になる。
七夕: 旧暦の7月7日(新暦では8月7日前後)の方が天の川が見えやすい。
旧正月: 旧暦の1月1日(新暦では1月21日~2月20日頃)。
まとめ
新暦は太陽の動きに合わせた「自然の暦」で、旧暦は月の動きと季節を調和させた「人工的な暦」であり、明治時代に近代化の一環として新暦へ移行しました。
いやいや、私が知りたいのはそれじゃなくて、【どうやって365日の中のある日を1月1日と決めたのか】ってこと。
これを調べてみるとAIはこういう。
1月1日を年の始まりとしたのは、古代ローマのユリウス暦導入時(紀元前46年頃)に、軍事的な都合や「物事の始まりの神ヤヌス」に由来して、元日(年始)が1月1日に定められ、それがキリスト教圏を経て、現在のグレゴリオ暦として世界に広まったためです。天文学的な節目(冬至など)が直接の理由ではなく、歴史的な経緯と文化的な慣習が合わさって現在の形になりました。
この辺を掘り下げて調べると、色々と話しは続くのだけれど、なんだか「勝手な都合で1月1日を決めただけ」で大した意味はないと思った。それもその発祥はヨーロッパであって、じゃぁ「日本はどうだったのか」と調べてみても、なんだか納得がいかない。
とにかくまとめるとこういう感じで、1月1日の有難みは???な感じがする。
・旧暦の1月1日: 月の始まり(新月)で、季節に合うように閏月で調整された、移動する日付。
・新暦の1月1日: 太陽の運行に基づき固定された日付(1月1日)。
・日本の現在: 明治の改暦により、太陽暦の1月1日(元日)を正式な新年としています
これは去年の暮れから考えていて、本来の「その年の始まりは【冬至とするべき】ではないか】と思っていました。
地球が太陽の周りをぐるぐる回るから365日という長さが設定されたわけで、「ではどの時点を始まりとするか」となれば、私は「地球が太陽から一番遠ざかる冬至を起点とする」のが理にかなっているんじゃないかと思う。
ところが、地球が太陽の周りを回るのに掛かる日数、時間は「ぴったり365日ではない」ことから、冬至は日にちも時間も毎年ズレる事が起きて、これは現代社会において非常に都合が悪い。だから今の暦が使われるわけだけれど、それって「人間の都合」でしかない。
でも「1年の始まりと終わりを重視する」としたら、私はやっぱり「冬至が一番重要」なのではないかと思う。
この辺を調べていくと、古代人は「宇宙の決まり事を重視していた」のがわかるし、【1年の始まり、区切りは冬至だった】のがわかってきた。と同時にそこから計算して、非常に重要な「農業のスケジュール」を計算していた。
古代の多くの文明において、冬至は「一年の始まり」と考えられていました。
最大の理由は、冬至が「一年で最も昼が短く、夜が長い日」であり、この日を境に再び日が伸び始めることから、太陽が力を取り戻す「再生」や「復活」の象徴とされたためです。古代における主な背景は以下の通りです。1. 古代中国:暦の基準
古代中国では、冬至は二十四節気の中で最も早く確立された重要な節目でした。
一陽来復: 陰が極まって「陽」の気が戻ってくる日(一陽来復)として、一年の起点とされました。
亜年(あねん): 「新年に次ぐ大事な日」という意味で、かつては冬至を祝う「冬至節」が現在の正月(春節)と同じくらい盛大に祝われていました。2. 西洋:太陽の誕生日
古代ローマや北欧などの文化圏でも、冬至は重要な節目でした。
不敗太陽の誕生日: 古代ローマでは、冬至の時期に「太陽神の誕生」を祝う祭礼が行われていました。
現在の1月1日との関係: 紀元前45年にユリウス暦が導入された際、冬至の直後の新月付近が1月1日に設定されました。本来は冬至そのものを元旦とする案もありましたが、天文学的な調整により数日のずれが生じたまま定着したと言われています。
クリスマスの起源: キリスト教が広まる過程で、この「太陽の復活祭」の風習がイエス・キリストの降誕祭(クリスマス)と結びついたと考えられています。3. 日本:運気の切り替わり
日本でも、冬至は「運が上昇し始める日」として大切にされてきました。
「冬至」を「湯治(とうじ)」にかけ、柚子湯に入って身を清め、一年の健康と幸運を祈る習慣が今も残っています。新嘗祭(にいなめさい)が冬至の時期に行われ、新穀を神に供え太陽の恵みに感謝した。このように、科学的な知識が限られていた古代の人々にとって、目に見えて太陽の光が戻り始める冬至は、新しいサイクルが始まる「真の元旦」として世界中で意識されていました。
古代から「冬至」は非常に重要視されたのはわかるし、【古代の遺跡】を見ると、【冬至の日がわかるように建設されていた】のもわかってきて、現代の私達でも「年の移り変わり」「新たな出発」とは【再生】という意味でもあって、それはまさに【冬至である】と考えるのが妥当のような気がします。
人間の都合で「暦」が作られたのは間違いがなくて、「その日に神仏に手を合わす」ってこれもおかしなもんだと思う。
「宗教なんてそんなもんだ」と考える人が多いのはわかりますが、私は「宇宙の摂理は重要」と考えるタイプで「神仏」「宗教」も決して軽視はしません。でも自分は特定の宗教に関わることはしていませんが、「現代の1月1日には全く意味がない」と考えたくなるし、「自分の身も心も整えて新たな一年を迎える」とするなら【冬至を重視すべき】という考え方に変わってきました。
それが一般的ではないなんてことはわかった上で「私は大自然の法則を重視したい」と考えます。そこから「私達の歴史、神仏も宗教も始まった」のですから。
ということで、実は去年、2025年の12月22日00:03分(日本時間)が2025年の冬至で、私はその時に「真面目に、厳粛な気持ちで、(見えない何かに対して)感謝と新たな新年の平和、平穏、幸せを祈る」ことをしました。
だから本日1月1日は、人類がある日ある時、都合上決めたことでしかないと思い、でもま、上に書いたことを人に話すこともなく、「私、個人の問題」として、2025年の12月22日00:03分12月21日の冬至の日を【新年】と位置づけ、一人で手を合わせ、正月を迎えました。
馬鹿みたいと思う方も多いと思いますが、古代遺跡に興味がある方は「多くの建築物は冬至を非常に重要視して建てられている」ことを知って驚くはず。
冬至(一年で最も日が短い日)の太陽の動きに合わせて設計された、世界の代表的な古代建造物や遺跡。ヨーロッパ・地中海地域
- ストーンヘンジ(イギリス): 冬至の夕日が、巨大な三石塔(トリリトン)の間に沈むように配置されています。
- ニューグレンジ(アイルランド): 紀元前3200年頃の墳墓。冬至の日の出の光が、入り口上の小さな窓から通路を通って奥の玄室を照らします。
- メイズハウ(スコットランド): オークニー諸島の墳墓。冬至の夕日が通路を通り、奥の壁を照らす設計です。
- ゴーゼック・サークル(ドイツ): 紀元前4900年頃の最古級の天文台。冬至の日の出と日没の方向に門が開いています。
- ハジャー・イム神殿(マルタ): 冬至の日の出の光が神殿内の祭壇を照らします。
- ラ・ロシュ・オー・フェ(フランス): ブルターニュ地方のドルメン。冬至の日の出の光が通路の奥まで届きます。
- カニッシュの立石(スコットランド): 冬至前後の太陽の軌跡と一致する配置が見られます。
エジプト・中近東
- カルナック神殿(エジプト): ルクソールにある巨大神殿。冬至の日の出の光が、主参道の中心軸を通って至聖所を照らします。
- アブ・シンベル神殿(エジプト): 年に2回、太陽の光が奥の像を照らすことで有名ですが、その設計思想は冬至などの太陽周期に基づいています。
- ペトラ(ヨルダン): 岩壁を削って作られた「エド・ディル(修道院)」などは、冬至の夕日の光が特定の場所を照らすよう設計されています。
アメリカ大陸
- マチュピチュ(ペルー): 「太陽の神殿」の窓は、南半球の冬至(6月)の日の出を捉える位置にあります。
- チチェン・イッツァ(メキシコ): エル・カスティーヨ(ピラミッド)は、冬至の時期に太陽の光と影が特殊なパターンを描きます。
- チャコ・キャニオン(アメリカ): プエブロ族の遺跡。太陽の光が岩の隙間を通る「サン・ダガー」で冬至を記録していました。
- カホキア(アメリカ): 「ウッドヘンジ」と呼ばれる木の柱の列が、冬至の日の出の方向を示しています。
- チャンキーヨ(ペルー): 13基の塔が並ぶ天文観測所で、冬至と夏至の日没地点を正確に示します。
アジア・オセアニア
- アンコール・ワット(カンボジア): 寺院の配置や塔の影が、冬至や夏至の太陽の動きと密接に関係しています。
- ウーディ・ユアング(オーストラリア): 先住民族が作った石の配列。冬至の日没地点を示す石が置かれています。
- ジャンタル・マンタル(インド): 18世紀の天文観測施設ですが、冬至などの太陽の位置を正確に測る巨大な計測器があります。
- 三内丸山遺跡(日本): 大型掘立柱建物跡の柱穴が、冬至の日没方向を意識して配置されているという説があります。
- 身延山(日本): 山梨県の「シン・ドウノヘヤ」などの遺構が冬至の日の出と関連している可能性が研究されています。
世界各地になぜか同じような「オベリスク」が建てられていますが、あれは一体何のために作られたのでしょうか。権力者が権力を誇示するためとか、芸術的に意味があるとか、私はそれが理由だとは思えない。
私は、昔の人類は「冬至を年の始めとする重要な日」と決めて過ごしていたはずで、高いオベリスクには「長くて大きな影が出来る」わけで、「毎日の太陽が一番高い位置(その日の一番短い影)」を計測し、その中で一番長い日が冬至となるわけで「その影の伸び具合は誰にでも見て確認することが出来る」し、【1年の始まりである冬至の日が全ての人が確認できるためのもの】であったのは間違いないと思っています。
当然、「日時計」としての役割もあったんでしょう。
どちらにしても「一つの区切り」であるわけですが、さてさて、「今年はどんな風に過ごす予定」でしょうか。
私としては「世界は波乱の時代に入った」と思っていますし、「まさかの事も起きるであろう」ことを想像しています。でも自分にそれを止めることは出来ず、その中で「安泰に生きる」のも難しいかもしれない。
かといって「大きな波に飲まれて翻弄されたくはない」のは私も家族も皆同じことですし、まずは家長である私としては「今年は飛躍の年とする」つもりでいます。
生活としては「大きな変化を作ろう」とは思っておらず、「備えあれば憂いなし」であるのとともに、「どうしても私の人生で成し遂げたいこと」を諦めることは出来ずに「たとえ一歩でも前進したい」と考えていますし、まず今年は「デイトレ、短期売買の取引を3倍~5倍」にまで持っていこうと考えています。
これって小心者には非常に難しいことで、「人の器」ってやっぱりあると思ってはいますが、「できるだけ無理をせずに、でも恐れずにトライしよう」と考えています。
きっと「自分の夢を諦めずに、それをしっかり見つめる」ことで、困難を乗り越えられるかもしれないと思っています。
皆様にとっても、良い年でありますように・・・・。
m(_ _)m








