年寄りだけの生活

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息子達二人の就職もどうにか決まってとりあえず肩の荷が下りた感じはするものの、この脱力感というか、虚無感というか、目標がなくなってしまったような思いとどう付き合っていくべきかがわかりません。

また、ヨメサンと二人だけのこれからの生活を考えると、性格も趣味もまるで違うし、決して仲が良いとは言えない(他人様は仲が良いねぇとは言うものの)二人でこれからどうしたらいいのかわからず途方に暮れている感じ。

これは誰しもが通る道なのでしょうが、子供命で子供のことばかり考えて生きてきた私としては、自分が生まれ変わらなければならないほどの転機が来た様に思えます。

今まで自分の夢を押さえつけ、我慢し、働いてきた人たちには退職と子育ての終わりって半端じゃない開放感があるのだろうと思うけれど、子供中心とは言いつつやりたい放題の人生を歩んできた私には、開放感、達成感なるものは全くなし。

趣味は広くあれもこれもやりたいことはあるんだけれど、所詮趣味で、どうしてもやり遂げたいほどのこだわりは無い。大好きだったゴルフ、釣りも同じだった。ゴールドコーストに来てから気が狂ったように没頭したものの、ある時期を過ぎたら飽きてしまった。やっぱり忙しい時間をやりくりしてやっと手に入れる楽しみだから遊びも趣味も満足感があるわけで、好きなだけやれる余裕があると満足感が徐々に無くなっていくような、そしてどうでもいいような感じになってしまう。

どうしてもやりたいことは正直なところ、無い。

でもやったほうが良いであろうことは、有る。

自由を求めて生きていたいと若い頃から思い続けてそれを追い求めてきたのだけれど、結局自由になって何をしたいの?という一番大事なところが抜けている。間抜けだわ。

まぁ、自由であることそのものが重要なのだと屁理屈を言ってみても、それで納得できるわけもなく、でもやりたいことはなくてもやったほうが良いと思うことはあるのなら、それをやるべきだと話は展開してしまう。

あああるべき、こうあるべき、そもそもそういう自分の中にある考え方が自分を縛り付ける元凶であって、これからの開放が自由の正体、最終形態であって、環境に縛られているから自由がないというのは錯覚のような気がします。

マレーシアに行くのは決定事項で変更はないのだけれど、マレーシアに行ってどうなるんでしょうね。

ま、感じるがまま、そして風の吹くまま流されてみるしかないか・・・・・

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