就職経験が無く自営業をするリスクを息子ととことん話してみた

NO IMAGE
古いエントリーが表示されているかもしれないので、是非、「投稿日」を確認してください

昨日は息子と二人で飲みに出かけました。今後の間近のスケジュールを話し合うのが主目的でしたが、私は息子にどうしても話したいことがあったのです。

息子はダボ家の跡取りとしてこれから一緒にやって行くことになりましたが、私はかなり大きな不安を持っています。それは息子はまともに就職したこともなく、知識も経験もかなり限定的だということ。これで大丈夫なのか?

商店とか職人は、とりあえず今までやってきたことを学ぶのが最初の最初ですが、ダボ家の場合はそういうしっかりしたものがあるわけじゃなくて、いかに市場を相手にして利益を出し、それを運用してさらに大きくするかということでしかなくて、その方法や考え方っていろいろあるんですね。これじゃなければならないとか、こうあるべきなんてこともない。

これって個人の素養とか性格に大きく関係してきますから、職人がその技を伝えるというのとは違う難しさがある。

私としては息子を見ながら、彼に合うような方法を一緒に探してやっていこうと思っているわけですが、最近、結構大きな障害があるのに気がついたんです。

彼には彼の考え方があるってこと。

それはアタリマエのことですが、細かいところを見ていきますとやっぱり頓珍漢なところ、理想論の部分がかなりあって、「それじゃダメなんだよ」というのが伝わらない。

これは企業でも商店でも職人の世界でもそうですが、「お前がどう考えようと勝手だが、今はこうしろ」という押し付けは必ずあるじゃないですか。本人はその時点では理解できなくて「面白く無いなぁ」と思いつつそれに従って、ある日ある時、こういうことだったのか・・というのがわかる。

私は人間が育つってそういうことだと思っていて、自分がやりたいようにやればどうにかなるほど世間は甘くない。これは私自身がイヤってほど経験してきたことで、寝ずに考え計画を練ったところで、実務、実社会の経験がほとんどない若者がそれでうまくいくなんてことはまず無い、というのが私の過去。

だから失敗を繰り返しながら学ぶしかないのですが、これはチャレンジャーとしてはアタリマエのことですが、生き残りの難しさはかなり大きいというのが私の結論であって、スポーツのトレーニングもそうですが、自分が勝手に考えたやりかたで高みを目指すのも良いですが、理論的にも裏付けのある「基本中の基本」ってあるじゃないですか。それなくしてやりたいことやりたいように続けても無駄だと思うわけです。

私はまずそれを教えないとならないわけですが、親子関係って主従関係じゃないんですね。だから「ああしろこうしろ」という事ができない。息子は「俺は違うと思うよ」なんてことを平気で言う。これって新入社員が社長に向かって、「そのやり方はダメです」というのと似ていて「お前に何がわかるんだ」と思うわけです。

それを放置しているとどうなるか。いつになっても伝えたいものを伝えることは出来ず、ただ若者は「理論派」であるのは間違いがなく、しかしそれは実務経験の裏付けがない怪しいものなわけで「理屈で勝って仕事で負ける」ことが起きるんですね。

この危険を我々親子は直視しないとならないと、その話を息子にしたわけです。

これは息子自身も感じていたことでもあった様で、基本的な考え方に一致はあるものの、どうやってやって行くのかの日常でどうするべきかは結論が出ません。私がああしろこうしろと言うべきではないし、息子は息子のやりたいようにやるようじゃうまくない。その折衷案を決めることも出来ない。

まず基本的な生活習慣に関しても、彼はやっぱり中身はオーストラリア人なんですね。非常に個を大事にしますし、それがアタリマエだと思っている。つまり普通の日本人が持っている「あるべき姿への拘り」がないんですよ。【私が知っている】オーストラリア人って「なんでもできる人」は多いですが、日本人的な「職人気質」は希薄だと私は見ていて、非常に大雑把。「これで何が問題なの?」「俺はこれで良いと思うよ」ということが多く、見方によっては向上心が足りないと感じることがある。自分の価値観を最優先するんですね。

オーストラリアで育った息子にもそれを感じるのです。

日本人って相手を立てるじゃないですか。また仕事でも上司や客に対して、「言われなくても満足してもらえるように【先回り】して考える」のが普通。この先回りして準備をするという感覚が希薄で「言われたことはやる」のがうまくてもダメなんですね。常に先回りをするのが習慣ずくと、自分の中には「問答集」ができあがりますよね。そして多くの想定をしてその解決策を考えるという習慣が身につく。「俺はこれでいいよと思うよ」というレベルは日本では認められない。

だから日本人社会では「後はよろしくお願いします」「はいわかりました」という流れが多いですが、これって外人には通じないんですね。こういう言い方をすると、相手は自分が良いと思うことを自分流にやるだけ。こちらが何を望んでいるかの深読みは出来ない。海外で「全くこいつら・・」と思うことが多いのはそういうことだと思っています。また日本でも「出来ない奴」にこういうタイプは多い。

そういう意味で、私には息子が「(日本流で言う)出来ない奴」に見えるんですよ。自分の価値観を大切にしすぎる。

やっぱり日本での就職を止めさせたのは失敗だったか・・と思うのですが、でも面白いのは彼と一緒に日本の会社に就職する予定だった、あるいは先に就職した友人たちの話を聞きますと、やっぱり日本企業ではうまくいかないのか、それとも外国育ちらしく「キャリアを積む一つの通過点」としか考えていないのか、もうほぼ全員がすでに転職してしまっています。

たった1,2年、いや数ヶ月でも日本式の仕事の仕方を見て彼らは何を学んだのか、それが気になります。

私がなぜ息子の就職を止めさせたかというと、仕事って1,2年すればばっちりその道のプロになるわけでもなくて、やっぱり3年って一つの目安で、どうにか仕事に追い回されること無く、自分で仕事を管理できるようになりますよね。でもそれは「幼稚園を卒業」したようなものでしかなくて、仕事のなんたるかを知るには、更に3年、5年と掛かって、もちろん経営者サイドに立つ経験もなければ、何もわかっていないのと同じじゃないですか。

つまり最低でも10年は経たないと何も見えてこないのと同じだと私は考えています。でもダボ家にはその時間がなかった。

それでもたった数ヶ月でも実社会の厳しさを体験させるべきだったと、ちょっと反省はしていますが、今から後悔してもしょうがなく、「お前にはそういう誰しもがもつ経験さえない。引き締めてかからないと大変なことになる」と息子と話をしたわけです。もちろんそれは息子も自覚はしているのですが、それが現実的にどういう形で出て来るのかはわからず。

私もサラリーマンの経験はないと言いつつ、全く無いわけではなくて、私の特殊技術(?)を使って違う販売方法にチャレンジしたいと考えた宝石卸業の会社に入ったことがあります。だから一兵卒として就職したのではないのですが、正直それが私にとっての初めての就職で、学ぶことは本当に多かった。「暗黙の了解」ってのがあるんですね。それは仕事の進め方であったり、企業理念であったり、それがわからないと仕事が進まない、出来ない。

逆に「こんなヌルいやり方なのか」と思うところもあったのですが、この就職経験はやっぱりするべき体験でした。その会社の前身は古い体質の不動産開発業で、営業社員は毎日外に出て一件ずつ一般家庭を回って不動産を売るなんて、とんでもなく恐ろしい(笑)やりかたで基盤を作った会社。それが基本にありますから「理屈を言う前に身体を動かせ」という約束があるんですね。私なんか「動く前に徹底的に作戦を練る」タイプでしたから、本当に面食らいましたし、ぶつかり合うことも多かった。

私は「当たって砕けろ」という考え方には否定的で、それは一兵卒に向かって言う言葉であって、経営陣がそれを言ったらバカとしか思えないわけです。でもダメだと思ったことでもやってみるとどうにかなることが多々あるのを経験させられたのは良かった。でもその会社は結局「当たって砕けろ」のスローガン通り、砕けた。(笑)

そういう経験も全く無い息子に、私は一体何を教え、伝えることが出来るんですかね。

「俺はこう思う」「こうしたい」という考え方が非常に強い人間に対して、どう対処するべきかの経験が私には無いわけです。「ま、とにかく騙されたと思って私の言うとおりにやってみろ」ぐらいのことしか私には言えない。でもそう言っても彼がそうするかどうかもわからない。

ゴールドコーストで中小企業をやってきた中で私がわかったことは「トップダウン」で仕事は動くってこと。ある意味、軍隊みたいだと思ったこともあって、「指示を出すと指示通りに動く」んですわ。これはこれで非常に楽なんですが、「どうしたら良いと思う?」と聞くと結構頓珍漢なことをいうケースが多くて、「任せることは不可能」といつも思っていました。ま、そういうスタッフしかいなかったということでもあるんでしょうが、考え方、価値観も大きく違う中で、「日本的な相手に気を使った仕事」を期待しても無理だと思っています。

日本は会議が多い社会だと悪く言う人も多いですが、私に言わせると「会議で意見を聞く価値がある社員が多い」ってことでもあると思っています。多くの日本人は「経営者的思考方法」を持っていると私は思っていて、また会議をすることによって「決定に関与する」事ができて、より経営者的思考が強化される。これって非常に大事だと思っていて、「一人で決断できない」というマイナス面は確かにあるんでしょうが、でも彼の仕事を監視すること無く、任せることが出来るんですね。

「後はよろしく頼む」「はいわかりました」が成立する。

息子との話し合いの中で出た一つの結論として息子が言ったことは「オヤジの背中を見せて欲しい」ってこと。

これしかないんでしょうね。

話の中で日本の有名な老舗中の老舗である「原了郭」という香煎や薬味の有名な店の例を出しました。この店がテレビで紹介されたのは我々は見ていて、あの店には独特な「技術の伝承方法」があるんですね。後継者は一人だけで「一子相伝」の店。親は後継者を決めたら「彼にだけ仕事場への入出を許可し、仕事を見せる」。これだけなんですね。一言も言葉を発することはなく、あれはこうして・・なんてことも一切教えない。延々と続く作業を後継者は隣りに座って見ているだけ。「お前、やってみろ」も言わない。

これは極端な例ですが、これが「伝承の本質」なんだろうと。ま、普通の会社も同じで、上司にくっついて動くうちにいろいろ覚えていくはず。「教わる」じゃなくて「盗む」が基本ですよね。

でも私みたいに、師匠らしい師匠もおらず、全て自分で開拓してきた者に言わせると、「やるぞ!」「絶対に負けない」「絶対に諦めない」という強い意志が基本にないとどうにもならないと思うわけで、まだ息子にはそういう姿勢を感じることができていない状態。教えてくれることを覚えたらどうにかなると思っている様子。

いや、そんな簡単ではないことは自覚があるようですが、まだまだ甘いんですね。

前途多難か・・・なんて思うこともしばしば。

でもテレビで所さんの番組を見たんですよ。アメリカ人が日本の「刃物職人」の弟子になり、なんと長い修業の末、彼は10何代続いたその職人の後継者になったんですね。それこそ刀の「村正」ではないですが、ああいう伝統、技術を受け継いで第十七代目だったかな、それを名乗ってアメリカに帰った(日本ではその家は終わったってこと)。そしてアメリカで日本の刃物技術を広げようとしている。

その動画がユーチューブにあって、先日再び見ましたが、やっぱりあの中に我が家の答えがあるように思いました。

彼はさすがアメリカ人でさっぱりしているんですね。ダメなものはダメだし、やる気が出てくればOKで、そうじゃないものを育てることは出来ないと断言する。またやる気が出るような環境を積極的に作らずして、将来が見えない中で苦行のような修行を黙って何年も続けろと言っても、はいそうですかという若者なんかいないと、後継者に悩む業界人に言う場面がありました。

全く言うとおりで、親が子に・・と思ってもそれは無理ですよね。その無理を通せばどこかにしわ寄せは来るし、技術の伝承なんて出来るわけがない。上に書いた薬味の超老舗の原了郭とて同じで、原了郭という伝統と知名度、そして経済的な裏付けがあるから後継者もやる気がでるはずで、作った薬味を夜店で売るような生活なら、「オヤジ、おれは東京に出てサラリーマンになるぜ」と言うでしょう。(笑)

息子に「オヤジみたいになりたい・・」って思わせなくてはならないわけですが、私がそう思わせることが出来る親かどうかというと大いに疑問。きっと彼は私がプラプラ好きなことをして生活している部分だけを見ているかもしれず(笑)、生きるのは簡単だと思っているかもしれない。水鳥が水の下では一生懸命足を動かしているのに気がついていないかもしれない。

どちらかといえば、私としては、オヤジが出来なかったことを俺が引き継いでどうにかしてやる、みたいな「敵討ち」に似た感情を持って欲しい(笑)。私が息子に望んでいるのは私よりもっともっと高い場所ですし(経済的という意味ではない)。

今は、二人でペアを組んで、人類未踏の山に挑戦しだしたって感じでしょうか。

技術の伝承なんてことはもしかすると関係なくて、彼は彼の技術を得るべきで、同じ夢を見て、絶対にそれを叶えたいという希望を共有することが出来ればそれで十分なのかもしれない。

でも夢や希望を持っていても、死ぬ気でそれの実現に向かうやる気があるのかというと、さすが息子は現代の「ヤワな若者」らしくて、その意気込みは感じられない。(笑)

何か良い手はないものか・・・・

息子を信じるしかないですかね。それでどういう結果が出ようと誰が困るわけでもないし、大企業でもなくて一職人でしかないと考えれば結果を受け入れるしか無いし、ある日ある時、「オヤジ、俺はやっぱり俺のやりたい方向に行きたい」って言うかもしれない。もちろん私はそれを否定しているわけじゃなくて、自分の力で世界のどこででも生きる技術をまずは持って欲しいし、それができれば本当に自分がやりたいことが出来るようになると思うんですよ。

私が考えている世の中って、好きなことは出来ず、とりあえず生きるために頑張らないとならない。でもそれで一生終わってしまう人が大多数で、まして生き残りも簡単じゃない、本当に非情な世界。

だからといって、私みたいな「どうしてその仕事を選んだの?」と聞かれて「儲かるから」なんて答える人生が面白いとは思わないし、でも好きなことをやって食える世の中ではないと思うし、どんな世の中になってもどこの国へ行こうとも「食う技術」があれば失敗を恐れること無く(利益が見込めなくても)心底やりたいことが出来るはずで、そういう意味での自由を息子に持ってもらいたいし、そうなるように全力を尽くしてサポートするのが、彼をこの世に産んだ親の役目であると思うし、それが私の人生目標。平民の逆襲。(笑)

10年後はどうなっているんだろうか・・・・

 
 
 

「にほんブログ村」のランキングに参加しております。是非、応援のクリックをお願いします。

にほんブログ村 海外生活ブログ マレーシア情報へにほんブログ村 海外生活ブログへにほんブログ村 海外生活ブログ ゴールドコースト情報へ