自分の中の女性

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音楽を聴いていると自分は女じゃないかと思うことがあります。これはそっちの気があるということじゃなくて(笑)、自分の中の女性の部分を強く感じるんです。

私の好きな音楽はボーカルです。ジャズは好きだけれど、インストルメンタルじゃなくてボーカルが好き。で、女性ボーカルを聞いている時はその歌の主人公になった気で聞く。男性ボーカルだとそれを歌われている女性の立場で聞く。そんな感じでしょうか。

これってやっぱりそっちの気があるってこと?

感性が女性的?

ま、その辺は良くわからないんですが、自分の中に女性の部分を感じるのは確か。

おかしいかなぁ。

自分は決して男色(この言葉古いねぇ)じゃないという確信があって、男にポーーっとなったこともないし、絶対に女性の方が良いし、実は足フェチで足の綺麗な女性を見るとちゃんとムラムラします。正常でしょ?(笑)

でも音楽を聴いていると女になっちゃうんです。どうしてだろう。こんな事を感じる男は他にいるんだろうか。それとも音楽そのものに私にそう感じさせる何かがあるんだろうか。

歌としてはやっぱり愛の歌が好きだけれど、もしかすると愛って男じゃなくて女性のものなのかなと思ったり。女性の愛、そして女性への愛、常に女性が世界の中心で人類が生きているのかもしれない。そんな気がしないでもないです。そもそも男は女性から生まれたという神話があるし、動物界を見てもオスはメスの為に生きていて、オスは単なるオマケ、メスが生命の中心のような感じがしています。

で、私の中の女性が、これぞ私の歌~~!!って思った曲があるんです。それがこれ。この曲を初めて聞いたときには身震いしたくらいです。柴田淳の「ひとり歩き」っていう曲。片想いの曲です。

 

そしてこの曲。北京語の曲ですが、台湾の江美琪という歌手の「明天愛誰」。これは失恋の曲で、明日は誰を愛するのだろう・・・というような内容。これらの曲を聞くと私の中の女性が強く反応します。

 

ブログって日記だと思っていて、だとするならば自分の本音を書くべきだと思うのだけれど、書けば書くほど、本来なら絶対他人には言えない内容になっていくし、それが恐いような、と同時に面白いような・・・・・・・。書くことによって自分の中にモヤモヤと存在していた物がはっきりしてくるのを何度も感じています。自分自身を発見できるのがブログ。そんな感じ。

今日ここに書いたことはヨメさんにも一度も話したことがないことです。って、誰にも言ったことがないか(笑)。でも本音。

うーーむ、やっぱりあっちの気があるのかなぁ。というのはこの歌ですが、すごーーく良くわかるんですよ。この感性、この気持ちは手に取るようにわかる。中村中の「友達の詩」。これって完全にあっちの世界の歌だもんなぁ。

 

やっぱりやばいのか?その内、目覚めるのかな?(爆)

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