性格によって思想が変わる(その2)

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前の日記に思想は性格に影響を受けるというのを書きましたが、その後、今まで自分が良いと思っていた思想家や言論人を見てみますと、本当に面白い変化が自分に起きたのがわかります。

今まではこの人の言うことは正論だとか、納得できるとか思っていたのが、まるで違うように感じるんですよ。ああ、この人は怒りを抑えているけれど怒っているだけなんだな、とかそういうのを感じます。

普通の馬鹿話ならまだしも、思想とかそれなりに重要な話をするのに、単に感情をぶちまけているだけだなんてことに気がついたら、全く読むのも聞くのも嫌になります。だって、結論は決まっているんですから。自分のその感情をなだめる方向、あるいは満足する方向にしか話は進展しないんですから。自分の都合の悪いことは否定し、気持ちの良い論理だけ集めて一つの思想を作り上げるんですね。でも一見それが良いように見えるわけですよ。一応筋が通っていますから。

でも冷静に見ると、あの問題は隠してるとか、逃げてる、避けてるとか言うのも見えてくるのね。ここで重要なのは、自分もその相手と同じ感情を持っていると、そのまんま全てがすんなり入ってきてしまうってこと。疑問が沸くどころか、凄い!って思う。この人と出会って良かった、こういう論理の組み立てをすれば良いのかなんてのめり込んじゃう。

これは自分のことを書いています。(笑)

馬鹿だよね~~。

どうしてこんな簡単なことに気がつかなかったんでしょうか。

ただ、性格によって思想が変わるとか影響を受けるというのは、その傾向が見えるということであって、また、その性格が見えてくると全く分野が違う話でも、その人は何を是とするであろうかというのも想像できるし、結構当たるのね。でもま、確率的には血液型の性格判断よりは良いにしても、必ず当たるわけじゃない。ま、当たり前だけど。

ただ、性格は別にしても、感情移入がどの程度強いか見るというのは大事なポイントであるのは間違いが無くて、感情が勝っている場合はおのずとその話の結論も決まってくるのね。これはこのブログでいつも書いているロングステイや早期退職もそうだけれど、夢と希望が膨らんで、是非それを手に入れたいと強く願っている場合には、それに関する情報も自分がもっとワクワクするものしか探さなくなる。そんな時に、私みたいのに出会うと、この野郎って思うわけです。貴方はロングステイヤーを馬鹿にしてるとか。

こうなるともう私はどうにもならないんですね。何を言っても駄目。自分のワクワク感を否定するような言動は全て悪なんですから。

まぁ、そう考えてみると、世の中って全てが万事そういう風になっているんじゃないかと思いますわ。ディベートが不得手なのも同じ理由。自分の信じる理屈を否定されると、全人格を否定されたと受け止めて、わけのわからん理屈を、ありとあらゆる理屈を総動員して、振り回して相手の攻撃に向かう。面白いですよね。自分の理屈の正当性を言うんじゃなくて、相手に攻撃を仕掛けるんですから。でもこれが人間の本質なんでしょうね。そして残念だけれどこれが自分を囲んでいる日常でもある。

この人には感情しかないんじゃないかと思う人が我が家に約一名いるんですが、機嫌の悪いときに話をしたら、それがどんな内容だとしても「あんたが悪い」というわけのわからない結論がでます。かと言って機嫌が良いときに話をしても、私に歩み寄ることはありませんので、話が合う話を選んで話すしかなく、聞きたくない話でも聞いてもらわないと困る場合でも私は黙るようになってしまいました。こんなのが夫婦だなんて思いたくありませんが、どうも世の中にはそういう夫婦がかなり多そうですし、無駄な抵抗はしない方が世の中は平和で、好きで結婚したんだからしょうがないと諦めるしかないんでしょうね。

まぁ、外に出ても似たようなもんで、他人様の意見はハイハイと聞いているのが安全保障上、一番良いことになってしまう。これって日本人はすぐに感情的になる傾向があるから、そういう付き合い方になるのだろうと思うのですが、日本ではそれが普通だから、外人に対してもそうしちゃうのね。ハイハイというのが国家安全保障上一番有効であると。(笑)

でも相手はこっちの出方を見てる。言いたいことは言ったから、今度はお前の番だと待っているのに、日本人はニコニコして何も言わない。これじゃぁ、相手にしてみれば無条件降伏か?って思うわけでやりたい放題、言いたい放題が始まるのが当たり前ですよね。そして、ある日あるとき、日本人は「黙っていれば調子に乗りやがって」と切れる。それを見た外人は、日本人って不可解だと思うんでしょう。それを神秘的だと表現する優しい外人もいるわけですが、日本人にしてみると何を神秘的だと言っているのかピンと来ないんですよね。言われれば一応ニヤニヤしますが、日本人は自分を神秘的だなんて全く思っていないから分けがわからない。

そういう意味で、日本文化って私にはわけのわからんことがありまして、日本的な話し合いとか討論とか、そういうのをどうやって進めるべきかわかりませんし、どうすれば日本的なんだろうと気を使いますので非常に疲れます。

でも私はそういう日本的なものは良いとは思っていません。日本人間でも難しいのに、それでどうやって外国人と話が出来るのか?そんなのはまず不可能ですよ。アハハと笑いながら、なんだかわからないけれど、オウ、イエースなんて握手をしながら笑い続けるのが関の山。日本人にとってややこしい話からは逃げるしかない。ま、外人と討論できるようになったら一人前というのはこういうことでもあるのでしょう。

こういう傾向が思想にも出てくるわけで、感情を抑えることができない言論人、文化人、思想家、評論家の話なんか全く聞く価値も無いのがわかります。ましてや我々一般レベルなんて酷いもんで、お互い共通の嫌いな人の話をすると盛り上がる。好きな人の話も盛り上がる。まるでアイドルのファンクラブみたいな話の展開で、これが保守だの、日本人が持つべき戦争観だの、自虐史観は駄目じゃ、事実はこうじゃと話が展開していく。

よく知識人はリベラルが多いといわれますが、それもわかりますわ。両サイドの言い分を理解できるから、ある一方に極端に偏るってことが少ないんでしょう。そして人権を軽視するなんて恐ろしいことはできませんから、どうしても左に寄るし、市民派に近くなる人が多いと思っています。でも保守に知識人がいないって意味じゃないですからね。(笑)

世の中には感情を完全に排除することは出来ないにしても、かなり抑えることが出来る人も当然いて、そういう人との話は面白いのね。相手も自分も、それぞれの存在を乗り越えて話がどんどん広がるし、新しい価値観とか考え方のやり取り、交流ができる。これを収穫というのであって、ファンクラブで盛り上がるのを収穫がありましたとは言わないですもんね。

でもこれもまた感情なんですね。楽しいことをしたいという感情。私みたいに自分の固定観念を壊すのが趣味みたいな奴は、わけのわからんとんでもないことを言い出すような人が最高に面白いし、ダボ、あんたは間違えているよ、と懇々と丁寧に説明してくる人は本当に有難いと思いますもの。でもそれはそういう変なMみたいな趣味を私が持っているから嬉しいのであって、何よりも楽しいのはカルチャーショックを受けることだなんて思っているからであって、相手もそうだろうと思っていろんな考え方、見方を話すとダボは変人、キチガイだと思われるのね。(笑)

今こうやって書いている話も全く同じ反応があるはずで、自分を理知的だと思っている人は、馬鹿言うな、ちゃんと自分をコントロールし、冷静に考えた上で俺はこういう思想を持っているんだと思うんじゃないでしょうか。いや、ダボの言うことにも一理ある、なんて思う人はきっと極々少数派。

感情を横に置いといて話を進めるってのは大事だというのに改めて気がつきましたが、これって益々、みんなに嫌われるようになるんだろうなぁと思っています。世の中は一緒に話をして盛り上がりたいから話をする人が多いですから。

でもま、私に取っては一つの新しい道が開けた、新しい視野を獲得できたのと同じですから、それで我が道を進もうと思っています。

でも学問の世界では感情移入しないのが常識で、私にその面白さが若い頃にわかっていたら全く違う道に行ったかもしれません。うーーむ、そうでもないかな。私が大学へ入ったとき、商学部でしたが、マルクスがすぐに出てきたのにはびっくりしました。あんなものを純真な若者に刷り込まれたら大変なことになりますもんね。マルクスなんかで実社会で飯が食えるか!と思ってまるで勉強しませんでしたが、それで助かったのかも。(笑)

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