最近、一番気に入っていた「和食店」が変わってしまった・・・(T_T)

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このブログに「最近はこの和食店がお気に入り」と何度も書いていた和食店が変わってしまった。つい先日行ってそれを確信。(T_T)

あれれ?と思ったのはその前の1ヶ月ぐらい前に行った時なんですが、メニューが変わって価格も若干高くなっていて、そして「以前と同じもの」を頼んでもイマイチ美味しくないんですよ。量も減っていたし。

お刺身、お寿司、あるいはちらし寿司もそうですが、「魚介類の大きさ」ってやっぱり美味しい美味しくないに大いに関係あると思うんですよ。で、大きさを変えると目立ってしまうから「厚さを変える」ようなこともするんでしょう。

でもそれって見た目ではさほど気が付かなくても、「口に入れた時の満足感」がまるで違うのね。大きな切身でお寿司の握りから大きくはみ出るような切り方が良いってわけじゃないんだけれど、切り身が薄い寿司を食べたら、誰でもあれ?って思うんじゃない?

なおかつ量も減って値段も高くなったら、「とんでもない値上げ」ってことになるんじゃないですかね。

そんなことを前回、感じたのですが、数日前に行ったときには「切り身は厚めに切ってください」とお願いしたら、「(普通の)厚い切り身」ではなくて「消しゴムみたいな長方形の切り身」になっていた。(T_T)

これっておかしいと思わないのかなぁ。

日本人の板前さんがいる店ですが、きっとローカルが作ったんでしょう。

でも刺身や寿司、ちらし寿司も含めて「和食はこうあるべし」という感覚がまったくない板前なら、「和食から逸脱しても客がいうのだからそれで構わない」って思ってるのかもね。「和食から逸脱しない範囲で客の要望に応える」ってのがわからないんでしょう。まさか、これを作ったのは日本人の板前さんじゃないことを祈るばかり。

というか、彼らの目の前のカウンターに座ればこちらのこともわかるはずだし、私もちょっと言葉を添えることもできるけれど、「テーブルに座った」場合、ローカルだか日本人だか、ちょっと変わった客なのかまったくわからないからしょうがないのかもしれない。

前回行った時に、なんだかおかしいなぁと思って、今回行ってそれを確信してしまいました。値段も上がり、量も減り、その量の減らし方が変だと思う。

これって困るんだよな~~。

じゃぁ今後はどこの店に行ったら良いのかってのがあるわけで、代わりにあそこが良いというのがなかなか浮かんでこない。

やっぱり価格と内容、店の作り、雰囲気、そして場所ってのが大事で、「高級店へ行け」なんて言われてもねぇ。

ちょっと海産物や和食を食べたい時に、「躊躇すること無く【あそこに行こうか?】といえる」のが大事なことで、いろいろ考えながら行かないとならない店って困る。今まで信頼していた親友が、突然、わけわからないことを言い出したみたいな感じと同じ。

残念だなぁ・・・。

でも和食店って焼肉屋と同じで、クアラルンプールは激戦区になりましたよね。店の数はそれぞれ半端じゃない。

どこも苦戦しているように私には見えるし、そこで彼らが考えるであろうことは「ローカルを今まで以上に大事にする」ってことだと思うんですよ。日本人客なんて絶対数は少ないし、なおかつうるさい割にはケチだし、売上貢献度は決してよくないとすれば、「もっとローカルを増やす」のを考えるのが当たり前で、「そもそも日本人相手の店は海外ではすぐに潰れる」のが常識ですもんね。

そういう意味では、メニューも変えたその店は「ローカルにいかに受けるかを考えている」のがわかるんですよ。

一般的な和食のメニューでもかなり美味しくて好きだったのがあるんですが、それも「日本人的にはおかしい、惜しいと思う部分がある」。でもそんなことを感じるローカルは激レアなはずで、彼らは「これはこういうものだ」とすんなり受け入れるんじゃないですかね。そして彼らが大事にする点は全く違うところにあるんでしょう。

ああ、そうそう。最近は世界的な傾向として「写真写りが良い店、メニュー」にするのが増えていますね。いわゆる「インスタグラム受け」を店が積極的に考える、考えないで「客数に大きな違いが出る」と。日本では「有名な特盛り」を出す店が「写真を撮ってから完食せずに【残す】ような客」も増えて、それじゃ善意の特盛りの意味がないと「特盛りをやめてしまった」店もあるらしいですね。

そういう意味で、今日、話している店も、メニューを見ると「インスタ映え」するようになっている感じがする。

これって海外だけじゃなくて日本もそういう傾向があるのはわかるけれど、なんだかなぁ・・・とジジーは思うわけです。

しかしあの店が駄目だとなると、どこへ行くべきか・・・・。

意外にプラザモントキアラの「鮨家」が良いかも知れないなんて意見が家族から出てきました。

私もなるほどって思うわけで、鮨家の板さんTさんは結構頑固な人で、古いタイプの人だけれど良いかも知れない。いわゆる、「普通の」「当たり前のもの」をきっちり作るし、しかし客の要望もちゃんと入れてくれる「昔ながらの鮨職人」という感じがしています。ただ、私はあの「注文は端末で入力する」ってのがどうにも気に入らない。「要望はどうなる?」って思うわけです。板さんはちゃんと客を見ながら、要望を聞きながら仕事をする人なのに、客と彼との間に機械が介在したらとんでもないことになる。だから私は彼に直接注文をします。すると彼が端末を叩く。あるいは私が端末で一応注文を入れてから、彼に要望を言い、彼が打ち直す。(笑)

たとえば「ちらし寿司」にしても「マグロは本マグロで」と頼むことがあるわけです。要望もいろいろで料金も変わるものも当然あるわけだから、その方がすんなり行く。そしてそういうふうにしていると端末で注文する店なのに「今日、こんなのが入ってますよ」なんて教えてくれるようになる。で、それが美味しかったらあとで「美味しかった~~~」っていうと彼も本当に嬉しそうな顔をするのね。また前に普通のちらし寿司を頼んだ時に「今日のイカは美味しいね~」なんていうと「わかりました?」とにっこり。だからそのイカがあるときにはそれを頼むようになるわけです。

寿司屋でこういうやりとりがないなんて私には考えられないんですよ。

そもそも「オススメは?」って聞けない寿司屋っておかしくないか?そういうワガママは高級店で言えってか?(笑)

でもいつか「端末に出ているものでお願いします」なんて言われる様になるのかもね。でもあの店にはそうならずに「普通の寿司屋」であってほしいなぁ~~。

どの店も特色を全面に出して競争をしているけれど、「普通である」というのが実は私にとっては魅力となってきたのが面白いと思います。「インスタ映え」なんてやめてくれ~~~~~~。

でもこんなことを思うのは、まさに歳をとった証拠なんでしょうね~~~。あ~~、やだやだ。

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