日本に住むことを考えると、【無理だろうなぁ】っていつも思う

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そもそも30年以上前に「日本を出た」のは「海外に住みたいからではない」し、【日本を脱出しないとならない】と思っていたからなのは何度も書いた通り。そしてその思いの根源って私が子供の頃から悩みのタネだった「日本社会に対する違和感、疎外感」なのね。

そして自分はそれに我慢はできたにしても、「子供たちに同じ思いをさせたくなかった」のね。長男がまだ赤ん坊だった時、寝顔を見ていて「こいつも自分を押し殺して、周りの顔色を見ながら一生生きるのか。いや、絶対にそんな思いをさせたくない」と強く思って「日本脱出に向けて【本気で】動き出した」わけです。

でもどこに行っても「青い鳥なんかいない」と思っていた。

ところがそれって「自分の思いを封じ込めるためにそう自分に言い聞かせたこと」だったのがオーストラリアへ渡って、数年経ってわかりました。

私達に取っての青い鳥は「オーストラリアに存在した」のは間違いないと思っています。

今でも思い起こすと不思議だなと思うのは、オーストラリアに「知人もいない、仕事もない、有り余る金があるわけでもない、右も左もわからない」のに良くぞヨメさんと子供二人を連れて渡ったということ。これってもし知人がそういうことをしようとしていたら「やめたほうが良いと思うよ~」と間違いなくいうと思う。

あまりにも無茶で無計画。でも不安は一切なかったし、将来への期待で一杯でした。

でもオーストラリアならどうにかなると思ったのは、やっぱりオーストラリアの異常と言えるほどの「社会保障の厚さ」がわかっていたからかもね。

そしてオーストラリア生活の中で「これが自由なのか」と思ったし、「これを手放すわけにはいかない」と思ったのが大きくて、日本に帰りたいなんてことは一度も思ったことがなかった。「自分が自分の好きなように生きて行動できる」という当たり前の世界で生きられたこと。その中で子供たちを育てられたことは本当に良かった。

私の若い友人夫婦が「どうせ貧乏するならオーストラリアで貧乏したい」と言っていたのも【どうにかなる】という社会保障があるからだろうし、私の親友夫婦が「奥さんが妊娠中にオーストラリアに二人で旅行に来て、そのまま居着いてしまった」なんてことが出来たのもオーストラリアの懐の深さがあったからだと思う。

その友人たちは「人間が本来あるべき姿」をオーストラリアで「見た」のは間違いがないと思う。

そういう意味ではオーストラリアには本当に感謝していて、こんな凄い国って他にはないと今でも思っています。

でも我が家は「オーストラリアの発展スピードに追いつけず」に、重税と異常なほどのインフレに負けてしまった。

そのまま歳を取って萎みながらも生き残ることは出来たとは思うけれど、そんな生き方は嫌で、もう一花咲かせようと思ってマレーシアに来たわけです。

その動機って「マレーシアでは我が家には所得税がかからない」「生活費が安い」という、オーストラリアとは真逆の現実に惹かれただけと言って良くて、不純と言えば不純な動機なんだけれど、そんな私達を受け入れてくれたマレーシアには感謝しています。

でも私がやっぱり一番好きなのは日本なのね。

子供の頃から違和感を感じる日本社会だったけれど、それでも日本って私の「母」みたいなもので、何よりも大事な国。

その思いってずーっと変わることは無かったのだけれど、1991年に日本を出てから、日本に行くことって本当に少なかった。

なんなんでしょうねぇ。

でもま、昔は「格安航空券」なんて無くて、日本ーオーストラリア間を家族で移動すると航空券だけで目の玉が飛び出てしまうわけで(日本からのオーストラリアパックツアーが40万50万した時代)、やっぱり「遠い国」だった。だからよっぽどのことがない限り日本には行きませんでした。いや、行けなかった。

その習慣ってマレーシアに来てからも引きずっていて、「日本往復は格安でできる時代」になっていたけれど、私の中では「日本は遠い国」のまんまでした。ヨメさんが「日本に行きたがらない」のも日本にはほとんど行かない理由の一つだとは思うけれど・・。

でも間違いないジジババの歳になると「終活」も考えないとならないわけで、ヨメさんはオーストラリア大好き人間だけれど、私が先に逝くとした場合、ヨメさんが一人でオーストラリアに住むことは絶対に不可能。

だとすれば、まだ動ける内に、「日本に拠点をつくる」必要があると私は思っていて、「老人ホーム併設の老人用マンション」を確保する必要があると今でも思っています。それならヨメさんも問題なく生きていけるはず。

ま、そんなことを考えているわけですが、日本って「老人が豊かに過ごせる国ではない」と最近の動向を見ると強く感じるようになりました。

そもそも「最近の電気代」を考えるだけでも、どうやって年寄りは生きているんだ?と疑問に思うわけで、実際に「老人ホーム併設の老人用マンション」の費用を考えても、かなりの額なのね。初期費用だけで数千万円で、毎月の支払いは夫婦が生きていくだけで50万程度はかかる様子。そしてそれもインフレの洗礼を受けるはず。

これじゃ、「日本に拠点を持って旅行じゃ食べ歩きじゃと好きに過ごす」なんてのが簡単にできるとは思えず。

でもそういう老人ってそれなりにいるわけですが、「歳をとっても高収入を維持できる老人」に限っているんじゃないですかね。

多くは「不動産の賃貸物件」を持ってる人たちとか?

我が家にはそんなものはないし、「死ぬまで自転車操業」なわけで(私の94歳の父、私の姉も同じ)、それも仕方がないなんて思っていたのは「自分が自転車を漕げるからそう思っていた」だけのことだと、今になると思うわけです。

父や姉には「私や私の息子がいる」わけで、財産分与もしない父だけれど(私は遺産放棄すると決まっている)、それでも私や息子が【彼らの頭脳、手足として動いてる】のは間違いがなくて、もし私や息子がいなかったらどうなるのか。

それが私とヨメさんの将来であって、「息子に生活の諸経費、お小遣い」を出してもらって悠々自適に過ごすなんてことはあり得ない。

そんなことを考え出すと本当に気が滅入ってきます。

だからやっぱり稼げる内に稼がなくてはと思うけれど、「これで安心」といつどうなったら考えることが出来るのか、今の私にはさっぱりわからず。

人生ってそれが当たり前なのかもしれないけれど、「自分の老後のためにいつまでも働く」ってつまらない人生だなぁと思うわけです。

だからこそ、「今、生きている内に楽しむ」というのが正解なんだろうけれど、私みたいに若い頃から好き勝手にやりたいことしかやってこなかった自分としては、「これをやりたい!」という強い思いがないのね。

それは「自ら見つけるものだ」なんて言われるけれど、「心の底から湧いてくる欲求がない」ものに打ち込むなんてことは出来ないのね。

ま、週に2,3度「釣りに出かけたい」という欲求はかなり強くあるんだけれど、これは日本の特定の地域に住まないと満足できない欲求だし、マレーシア住まいの今の私には出来ないこと。

でも日本に帰れば、やっぱり税金と生活費、遊興費の捻出に悩まなければならないわけで、「貯めてきたものを使う」なんてのは私には出来ないんですよ。

これって商人の生まれ、育ちだからそう思うのかもしれなくて、「飯の種、家督は次の世代に送るべきもの」という考え方が非常に強いのね。これって農家でも同じだと思っていて、「俺たち、歳をとったから、これらを整理して現金化して使うからな」なんて次の世代に言えるわけがないのね。

贅沢な悩みと言えばそのとおりだと思うけれど、商人や農家も漁師も同じで、【俺たち老人が食うために、この畑、この漁船、漁業権も売るぞ】なんてことはあり得ない。

そして本人自身も「自分たちがいつの日か資産を食いつぶすために頑張ってきた」なんて思いたくない。

でも昔は、「うまい具合に、働けなくなると死ぬ」という時代だったんだろうと思うわけです。これは動物界も同じで、「自ら食べることができなくなったら死ぬ」のが定め。

今は下手したら、「ろくな収入もないのに30年は生きる時代」になった。

どうしたら良いんですかねぇ。

ま、「もはやこれまで」と思うときが来れば、ろうそくの灯火みたいな生き方をして徐々に消えていくのも受け入れられるとは思っていますが、ぞれが前提の人生って全く面白くないと思うわけです。

欲が深すぎるとは思うのだけれど・・・。

でも「出来るなら頑張れば良い」というのが大正解のはずで、自転車操業も漕げるうちは漕ぎましょうかね。

マレーシアには「資産倍増計画」を持って渡ってきたわけですが、今年で7年目になりますが、それは達成できていません。米ドルが150円以上を維持できればそれに限りなく近づけるのですが・・・。

一体、何をやっているんだか・・・。

やっぱり「いつか日本で【こんな生活】を送りたいなぁ」と夢を持つだけで終わるんでしょう。

でもそれはそれで、「夢に生きる」のは私の特技みたいなもので出来るような気がしてくるわけで・・・。(笑)

今日の自分を超えて、新しい自分に出会ってみたい

その思いだけはしっかり持って、これからも生きていきましょうかね。

でも日本って本当に良いなぁ。

週に2,3度は釣りに行くなり、漁港に併設された魚市場をウロウロするなり、そんな生活をしたい。

でも実際にそれをやると、多分、半年もしないで飽きるだろうことも見えてるのね。

日本の地方にたまに出かけて、そこで「こんな生活が出きらなあぁ」なんて夢見るのが良いのかもしれない。

そういう意味では、ゴルフ好きがマレーシアに来て、ゴルフ三昧している様子を知ると、「幸せなんだろうなぁ」なんて思ったり。

私としては、若い頃から日本脱出を考えていて、その頃から心の中にあるこれを持つ続けるしかないのだと思う。

男児立志出郷関
学若無成不復還
埋骨何期墳墓地
人間到処有青山

男児志を立てて郷関を出づ
学もし成る無くんば死すとも還らず
骨を埋むる豈に惟だに墳墓の地のみならんや
人間到る処に青山有り

ではどうしてそれで我慢できるのかと言えば、私の命の恩人である女性が私のヨメさんになってくれたこと。そして二人の息子を産んでくれて、彼らが素晴らしい青年に育ってくれたこと。そして孫も出来て、私のようなダメな男でも「命の継承」が出来ていること。

これって本当に神様に感謝するしか無くて、もうそういう状態になっている自分を思えば、後は春風に乗って散っていく桜の花みたいに、私は満足して死ねると思っています。

でもその時がくるまでは「前進あるのみ」なんでしょう。

私は幼い頃からトラウマを抱えて、「自分は生まれてこないほうが良かった」とずーっと考えていたわけですが、70歳になる今、やっぱり私は生きていてよかったと思うし、見えない何かに感謝したい気持ちで一杯。

今日は一体何を書いているのか自分でもわけがわからないのだけれど、こんな思いが自分の中を駆け巡っています。

「このままでは終われない。まだ夢の途中、諦めない・・・」

 

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