高いところっていいなぁ

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高いって料金じゃなくて、位置的な高さのことです。

新居は31階で見晴らしが良いのですが、ベランダから外を眺めていても飽きません。

考えてみるとこの20年間、地べたに這い蹲って生きてきた感じがします。オフィスを構えている頃も5階だったし高いところから下界を見ることがほとんどありませんでした。ゴールドコーストって高い建物はコンドミニアムで、つまり他人の家。普通高いところから見下ろすってことがないんです。タワーの類も無いし。

地べたで生きていますと考え方が近視眼的になってしまうというのが今回良くわかりました。でも高いところから世界を見ていると物の考え方そのものが変わってくる。

日本にいた頃を思い出します。ある百貨店、そのグループの量販店との付き合いが深かったのですが、しょっちゅう池袋のサンシャイン60に行ってました。彼らの事務所や商談室が46階かその辺にありました。私はここへ行くのが楽しみで商談に入る前に窓から下界を眺めてあれやこれや考えるのが好きでした。

仕事をしていても常に頭にあるのは今日明日の売り上げであり、来月再来月の新たなキャンペーンをいかに取るかであって、来年のことなんかまず考えません。でもサンシャイン60に行って外を眺めると過去と未来、自分が何をするべきかなんてことが頭に浮かんでくるんですね。

それといつも思っていたのは、見渡す限り家とビルが見えますが、みんなお金持ちだということ。これだけ家やビルが世の中にあるのに、自分は家一つ、ビル一つ持っていないってこと。それが不思議に思えましたっけ。で、このままじゃ小作人で終わるんだろうな、このままじゃうまくないといつも思っていた。

今年は我が家にとって大きな変化がある年なのは間違いがないし、過去の反省や未来への希望、計画を考えるのだけれど、今こうやって小さな部屋でPCに向かいながら考えるのと、新居で高いところから世間を見渡しながら考えるのと出てくる思いや考えがまるで違うんですね。

あの百貨店グループもなんであんなところに事務所を抱えていたのかも今になってわかるような気がします。あの世界も予算予算に追いかけられる世界ですが、フト窓からそとを見ると大事なことが見えて、それが実は会社にとっても一番重要なことなのかもしれないなんて思います。

宇宙飛行士が宇宙を見る、あるいは宇宙の中に浮かぶ地球を見ると人生観が変わるとよくいわれますね。アポロ宇宙飛行士でもその後、聖職に就いた人が何人もいるとのこと。

わかるような気がします。

今、私が一番気がかりなのは、20年後30年後です。もう自分は居ないか居てもヨイヨイだろうと思いますが、その時に私の家族や関わりのある人達がどうやったら幸せに生きていけるのか、まだ見ぬ孫やひ孫達に何ができるのか、そんなことを考えています。

残念ながら我が家には子ども達に残してやる家業もありません。資産も使えばあっと言う間になくなる規模でしかない。せめて一つの理念だけでも残せればいいな、とは思っているのですが・・。

世の中の教育を考えても本当に変だと思うことがあります。お金って大事ですよね。お金が人生の目的じゃ悲しいけれど、でもお金が無ければ生きていけない。じゃぁお金ってどうやって稼ぐのか、どうやって増やすのか、何に使うのか、そもそもお金って何なのか、そういうことを学校では全く教えない。我々一般大衆は無知と言っても良いくらいお金のことを知らずに育ち社会に出るのが普通。これって大事なことを意図的に教えていないんじゃないかと思うくらいです。

私は日本人のお金に対する考え方は結構汚いと思っていて、金亡者であると言っても良いと思っています。世界的に見れば大金持ちなのにいつまでも貧乏人意識を持っている。一生懸命働くのは良いにしても、稼いだ金は自分の物だと信じ込んでいる。金は天下の回り物、天からの預かり物という意識はゼロだと思うんです。これって同じ資本主義であるアメリカ人とかなり違う点だと思っていて、日本が資本主義を導入したときに、自由に稼ぐのと同じに、稼いだ金をどうするのかという大事な部分を無視してしまったと考えています。

稼ぐことと還元することは車で言えば車の両輪で、両方がちゃんとしているからそれぞれが成り立つんだと思うんです。つまり、アメリカではたとえばアメリカンドリームというのがもてはやされますよね。成功者は喝采を浴びる。なぜか?それは彼らは稼げない人達に大金を還元するからだと思うんですよ。ところが日本人は稼いだ金は自分の物で、握りしめちゃう。だから、あの野郎うまくやりやがったぐらいのことしか世間は思わない。

多分宗教の違いもあると思います。仏教はキリスト教に比べると内的な部分にこだわりすぎて利己主義に近いと思うことさえあります。多くのアメリカ人は、税金は高いと言いつつもそれとは別に収入の10%を寄付する人達が多く存在する(そうしなければならないという脅迫観念もあるんでしょうが)。やっぱり助け合いの精神が強いと思います。でも日本人は、そんなことは政府がやればいいと言って知らん顔。そのくせ、お金は必要なだけあれば充分、なんて金銭欲が無いような事を平気で言う。自分のことしか考えていない。

ここも私はおかしいと思う点で、稼げるのなら誰に遠慮することなくガンガン稼げばいい。お金が欲しいと大きな声で言っても恥ずかしがることなんか無いと思うんです。ましてや、それを回りに還元するのなら誰に後ろ指をさされることもない。でも金儲けを罪悪の様に言い(私はホリエモンはとんでもないやつだと思っていますが)、しかし自分の金はしっかり握りしめて放さない。これって変だと思うんですよねぇ。

私はお金が欲しいといつも考えて生きてきました。今でもそうです。ただ、自分とヨメさんのことを考えれば多分もう充分かもしれない。でももっともっと欲しいんです。いくらあっても足りない。ただ、世界の困ってる人を助けるために金を使いたいなんて偉そうなことを言うつもりはないんです。とりあえず、身近な人達、当然家族もそうだし、親戚、そして縁がある人達の中に、今の時点でもかなり困ってる知り合いが実は少なくないんです。でも私はそれを積極的に解決しようとはしないし、かといって自分のケツは自分で拭けと言えない何かをいつも感じています。

美味しい寿司も、自分一人で食べていたら美味しくない。どうしてもこの思いから逃れられないんです。

ということで、これからやっぱり本腰を入れて稼ごうかと思うんです。今まで好きなことばかりしてきましたから今更ご褒美人生なんて私にはいらないし、自分が今まで逃げて来たこと、しかしいつも気になっていたことをこれからどうにかしようと、そんなことを新居の31階から見ていて強く思いました。

それをやるようになって、私の人生は完成に近づくような気がしています。

頑張らねば・・・・・

フト、結婚した頃を思い出しました。私とヨメさんといつも話していたことですが、いつかお金が出来たら孤児院と老人養護施設を併設したものを作ろうね、って。いつの間にやらそんな話しもしなくなったし、それどころじゃない生き方を長らくしてきましたが、余裕があったら何かをしようってのは駄目なんですね。余裕が出来る時を待ってもそんな時はまず来ない。チャットでいつも話をしているアメリカ在住の友人がいるんですが、彼女は敬虔なクリスチャンで彼女の話を聞いていても、金は握りしめる物じゃないってのをいつも感じます。

私には自分が持っている物を捨てる勇気なんてこれっぽっちも無いけれど、これからは自分の持ち物は増やさなくてもいいかな、そんな気がしています。でもがっぽり、しっかり、際限なく稼いでみたい。(笑)

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