NZの地震

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最初このニュースを聞いたときには、さほど被害は出ていない感じを受けました。

ところが段々と被害は決して小さくない、被害者も多いのが分かってきた。

キーウィーはもちろんのこと、海外に子供を出してこの災害に巻き込まれたかもしれない日本人の親御さん達の気持ちも痛いほど伝わってきます。みんな無事でいればいいなぁ・・・・

しかし良いニュースがないですね。

日本の政治はガタガタみたいですし、総選挙があったにしろ継いで欲しい政治家は見えてこないし、どうなっちゃうんでしょう。

ちょっと気になるのが、太陽活動が活発になってきているという話。昨今の異常気象、あるいは各地の災害はこれに関係しているのでしょうか。そしてこれから太陽の活動がもっと活発になったらどうなるのでしょうか。巷では多くの分野で利用されているGPSが機能しなくなるとか、発電、電送関係に被害が出るだろうとか言っている。

普通に生活していると太陽と地球環境の関係って良く分からないし、太陽の変化によって何が変わるのかも実感として理解できません。ただ、太陽は我々の生命の根源であるのは間違いがないのに、大型のフレアが発生しているというニュースを見ても、だから?どうなるの?としか思わない無知さ、そしてだからってどうにも出来ない無力さを感じます。

大きな自然の変化はもとより、国の経済、あるいは政治、環境に個人は無力で、声を大にして何か叫んでもどうなることでなし。でも過去の日本人は諦めて逃げることなくそれに立ち向かい、歴史的にも明治維新という前代未聞の環境適応能力を見せた。世界はなんと言おうと、アジアから欧米の植民地をなくす切っ掛けを日本が作ったことは確かだし、資源も金もないのに、大きな災害も乗り越え、何もない焼け野原からこの日本を作り上げた凄さがある。で、今、この時代、自分としては単にヒーヒー言いながら世界中を逃げ回る日本人になりたくないという思いがあります。

でも何をどうすればいいのかわからず。

ただ少なくとも、日本人のアイデンティティーを保ちながら国外にあっても生き延びるというのは、自分自身のためだけじゃなく将来の日本の為にもなるんじゃないかと思ったり。ユダヤ民族しかり、華僑しかり、また近年まるで駄目になったアイルランドだけれど、それ以前の国の発展には海外に出たアイルランド人が大きく貢献したと聞きました。

でもねぇ。日本人の結束力の弱さってアジア人らしくないと思うんですよ。

海外に出ると、中国人や韓国人の結束の凄さを感じます。自己主張が強すぎる民族だとは思うのだけれど、日本人みたいに水が砂に吸い込まれるようにその国に馴染んでしまってどこで何をやっているのか見えない民族とは違って、自分たちの居場所、立場、そして文化や言語を堅持する彼らの力は凄いと思ってます。これって凄いと思う反面、やり過ぎに思うこともあるんだけれど、でも日本人みたいに「住まわせてくれて有難う」「迷惑掛けてごめんなさい」的な生き方が当たり前ってのは変だと思ってます。その謙虚さは日本の美徳だと自画自賛して喜んでいて良いのかどうか。私はここにも「日本は侵略国家」という教えの弊害が出てると思うんです。とにかく相手国には迷惑を掛けていはいけないということばかり気にしているように思えます。

住民として住むに当たって「住まわせてもらっている」という観念は必要ないと思ってます。そこにあるのは住民としての義務と権利だけでじゃないでしょうか。逆に、私は聞いてみたいんです。「日本に居るときにそこに住まわせてもらっていると思ったことがあるのか?」と。そんなことは思わないで住めるところが「住居」であり「住人」だと思うんです。

世界中どこに行ってもチャイナタウン、コリアンタウンは存在する。でもジャパニーズタウンは無い。ロスアンジェルスのジャパニーズタウンは今じゃコリアンタウンになってしまったとのこと。NYにもそれぞれのXXXXタウンが存在するのにやっぱりジャパニーズタウンはない。そして彼らは政治参加意識も強い。

これって日本は逆に欧米的であるということかもしれませんね。同じアジアの中でも明治維新からの変化を見ただけでも、日本には欧米化する素養があったんだろうと思います。きっと日本人をアジアの括りで括ってはいけないのかもしれません。

でもやっぱり日本人の団結力の弱さは感じるんです。これってそもそも日本人はそういう民族だということじゃなくて、ここにも日本が太平洋戦争に負け、マッカーサーの日本弱体化計画が大成功を収め、もう占領軍はいないのに日本は自虐的なままで、今では日本人同士で集まり総力を結集してことに当たるという力までも失ってしまったんじゃないかと私は思うんです。

日本人には村意識が強くあって、それはありとあらゆる場所で発揮され村社会が形成されている。でも今ではそれはみんなで楽しむ仲良しグループであり、あるいはみんなで寄ってたかって異分子を排除する時に結束力を発揮するというような面ばかりしか私には見えません。

村意識はあっても国家意識が無い?

これが昨今の日本の傾向にも思えます。国を思うことは悪いことであると言う長い教育の結果がこれかもしれませんね。国民の間でも国を語ることの少ない民族に思えるんです。国の話題になると下手をすれば右翼と思われたり、クサイ話はしないという雰囲気が日本人の中にある。この国では反政府運動なんて絶対に起こらないような気がしてきます。この事なかれ主義とでも言うんでしょうが、これはまさに政治家に顕著で、多分選挙制度の悪影響もあるのだろうと思うけれど、国家意識を持った政治家が育たない土壌があるような気がします。

政治は市民団体出が抑え、「庶民目線」が良い物として誰もそれを疑わない。国民は自分の生活にしか興味がないというのはどこの国でも同じだろうけれど、政治家もその庶民レベルであることを売り物にしている。そして有権者もそれを良しとしている。政治家を選ぶ基準が「市民サービスの大小」がポイントとなっていることのおかしさに国民自体が気がついていない様子。これってスーパーの安売り、どこがオマケを多く付けてくれるか、それで選ぶのと同じに思えるんです。

あの事業仕分けがまさに今の日本を象徴していると思うんですよ。レンホーさんのバッサバッサと切り捨てを見てみんなが拍手喝采を送った。でもあれってパフォーマンスでしかないと私は思うんです。そもそもレンホーさんの基準として「それで利益がでるんですか?」「一番である必要があるんですか?」というのに私は驚愕しました。利益が出るような事業じゃないから国がやるんでしょう。一番になることを目指すことによってその周辺技術も広がり、またプライドを持ってそれに向かえるという計り知れないメリットがあるんだろうと思います。そりゃ同じようなことを複数の事業体でやっていたり、単なる天下りの受け皿でしかない事業体もあるんでしょう。でも「コストパフォーマンス」を重視し、大事な事業でも近視眼的な「損得」を基本にしたのにはびっくりしました。

無駄をやめるのは大賛成。でも利益がはっきり見えないところに集中して援助するのが国の仕事で、あの事業仕分けには、国は何を大事にしようとするのか、何を育てようとするのかという大きな戦略が私には見えませんでした。単に庶民受けの良いパフォーマンスにしか私には見えませんでした。

でも管政権がおかしいんじゃない、自民党が駄目だったんじゃないと思うんです。国民を含めて何か日本はおかしな方向へ行っている様な気がして仕方がありません。国の根本をなす、何か大事なところのネジが抜けちゃっているようなそんな感じがするんです。だから国がどうあるべきかなんてマクロの視点で見たら国という大きな機械自体がちゃんと稼動していないのがわかる。外交、国防なんてそれの最たるものだと思うんです。国の体をなしていないと思うのは私だけじゃないはず。

しかし海外の国は虎視眈々と力を着け自国の利益を得るがために着々と動いている。ロシアしかり、中国しかり、韓国しかり。アメリカしかり。そしてこんな弱体化してもまだ市場だけはまだ大きな日本を狙ってくる。それの象徴がTPPであると私は考えています。彼らと日本とどちらにメリットがあるのか考えればこのTPPを受け入れるべきかどうか簡単に答えはでると思うんだけれど、世の中はTPPをやれという大合唱。本当に不思議でしょうがありません。

日本という確固たる芯が存在しないまま、外圧には常に負け、目の前の小さなニンジンに食らい着こうとする日本。一体日本はどうなるのか、どこへ向かうのか、我々は何をすればいいのか・・・・

マッカーサーがパイプを吹かしながらニヤリとしている姿が目に浮かびます。

って、NZの地震がこういう話になる。(笑)

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