70歳を過ぎてからの投資?

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我が家には安心して老後を過ごせる「定収入」がありませんし、「大家族主義」が徹底している家族ですから、何歳だろうが全体のことを考えてそれぞれが頑張るという家族。

財布が一緒ということは無いのですが、私たち夫婦と長男は一緒みたいなもので将来的には全て長男にお任せ。でも姉(73歳)や父(96歳)は財布は別にしても、資産運用に関しては私と長男、次男で決めている。次男坊家族は全くお財布も資産運用も別。それぞれに「足りない」ことが起きれば、一族全部で調整をして「落ちこぼれは出ない」ようにするって感じでしょうか。

その中には今までブログには書いたことがない「私の甥、姪とその家族」も含まれています。当然、皆が順風満帆なんてことはあり得なくて難病を抱えて困窮している一族もいるし、そういう一族を「見捨てない」のが我が家の生き方。

中心はやっぱり私と長男で、参謀として次男坊が付いているという状態。

だから私は今後もまだまだ頑張らなくてはならなくて、子どもたちに全て任せるのには遠い状態。

こういう家族ってサラリーマン家族ではありえないのでしょうが、我が一族は「商家」の出ですし、そういう考え方が昔から続いているし、中心となる「家業」はありませんが、今、それを「構築中」と言ったほうが良いのかもしれない。

このブログの読者にも似たような考え方を持つ方もいらっしゃって、「どうにかせねばならない状態」の読者数名とメールを中心に意見交換を続けています。

でも最近、あることに気がついたんですよ。

私はそういう方々の「年齢」も「現状」も把握していないのね。ただただ「何をどうするべきか」の情報交換をしているだけなのね。

新NISAにしても積極的に考えている方がいらっしゃるのですが、偶然、その方が私より歳上なのが初めてわかったんですよ。当然、70代。

私はその方の「書き方、話し方」から40代かなと思っていたので、かなり驚きました。

70歳からの投資、資産構築、資産運用、資産防衛を「始める」って大丈夫なのかって。

40,50代なら普通、定収入もあり、それがまだまだ伸びる可能性がある中で、投資を始めるとか資産運用を考えるというのはアリだと思いますが、70代になってから年金ぐらいしか無い中で「新たな投資や運用にチェレンジする」ってどうなんでしょうか。

私はまだ若い方だと思っていたので、一般論としての「積極的に攻める」話を進めていたのですが、年金ぐらいしか収入は無く、歳を取ればあれじゃこれじゃと「想定外の支出も増える」なかで、新たな投資や新たな戦略で出発するって「かなりヤバい」んじゃないかと思うのね。

新NISAも同じで、基本的には「長期投資」となるんでしょうが、70歳を過ぎてからまさか20年30年先を考えて何かを始めても「遅い」と思うわけです。私だったら「5年先」だとしても生きているかどうかもわからないぐらいに思うわけで、5年とはかなり遠い将来で、70代なかばの5年先を見据えた投資って「超々長期投資と同じ」だと思うんですよ。

当然、「順調に資産が増えるなんてことは無い」と思うべきで、いつ「想定外の出費」が必要になるかわからないし、含み損が出ていたらどうするのか。前にも何度も書いているように「日経225でも金(ゴールド)」でも下げトレンドに入ったら10年、20年は「元に戻るまで掛かる」わけで、【上がり続けることを想定した投資】はただの絵に描いた餅でしかないはず。

ということで、その方には「今まで私が書いたことは忘れた方が良いかもしれません」と新たなメールを送りました。

ではどうするべきか。

正直なところ、私には「わからない」としか言いようがないのね。

あえて言えば、「今までの生き方をそのまま続けたほうがよい」のかもしれない。

これからはインフレじゃ、更なる円安じゃ、世界の景気後退や戦争懸念もあるにしても、若者と同じ様に「新たな戦いに挑む」のは無謀だとしか思えないのね。

それはいつも私が書いている「効率が良くて、大きな資本もいらないデイトレや短期売買」とて同じことで、これだって「1-2年の内に稼げるようになる」なんてことを期待するのは単なる「淡い期待」でしかないのかもしれない。ましてや何十年もやっている私だって70歳前には「もうこれを続けるのは難しい」と気がついたわけで、70を過ぎてから初めてそれに挑戦するのって「難しい」というより「かなりの危険が伴う」と思うんですよ。

そもそも70歳を過ぎてから新NISAじゃ、資産構築じゃ資産防衛だと考えること自体、私は「遅すぎる」と思っていて、そしてそんなことを今、考えるってことは「間違いなく焦りがある」と思うんですよ。で、その焦りこそが大敵なわけで、ましてや歳を取っていて、私はそれでどうにかなるとは到底思えない。それどころかまさに「飛んで火に入る夏の虫」になる可能性が非常に高いと思っています。

「それでも挑戦する」とするなら、「損しても構わないお金」で始めて、「それがある決めた額以上に減ったら絶対に止める」という強い意志があれば挑戦するのも良いかもしれない。うまく行っているから途中で安易に増額するとか、「負けを取り戻すために増額する」なんてのがまさに「地獄へ自ら進む」のと同じで、普通でさえもそれで失敗するのがこの相場では普通に起きていることで、70歳も過ぎ、心身ともに弱く、強い焦りがある状態で、「上手くいく」としたらあまりにも「うまい話過ぎる」と思いませんかね。

「簡単に儲かる話なんてこの世にはない」のに【詐欺に引っかかる人】っていつの時代にもごっそりいる。

そういう詐欺って私は簡単に見破る方法があると思っていて、「そんなに儲かるなら、他人に勧めないで自分でやればいいじゃないか」という視点で見ればかなりの確率で「おかしな話」なのはわかるはずなのね。

でも今、思うんですよ。

「自分で、自分を詐欺で引っ掛けるのと同じこと」を考える人がいるんだろうって。

やる気で一杯の人に「冷水をかける」ようなことを書くのは申し訳ないと思いますが、これが本音です。

投資ってもしかしたら「林業」と同じかもしれなくて、収穫して利益を出すのには「かなりの年月が掛かる」と思ったほうが良くて、それは「木々が育つのに時間が掛かる」だけじゃなくて、「木々を育てる自分がノウハウを蓄積するのにも年数が掛かる」ってことじゃないかと。

そういう意味で「10代から投資を考える」のは早すぎるとは私は全く思わないし、一本の小さな苗を育てることから始めて、ノウハウを貯めつつ20代、30代には本数を増やし、それでも失敗を繰り返しながら頑張って、やっと50代が見えてきた頃に収穫できる様になるのかもね。

世の中には天才も多くいて、若くして財をなす人はいくらでもいるけれど、「自分にも出来る」かもしれないけれど【自分にも出来る前提で考えてはならない】ってことじゃないでしょうか。

私は「弱気のことばかり書く」と思われるでしょうが、私は20代の頃は「バカと言われるぐらい大きな夢」を持っていて、就職もせずに自分の力で大きくなろうと頑張ってきましたが、30歳になるころには「自分は普通の人間でしかない」どころか経営者の資質もないことに気がついたのね。

それからは「大損はしない」ことに注意して生きるようになりました。大きな夢は捨てたと言って良くて、世の中には大きな夢を実現する天才級の人は多くいるけれど、「自分は違う」と思って生きてきました。だから事業でも投資でも「全力投球はしない」様になったのね。これはゴールドコーストへ渡ってからも同じ。

これは「チャンスを逃がす。チャンスを掴まない生き方」だと思いますが、私の生きてきた環境ってどうしようもない中小企業の世界で、30代で自社ビルを建てるようなのもいたけれど、そういう人たちもいとも簡単に消えていく世界だったんですよ。多くの友人知人の中で、突然、爆発的に大きくなるのもいたけれど、10年もしない内に「皆の居所さえもわからない」様な世界で、今でも成功したと言えるのはたった一人だけで、他の皆はどこで何をしているのかさえわからない。

でも面白いのが「学生時代の友人たち」で、彼らの殆どはサラリーマンになったのね。そして多くは金持ちじゃないにしても生き残っている。これがやっぱり多くの人は安定を求めてサラリーマンになるということなんだろうと思ったり。

でも自営業って全く違う世界で、「独立するぞ~」なんて息巻いていて、その後、生き残っている友人はいないと言っても良いくらい。これってオーストラリアに渡ってからも同じで、ゴールドコーストでは多くの日本人が「事業家ビザ(永住権)」を取ってオーストラリア生活を満喫していたけれど、時間とともに多くは消えていって、知り合いの中で事業をしつつ生き残ったのは二人しかいないんですよ。

当然、当時から続けてゴールドコーストで生きている人たちもいるけれど、多くは「余計なことはしなかった人たち」であり、「大損をした経験はあるけれど、その後は爪を伸ばさず静かに生きていた人たち」なのね。

私はと言えば、「ゴールドコーストにこのままいたら、ただ生きているだけ」だと思って、新天地を探してマレーシアに渡った。つまり私は「負け組」だし「経済難民」と同じ。

投資の世界ってそれと同じだと思うのね。

それに気がついて、「倒れないようにする」「利益が出るようになる」にはそれなりの時間と経験が必要だと思うわけで、それは誰かのマネをしたり、書籍を山程読んでもどうにもならない世界。

「うまく行っている」と思っても、十年、あるいは何十年に一度の「想定外の出来事」で潰されるから怖いのね。これは事業も同じで、中小企業が多く潰れるのも「所詮そういうレベルだからだろう」なんて思ってしまいがちだけれど、多くは「想定外のことが起きてそれを乗り越えられなかったから潰れる」というのが私が見てきた世界でした。それは私の父も同じ。(笑)

私もリーマンショック時には私の資産は4分の1になるという半端じゃない恐怖を体験しましたが、破産しなかっただけでも良いのかもしれない。あの東日本大震災でも直接の被害は無くても投資の失敗で破産した人は多く出たのね。中には首をつった人もいるんじゃないですかね。

「生き残ることが出来た」だけでもしめたもんだと私は思うぐらいで、70歳も超えて失敗したらとんでもないことになるのにその世界に飛び込むって、それなりの準備、想定、心構えが必要だと思うし、「甘い期待は捨てる」ところが出発点だと思っています。

「積極的に、何もしないことを選ぶ」のも選択肢の一つだと思っています。「何もしない」のが消極的な考え方だと思ったら大間違いかもしれない。

戦争も同じじゃないですかね。「攻める」「退却する」「様子を見る」のは【全て積極的な考え方】の元に決定されるんじゃないですかね。攻めるのだけが積極的な考え方だと教えられるのは「最前線の一兵卒」だけで「死ぬ気で頑張れ」「当たって砕けろ」という考え方。「降伏する」「負けを認める」のも将来を考えた積極的な決断だと思うし、「突撃すること」だけが積極的な考え方じゃないはず。

マレーシアでも「楽しく人生を謳歌する日本人たち」が回りに多くいますが、彼らは「生き残った人たち」であって、その何倍もの人たちが「表舞台から消えていった」ことを忘れてはならないと思っています。

失敗しても「それなりに面白い人生だった」と諦めることが出来る性格、環境なら、70歳を過ぎてからのチャレンジも良いのかもね。

 

 

 

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