AI、AIとAIの話題が自分の周りに溢れていますが、私の場合は「投資先としてのAI業界をどう見るか」というのが中心で、実際に「AIを使う現場」って関係ないのね。
でもやっぱり大事なのは「人間が生きる場にどうAIが入ってくるか」であり、すでに「AIとの協業は避けられない時代」になっていると思うんですよ。これにどう対処するか、どう生きるかが「運命の分かれ道」になるはずで、私が思うに「AIから逃げるのはうまくないだろう」ってこと。
「AIが仕事を浸蝕してくる」のは間違いがなくて、だから「AIに浸蝕されない分野に進もう」という【守り】の考え方で進んでよいのかどうか。
私はそれって「AIを舐めている」ようにも思えていて、世界が「効率と成果を重視するのは変わらない」から、やっぱり「AIとしっかり向き合って協業を進める方向に進む」のが良いと思う。これはきっと「芸術の分野」も同じで、「AIとは一切関わりはありません」というのが「売り文句になる時代は来ない」と思っていて、いかに「AIを取り込んで利用するか」というのは同じだと思う。
「AIってそこまで進んでいるのか?」という疑問があって、こればかりは現場にいないとわからないことだけれど、少なくとも「そろばんは計算機に駆逐された」、「個人の印刷はコピーとプリンターに置き換わった」、「手計算はエクセルに置き換わった」など、新しい製品によって浸蝕された仕事って山のようにあって、【それと同じ事が起きる】と考えるのが正しいと思う。
今は「AIがやった仕事を人間が評価する」けれど、これもまた「AIがAIの仕事を評価する」「AIがAIを進化させる」時代に入っていると思うし、それはまさに「シンギュラリティ(技術的特異点)で、AIが自らより賢いAIを次々と作り出し、人間の知能を完全に超える転換点がすでに来てる」と考えたほうが良いと思うんですよ。これは決して「AIを過大評価する」ってことじゃなくて、「すでにそれは始まった」と考えるほうが【人としての生き残りを見出すことが可能】だと思う。
そして「AIの進化」「AIが出す答えや提案」を【人間が評価することも出来ない時代】が来ると思うんです。つまり「人間が評価できる答え」よりも「評価さえ出来ない答え」の方が最終的な結果は良かったなんてことも起きるはず。
ただ「人間がいらない世界は来ない」とは思うけれど、「AIがここまで入ってくるか?」という時代は必ず来るはずで、その時に慌ててもどうにもならなくて、「ある日ある時、解雇を告げられる」なんてことが日常的になる時代は遠くないし、「解雇された理由も良くわからない」ことも起きて、「それはAIのせいだ」としても、「AIが自分をどう超えたのか」が理解できないとまさに「その対象者は無価値と言っても良い」ことになるはず。
私はそこが非常に怖いところだと思っていて、もし今の時点で「AIに脅威を感じている」としたらラッキーで、「AIとの協業の道を進む」ことを選べるけれど、逆に「私は安泰」なんて思っていると、「切られた時」には【廃棄物と同等になる】んじゃない?
「AIを敵と見るか、味方と見るか」の違いって自分の将来に大きな差が出るはずで、やっぱり私は「AIを知りたい、使いこなしたい」と73歳でも思うくらい。
これからどんな世界になるか、その世界でどう生きるかの「考え方」として参考になる動画があった。
この「AI仙人」って????の感じがプンプンする人だけれど、彼からAIに関して学べたことって、私の場合は結構あって、巷では「AIそのものの使い方の解説」って山のようにあるけれど、彼のような「将来を見据えてどう使うか、どう付き合うか」という根本的な話をする人って決して多くないと思う。
暇があったら、ちょっと見て、将来を考えてみるのは無駄にならないと思う。








